第30話 生きていてくれてありがとう
目が覚める、息が苦しい。
ぼんやり目を開くと真っ白な天井、目線を少し下にずらすと人口呼吸器がつけられているのがわかる。
ああ、とうとう体が元通りになったのだ、
もう少し生きたいと思っていたがこれでいい、
私はもう充分生きてきたのだから。
絵留美は今がしんどい渦中とはいえまだまだこれから、生きていれば喜びごとがあるのかもしれないのに、あのままでは不憫だった。
「フキさんっ!ああ、良かった、目ぇ覚めた!」
涙で真っ赤になった目をした絵留美が覗き込んできた。
私は少し首を動かし絵留美のほうを向き、
笑みを見せた。
絵留美はそっと小さな手で私の手を握ってきた、その手は温かかった。
「もしかして、お二人は元に戻ったのでしょうか?」
ここでカウンセラーの藤堂真由美が声をかけてきた。
藤堂さん、ありがとうねぇ…と伝えたかったのたが、うまく声に出せない。
「あ、むりに話さなくても大丈夫です、お二人が元に戻れたと確認がとれたので…」
そういえば前に私の瞳を覗きこんだだけで絵留美ではないと気づいたので、今回もこちらの目を見てわかったのだろう。
「元に戻さなくて良かったのに、なんで戻したんだよぅ」
私の手を握ったままの絵留美は、藤堂真由美のほうを向いて責めるように言った。
「そんなこと言うもんじゃないよ」
やっと声が出たが、人口呼吸器がつけられたままのため、自分の声がくぐもって聴こえた。
「フキさんっ!!」
絵留美が涙を流し入れながら握っていた手を一層強めてきた。
「私ら
ここで私はゲホゲホと咳き込んだ、すぐ止まると思ったがなかなか止まらず苦しくなる。
「いいよフキさん、ムリに話すなよぉ」
絵留美の顔は涙でぐちゃぐちゃだ、なんとか咳は止まったが、呼吸がゼイゼイして苦しい。
だが、どうしても絵留美に伝えたいことがあったので、がんばって喋れるよう呼吸を落ち着かせようとした。
「ごめんねぇ、あんさんえらくつらい目に遭ったの知ってもね、やっぱり私は生きてもらいたいよ」
ここまで話して再びゲホゲホと咳が出てしまう、絵留美はポロポロ涙流しながら嗚咽気味に、もういいから…もういいから…と、つぶやき続けていた。
「私もねぇ、何度死にたいと思ったかわかんないくらい苦しんできたんだよ…すべて受け入れてくれたダンナはとっとと死んじまうし、誰の子かもわからん息子はグレちまって私をクソババア呼ばわりするし…なんのため生きてるか?って…」
私はここで一旦言葉を切った、相変わらず呼吸が苦しい。
恐らくこのままあの世からお迎えがくるのだろう、だが、なにがなんでも絵留美に伝えたい。
「私の過去がよそ様に知られてしまうこともあってね、大概が腫れ物扱いなんだが、中には汚物扱いする人もいてね…それこそつらくて何度死にたいと思ったか、わからないくらいだよ」
ふと気づくと、カウンセラーの藤堂真由美の姿が見えなかった、いつのまにか静かに病室から退室していたらしい。
私は言葉を続けた。
「長いこと生きていくうちに、死にたくないのに病気やら事故やらで若くして死んじまう身内に友人いてね…自然と彼らの分まで生きなきゃって思うようになったんだよ」
脳裏に浮かんだのは、優しかった亡き夫に自分の過去に触れずに普通に接してくれた友人らだった。
自分に対し心ない対応してきた者ほど長生きなのが、なんだか皮肉に思えた。
――ああ、それでももっと生き続けたいと願ってしまったのは、なんでだろうね…これじゃ説得力ないよね――
フッと苦笑するしかなかった。
絵留美はひたすら涙を流し続け、言葉を待っているようだった。
やがて考えがまとまり、私は口を開いた。
「優しくしてくれた人に限って早く死んじまったもんだから、誰からも必要とされてないんじゃないかってね、長年思い続けてしまっていたけどね…グレてしまったとはいえ一人息子はなんだかんだと私を思ってくれてるからね…」
ここで再び咳が込み上げ、ゲホゲホと止まらなくなった。
「もういいよ、フキさん、あたし…あたし生きるからさぁ」
絵留美は涙声になりながら私の首をさすってくれた。
なんとか咳が止まり、少し落ち着いてから再び口を開いた。
「こんな私がね、偉そうに死ぬな生きてくれなんて言う資格ないんだろうがね、それでもあんさんには生きててもらいたいんだよ、なんだかんだと主任さんに必要とされてるだろうし、まだまだこれから…」
そう、これから…これから…なんだか呼吸が苦しいだけでなく、頭までぼうっとしてきた、視界もだんだんモヤがかかったようにボヤけてきた。
私はこれが最期かもしれないと力を振り絞るように言葉を発した、肝心な一番伝えたいことをまだ伝えていない。
「絵留美……年端もいかないうちにエライ目に遭ってつらかったろうに……何度も自殺未遂失敗したとはいえ、ちゃあんとがんばってきたんだね……生きて…生きて…生きて……………生きていてくれてありがとうよ…」
一番伝えたかったことが言えて少し安堵した、
心なしかほんの少し呼吸が楽になったようだった。
このひとことで絵留美はしゃくりあげながら号泣した、
「フキさあぁぁんっ、、、」
それ以上言葉にはならないようだった。
ふうっと心地よい眠気におそわれたような気がし目を閉じた、遠のく意識の中で病室の扉が乱暴に開いて息子が大声を挙げながら飛び込んできのがうっすら視界に入ってきた……。
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