魔法ばーちゃん~信濃~

ナスカ

魔法ばーちゃん~信濃~

 じいちゃんが死んでから、私はみるみる干からびていった。優しい人だった。15歳の、寒い冬の日。あの人は転んだ私に手を差し伸べ、こう言った。

 「………歩くときは前を見ろよ。まぬけ。」

 衝撃的だった。じいちゃんは若いころからツンデレだった。ピンと立たせた髪、赤く紅潮した頬。私は一目で恋に落ちた。しかし、失ったこともあった。小学生から続けていた魔法少女としての能力である。誰かに恋をしたものは、魔法少女でいることはできない。キスをした次の日には、ほうきに乗ることも、魔法を使うこともできなくなっていた。私に魔法の力をくれたこびとの姿も、まったく見えなくなっていた。

 そんな状況でも私が前を向いて歩くことができたのは、あの人が手を引いてくれたからだった。悲しい気持ちはすべて、大きな胸で包んでくれた。

 成人して、主婦になり、子供を2人産んだ。じいちゃんは鉄道会社に勤め、40年間きっちりお金を稼いでくれた。2人の子供はそれぞれが自分のやりたい方向に進んでいった。長男の天理は学校の先生になり、5年前、肺がんで死んだ。多くの教え子が葬式に来てくれた。自慢の息子だった。次女の佳乃は35で結婚したが、子宝に恵まれず、45で離婚した。娘の浮気が原因だった。

 じいちゃんが死んだのは、先月のことだ。地元の、大分の病院で死んだ。息子と同じ、肺がんだった。何も言い残すこともなく、死んでいった。冷たくなった横顔を見ていたら、私の体も、同じように冷たくなっていることが分かった。

 それから、病院に入院し、2か月が過ぎた。病名は何もない。ただ、手足がだるく、何もやる気が起きない。もうすぐあの世へ行くことが、本能的にわかる。それでも、この世に何の未練もない。じいちゃんも、息子も、この世界にはいない。自分の命が尽きるのを、今か今かと待っていた。

 先生の勧めで、自宅に戻ることになった。どこで死ぬのも一緒だと思ったが、娘がどうしてもと頼むので、帰ってやることにした。そういえば、もう1年も帰っていなかった。

 久々の我が家は、なんだか少し広く感じた。もはや時代遅れの木造家屋で、ガラス戸が風にあたってガタガタと鳴っていた。じいちゃんの部屋も、天理の部屋もそのままにしてあり、懐かしいにおいがした。日も暮れ、布団に入り天井を見上げると、月明かりに照らされて天理が張ったシールが見えた。

 「ね、ねえ、佳乃ちゃん。」

 「なぁに?おばあちゃん。」

 「あ、あれはなんだったかなぁ。天理が好きだった、あのキ、キャラクター。」

 指をさすと、隣の布団に顔をうずめていた佳乃は、まぶたをパタパタしながら微笑んだ。

 「ああ、あれはなんだったかなぁ。たしか、アトムとかいうキャラクターだったような気がするなぁ。お父さんにおねだりして、おもちゃを買ってもらったんだよねぇ。」

 「ああ、そうだ。ア、アトムだ。そうだ。そうだ。」

 天理は物を欲しがらない子供だった。子供のくせに親に気を使って、文句ひとつ言うこともなかった。そんなあの子が、4年生のころ、初めておもちゃを欲しがったのだ。目が真剣で、じいちゃんの足に縋り付いていた。家計は大変だったけど、じいちゃんが頑張ってくれた。やっと与えてやった中古のおもちゃを、天理はずっと手から離さず、寝るときも一緒だった。

 「お、おまえは、ずっと、ねだってばかり、だったよねぇ。」

 「ふふふ。そうだったかなぁ。もう覚えてないなぁ。」

 「そ、そうよ。ドレスとか、お、お菓子とか、じ、じいちゃんを、困らせて。」

 「そうかなぁ。」

 佳乃は天理とは反対に、ずっと泣きわめいていて、あれが欲しいこれが欲しいと言っていた。そのくせ与えてやると、1日遊んだらすぐに興味がなくなり、その辺に放っていたので、何度もしかりつけた。

 「あの頃は、自分だけが不幸な目にあっていると思っていたんだよねぇ。友達の物が立派に見えて、なんでお金持ちの家じゃないんだって。」

 「ふふ、ふ。そ、そうだったの、ねぇ。」

 もう、しゃべることさえも億劫になっている。のどが震えて、声が詰まってしまう。なんとなく、今日が最期なのかもしれないと感じた。

 「ねぇ、手、握ってもいい?」

 「ふふ、ふ。あ、甘えん坊、ねぇ。」

 佳乃の手は、もうしわが寄っていて、おばあちゃんの手だった。でも、昔から変わらず、小さくてかわいかった。

 「お、おやすみ、なさい。」

 「おやすみなさい。」

 昔のように、二人で寄り添って眠った。

 












 真夜中。何かを感じて目を覚ました。辺りを見回すと、月明かりの中に、懐かしい顔を見つけた。

 「ふふ、ふ。こ、こびとさん、ひさしぶり、ねぇ。」

 「ああ。ずいぶん長い間眠っていたよ。元気だったかい?」

 「ふふ。そ、そうねぇ。ぼちぼち、よ。」

 「そうか。それは何よりだ。実は、今日は君に相談があってきたんだ。」

 「そ、相談って、な、なぁに?」

 「ああ。時間がないみたいだから、さっそく本題に入らせてもらうよ。実は、今君には魔法少女としての力を再び手にする権利があるんだ。君の思い人がいなくなって、穢れのない存在に戻ったと判断されたんだね。」

 「あ、ああ………そ、そんなもの、今さら、もう、欲しくない、わ。」

 「どうしてだい?」

 「も、もう、私、には、生きる、意味が、ない、もの。みんな、死ん、じゃった、の。」

 「そうかぁ。残念だなぁ。でも、いいのかい?君の手を握っている人、その人に、何か嫌なものが迫っていると感じるんだ。」

 「え………よ、佳乃、が?」

 「うん。そのとおりだよ。彼女は、君の知らないところで魔法少女として活動していたんだ。君の代わりに、ね。」

 驚きに、思わず体に力が入った。今、自分の隣で安らかに寝ている娘が、私の代わりに戦っていた!?いったいいつから!?

 「彼女は優秀な魔法少女だった。そして、20を超えて、偉大な魔女になったんだ。結婚はしたけれど、旦那さんとは一度も関係を持たなかったんだよ。」

 「そ、そんなこと、一度も………」

 「………彼女は優しかったからねぇ。そして、お母さんが大好きだった。迷惑はかけたくなかったんじゃない?」

 「そ、そんな………」

 こびとの言葉に、私は震えてしまっていた。佳乃は、私の知らないところで、そんなひどい目にあっていた。それは私が制約を破ったせいで、彼女は自分の人生を私に奪われることになったというのか。

 私は、声も出せずに泣き震えていた。今までの人生は、娘の人生を犠牲にして成り立っているものだった。そして、私はそれを知らないままに死のうとしている。そんな!そんなことが…………

 こびとは、私に光る指輪を差し出した。

 「これは、君がつけていたものだよ。向こうで大切にしまってあったんだ。どう使うかは、君の自由だ。」

 指輪は、あの時見たのと同じように蒼白く光り輝いていた。これを使えば、彼女にかかる災厄を振り払うこともできる。それだけで、私が決心するには十分だった。

 「お、お願い、私に、魔法の、力を………………」

 布団からはい出し、指輪をはめた。これで、契約は成立だ。私はどんなことをしても娘に償わなければならない。たとえ、何を犠牲にしようとも。

 「おかえりなさい。信濃。あなたは再び、魔法少女として認められた。昔のように、人助けをする必要はない。自分の望むことだけをかなえるために動きたまえ。」

 指輪は強烈な光を発し、私の体を包んだ。あの頃に着ていた衣装が、今の年老いた私を包んでいる。昔のように健やかな気分ではいられない。ただ、みじめな気分になるだけだった。

 しかしそんなことはどうでもいい。まずはどこからか力を吸収する必要がある。若く元気なものから、少しずついただくことにしよう。娘のためには、仕方のないことだ。

 

 その夜は千曲川ちくまがわ信濃の、人間として最後の夜だった。

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