第20話 どうしようもないオンナ

渋谷で絵留美の母親と待ち合わせるも、あまりにも母親としての自覚がないばかりかアバズレのような振る舞いをするのに呆れ、振り切って帰るつもりだった。


ところが。



ギュルルル…。



お腹の音が大きく鳴ってしまう。

お腹が空いているのだと気づくも、早くここを出たい。

…だが…。

歩こうにも、14歳のカラダには空腹は耐えられないようで、フラフラしてきた。

そうこうしてるうちに母親に追いつかれてしまう。



「えるちゃん待ってよー、ツレないんだからぁ」



息を弾ませ、腕を絡めてくる。

ツンと安っぽい甘い香水のニオイが鼻につく。



「ね、もしかしてさっきのイケメンはタイプじゃなかった?それともあたしのコト気に入ったのイヤだったとか?」



ああ、どこまでもオンナでいたいのか、この母親は!

呆れてなにも言う気になれないのは確かだったが、お腹が空きすぎて腕を振りほどけないのも事実だった。



「えるちゃんお腹空いてるでしょう、さっきから腹がグーグー鳴ってんの聴こえんもん」


笑みを含んだような独特な言い回し、まるで同世代のお友達だ。



「ね、久々にマック行こっか、それともえるちゃんお得意のオヤジ引っ掛けて高いもんおごらせる?」



ああ、こんなのが母親とは!

実の娘に男を引っ掛けさせ食事を奢らせようとするとは、母親のすることではない。

私はため息をついた。



「なーにため息なんかついちゃってぇ!ま、確かに震災後のせいかな、なんか人少ないしナンパされんの厳しいかもねー!」



これで人が少ないとはたまげた、だいたい渋谷なんて何十年も来ておらず、

昔は川が流れていたことをこの女は知らないだろう。

とにかく、空腹すぎて抵抗できず、軽くなにかを口にするしかなかった。

私はそのまま絵留美の母親にゴチャゴチャした繁華街の中にあるマクドナルドまで引っ張って行かれた。



…実はマクドナルドへは行ったことがない…。

日本へ上陸したのは確か私が40代のころ、

当時はまだアメリカを連想させるようなものは自分にとってつらく、とても行きたいとは思えなかったのだ。

初めて入るマクドナルドは、安っぽい肉類のニオイが充満していて圧倒されたが、

まだ食べ盛りである絵留美のカラダには空腹を刺激されるらしく、盛大に腹がギュルギュルと鳴った。


絵留美の母親は入店するなり座席を見つけて荷物を置いた。



いててラッキーだね」



笑顔を見せ、席に座らずレジの方へずんずん歩いてく。

私はなにも考えられず席についてボンヤリしていたら、絵留美の母親が声を張り上げた。



「えるちゃーん、なにしてんのー?早く注文しよーよー」



店内に声が響く。

このとき私ははじめてこの店は店員が注文を取りに来るのでなく、

自分でするものだと気づいた。



――どれ、難儀な…――



ついいつものクセで「やれやれ」とつぶやきかけるが慌てて口をつぐむ。

席を立って絵留美の母親の側へ行くが、注文のしかたが全くわからない。



「エンリョしないで、今日はあたしがおごったげるから」



とは言われたものの、なにがなんだかわからない。

そのうち後ろに並んでた男に「おせーよ、早くしろよー!」と、文句を言われる。

髪を明るく染めた青年で、服装からしていわゆる不良に見える。



「あっらぁ〜、ごめんなさいねぇぇ、このコったらユージューでぇ」



絵留美の母親の声がワントーン高くなりどこか甘えたような口調で、

媚びを売っているのは明らかだった。



「えるちゃん、いつものにしなよ」



いつもの…と言われてもなにがなんだかわからないので、

適当に「これください」とセットを指さした。



「あら、やあねえ、あたしがおごると言ったら高いの頼んじゃってー」



そんなこと言われてもわからないからしかたないじゃないか…と反論しようとしたら、すかさず後ろに並んでいた若い男が「オレがおごってやるよ、仕事決まったばっかだし」と、申し出た。



このときの絵留美の母親の喜びようと言ったら!

とてもじゃないが子持ちの女とは思えなかった。



――見た目が若いだけでなく、中身が幼いのだな――



再びため息が出た。



注文したハンバーガーのセットの乗ったトレイを持って席に戻る。

男と母親はやたら会話が弾んでいたが、私はそれに参加する気もなくモソモソと食べていた。

初めて食べるマクドナルドのハンバーガーは日頃の自分には口に合わなさそうな代物シロモノだったが、絵留美のカラダを持つ今はおいしく感じられる。

こっちのことなんて放っておいて欲しかったのに、突然男に話をふられる。



「な、そう思うだろ?」



話を聞いていなかったのでなんのことかわからない。

必然的に無言になる。



「もういいの、そのコのことはほっといて、食べ終わったらさ、二人で遊ぼうよ」



絵留美の母親はさも面倒くさそう。

ここで私の中でなにかがプツンと切れたような気がした。



「もういい加減にしなさいよ、アンタそれでも母親かい?」



思わず怒鳴りつける。

この言葉に男は驚いた様子で、



「ゲッ、マジかよ、アンタ母親なのかよ?」



私達二人を見比べる。



「ごめーん、隠してたつもりないんだけどぉ〜」



絵留美の母親は相変わらず甘い声で悪びれた様子もない。

私はすっかり呆れ、まだ途中だが席を立った。



「帰る!」



そうひとこと言い残し、店を後にした。

最初は唖然としていた二人だったが、絵留美の母親の怒鳴り声が聞こえたような気がしたが、無視して走り去った。


なんとか電車に乗ったが、矢継ぎ早にメールが来ていた。

差し出し人は、絵留美の母親と新田主任。



――使い方教わるんじゃなかったわ――



絵留美の母親からの連絡は無視すれば良かったのだが、気になってつい開いてしまった。

メールの内容は主に「空気読め」みたいな感じだったが、やたら絵文字が多い上に変なところで平仮名が小文字になっていたりして、読みづらくて意味がわからなかった。


――平仮名もろくにわからないのか、あの女は…――


すっかり呆れてまた深いため息が出た。

のちにそれはいわゆる“ギャル文字”というものだと判明したが、

それにしたって子持ちの30前後の女が使うものなのか…と、愕然とした。

自分たちがそれくらいの年のころはもういい大人で、女としては“引退”という空気が漂っていたのだが…。

とにかく今日会ったことで、絵留美があまり良い環境とはいえない家庭で育ってきたのがよくわかった。


一方で新田主任からのメールを見るのも憂鬱だった。

やはり私がいないことが早々に露見していまっていて、ちょっとした騒ぎになっているようだ。


『どこにいるんだ?』『まさかあの女と会っているんじゃないだろうな!』


どう答えようか迷った。

カウンセラーの藤堂さんのところにいる…そうメールの入力をしようとしていたら、当の本人からの『新田くんから連絡あったけど、大丈夫なの?どこにいるの?』というメールがきていたのを見つけ、嘘はつけなくなった。

同じく学校の保健室の先生のところというのもだめだった、

こちらを心配するメールがきていたから…。

ちょっと出かけたくなったとか、色々言い訳を考えたがどれも無理があった。

しかたなく正直に絵留美の母親と会ってたことをメールで伝えたら、新田主任から着信が入った。

電車内にいた乗客はまばらとはいえ出るわけいかずにいたら、留守番電話にすごい怒声が入ってきた。



『オラァァッ!あんなにあのアバズレ腐れオンナと会うなと言うとろーが!あんなの母親と思うな!』



うっかりメッセージを聞いてしまい、すごい声量にたまげた。

同時に静かな車内に響きわたり、2〜3人しか乗客がいなかったので恥ずかしかった。

…聞こえていたはずなのだが、誰もこちらを見ようともせずに聞こえていないふり…。

これは都会ならではの無関心さを装っているのか・あるいは今時の人は皆こんななのか、よくわからなかった。

どちらにしろいたたまれなくなり、歩いて車両を移動した。



施設に戻ったのは夕方だった。

施設の最寄り駅のある地下鉄は本数が少なく、駅員に訊いてしかたなく行きと同じように私鉄を使って近くまで出た。

本来はそこからさらに地下鉄乗り換えなのだが、やはり電車があまり走っていなかったことと臨時バスも少なかったので、人に道を尋ねながら歩いたらだいぶ時間がかかってしまった。



建物が見えてきたとき仰天した、新田主任が文字通り仁王立ちして立っている!

私は足早に駆けつけた。



「バカヤローッ!!」



第一声すごい勢いで怒声が飛んだ。

殴られると思い身を縮こませたが、主任は私を抱きしめた。



「どんだけ心配したと思ってんだよ、あのオンナにウリ飛ばされちまったんじゃないかって気が気じゃなかったんだぞ…」



苦しいくらいにきつく抱きしめられる…。


こんなとき絵留美だったらどう反応するか?

『キモい、やめろよ』と言いそうだと気づいたが、言えなかった。

主任の腕の力がゆるんだが、少し震えているようにもかんじられた。












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