第18話 待ち合わせ

絵留美とまた気まずくなった直後、ベッドから落ちたと聞いて心配になった。

そもそもなんでベッドからなんて落ちたんだ?

イヤな予感しかない。



「大丈夫、フキさん軽い打撲で骨は折れてないから…ただ、絶対安静だから刺激しないように」



新田主任はそう言われ、案に遠回しに『しばらく会うな』みたいに言われた気がした。



「あんたらがついてながら何てザマだ!」



自分の息子が怒鳴り込んできたのを見かけたとき、複雑な気持ちになった。

本当は「ここの人達はなにも悪くないんだよ」と伝えたいのに伝えられない、

今の自分がそんな発言した日にゃ、小娘に叱りつけられたと逆上しかねない。

グッとこらえてやりすごした。



そうこうしてるうちに土曜日になってしまった、そう、あの絵留美の母親と会う約束をした日だ。

主任なんかに話したら、絶対にダメだと言われるだろう。

常に主任から目を離さない距離にいさせられていたため、会いに行くのが難しくかんじられた。

『当分学校へは行くな』と言われているし…。


トイレへ行くフリをして抜けだすことにした。

古典的な手だが他に思いつかないからしかたない。



「ええっと…ここからだと渋谷までどうやって行くんだい?」



とりあえず、最寄り駅まで歩いた。

施設がかなり辺鄙な場所にあるからだいぶ時間がかかったが、なんとか地下鉄の駅まで出られた。

ところが、駅は電気も点いておらず、電車走っている様子がない。

立て看板に目をやると、震災の影響で本数減らしてるらしい。

途方に暮れていると、声をかけられた。



「お客さん、どちらまで行きますか?」



振り返ると中年の人の良さそうな駅員が立っていた。



「渋谷まで出たいんだがね」



そう答えると親切に教えてくれた。



「急ぐのであれば、ここから 2キロほど先に私鉄駅があるので、そこから電車一本で行けますよ」



2キロといえば、かなり歩くかもしれないと思っていたら、



「よろしければ駅まで臨時バスも出ていますので、ご利用ください」



またも親切に教えてくれた。

この辺りに住んで長いが、渋谷なんてずっと何十年も行ってない。

まさか近くの私鉄から一本で行けるとは知らずに驚いたが、

若者の街といわれるあの場所が、絵留美にとってどんな影響を与えるのか少し気になった。

カウンセラーの話によると、一時期相手の男探すのに渋谷ウロついていたこともあったという。

洗脳され寂しさから男を探すようになってしまっていた絵留美が不憫でしょうがなかったが、それを知ってるはずの母親がなぜそんな場所選んだのか、理解ができなかった。

バスに揺られ、目的の私鉄駅に到着した。

やはり暗く閑散としていたが、先程の地下鉄に比べたらまだマシに見えた。

しばらく待つと電車がやってきた。

震災の影響による節電と本数の少なさと急行電車の見合わせの車内放送をボンヤリ聞きながら、座席に座る。

車内はガラガラで人はまばら、その表情の大半がうつむき加減でどことなく暗く見えた。

空前の大震災により、ショックを引きずる者も少なくないのだろう。

自分は先の関東大震災を知らないが、戦争を体験している。

まるで、あのときのようだ…とチラリ思い出したが、同時に忌まわしい記憶が蒸し返され、頭を抱え込んだ。

こうして自分もいまだにつらくなることがあるんだから、絵留美なんてこれから先の長い人生でどんなに苦しむのかを思うと、死にたがるのを止めるのは勝手な気もした。

けれども…。

人生ってずっとつらいことが続くわけじゃない、それがうまく伝えられないのがなんともやり切れなくなる。


そうこうしてるうちに渋谷についた、終点だった。

渋谷にきたらさすがに人出は多かったが、いつかテレビで観たときよりもうんと少なかった。

待ち合わせ時間より10分ちかく経過していた。

ハチ公像の前に何人か人がいたが、どれが絵留美の母親なのか見当もつかない。

みんな独身の若者にしか見えない…。

少し離れた場所から様子を伺っていたら、着信があった。

マナーモードにしていたが、光で気づいた。

私はそれに出ないでハチ公像の前に視線を注いだ。

…一人だけ、携帯電話を片手にキョロキョロしている娘っ子を見つけた…。

髪を金に近い明るめの茶色に染めているが、根元の黒髪がだいぶ伸びてきてしまっている。

服装はかなり派手で、短いスカートに黒く長いブーツを履いていた。

腕には外資系ブランドのバッグを下げてはいたのだが、全体の印象がだらしないせいか、安っぽく見えた。



――あれがもしかして絵留美の母親か?――



予想していたよりもずっと若く、学生と言っても通用するように見えた。

遠目に見ても爪の長さは目立ち、なにやら爪にゴチャゴチャとアクセサリーのようなものを付けている。

人を見た目で判断するのは良くないと思いつつ、こういう母親なら絵留美が苦労するのもムリはなかったんだと改めて痛感した。


じっと見つめていると、ふいにキョロキョロ見回しはじめたので慌てて隠れようとした。

どこかに身を隠そうとしたが、間に合わなかった。



「えるちゃああ〜んっ!」



携帯電話を閉じながら大声で駆けよってきた。



「んもー、相変わらず遅れてくるし、電話にも出ないから心配しちゃったじゃん!」



近くまでくると、安っぽい香水のニオイが鼻にツンときた。

母娘というより、姉妹と言っても通用しそうだった。

確か絵留美とは15歳くらいしか年が離れていないはず…だとしたら29か30歳くらいだろうか?

私は軽くめまいを覚えた。

自分たちの世代で三十路みそじといえば皆いい大人で、落ち着きがあった。

今時は皆若くなってきたとはいえ、これはいくらなんでも…という感想しか抱けなかった。

どぎついメイクにバッチリつけまつ毛…。

昭和の時代にもこういうメイクが流行していた時期はあったが、さらに派手だった。

色々と圧倒されてしまい、返す言葉が見つからなかった。



「とりあえずさぁ〜、イチマルキュー行こっ!」



こちらの都合も聞かず、元気よく歩き出す。



「いや、ちょっと待っ…」



声は届かず、ずんずん歩いてく…。

と、そのとき…。



「ねぇ、ヒマしてんの?」



うしろから声をかけられる。

振り向く間もなく、男が回り込んできた。

年の頃20代だろうか?まだ若そうに見えた。

髪を明るい色に染め、いかにも軽薄そうに見える。



「オレと遊ばない?」



背は高いがやたら色が白くヒョロヒョロしていて、馴れ馴れしく肩に手を回してきた。



「急いでるんで」



私はそう言って手を払いのけ、とりあえず絵留美の母親に追いつこうとした。

ところが…。



「えるちゃん、なにやってんの?早く来な!」



絵留美の母親が振り返ったときは、ちょうど私が男の手を払ったときだった。



「あら、ナンパ?結構イケメンじゃーん!」



意味不明な発言し、駆けよってきた。



「あれっ、ツレいたの?かわいいじゃん」



男は今度は絵留美の母親の方へ寄って行った。



「えっ、やだあ、私お兄さんよりうんと年上だよ~?かわいいだなんてー」



絵留美の母親はベタッと甘い声を出し媚びるような仕草を見せた。



「いや、おねーさんまだまだイケますって」




私はあまりのことに呆然とするしかなかった。

いくら若くて今独身でも、娘の前で見知らぬ男に声をかけられ、こんなに気安く接するものなのか!?

男と母親は、親しげにベタベタと会話が弾んでいる。

私は無性に腹が立ち、



「アンタそれでも母親かいな!」



怒鳴りつけてしまった。

絵留美の姿をした自分にいきなり怒鳴られ、母親はしばらくぽかんとしていた。



「え、マジかよ!母親ってどゆこと?お姉さんじゃないの?」



男はショックを受けた様子。



「アンタみたいなのが母親だから…」



ここまで言いかけ、口をつぐんだ。

これ以上言ったらおかしくなる、今の自分は市川フキではなく絵留美なのだから…。



「もういい!」



私はそう吐き捨てるように言い放ち、踵を返した。



「ま、待って、えるちゃ〜ん!」



なにやら叫んでいたが、追いかけてくる様子はない。



――会うんじゃなかった――



心底後悔し、帰ろうとした。


ふと携帯電話を見ると、着信履歴がすごかった。

大半が新田主任だった。

恐る恐る留守番電話に入っていたメッセージを確認すると、



『絵留美ーっ!どこなんだー!どこにいるー!』



というような悲痛な叫びばかりだった。



――こりゃ早く帰らんとな――



急いで帰るつもりだったから、電話はしなかった。

あちらでは大変な騒ぎになっているとも知らずに…。






  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る