第9話 気がかり

フキさんの息子が帰ったあと、心配したオヤジがそばにいてくれている。

はじめはあたしの手を握ろうとしたけど、思わず払いのけてしまった。

『やべー』と思ったけどもう遅い、オヤジは小声で「ごめんねフキさん」と謝って、そのままベッド脇の折りたたみイスに座っていた。



「なんか申し訳ないです、面会させないようにしてたのに…」



コワモテのオヤジがこんな優しげなセリフを吐くの、へんな感じがする。



「ああ、なんだか怖かったよ。萬田さんが勝手なことしちゃってさぁ〜」



自分じゃ精一杯フキさん演じてイケてる!って思ってたのに、オヤジはクスっと笑った。



「フキさん?なんか最近、しゃべりかたが絵留美っぽいね、一緒にいるからうつったかな?」



うわ、ダメだったか…。

どこがあたしっぽいコトバづかいだったんだろ!?

なんて訊くわけにもいかず、どう答えていいかもわかんなくて、黙りこんだ。

気まずい雰囲気の中(って、あたしだけかもしんないけど)、

工藤さんが部屋の中へ飛び込んできた。



「主任!娘さんが通う中学校から電話です!」



色白でおとなしそうな工藤さん、なんだか血相変えて息をはずませている。

そういやフキさん、あたしのフリしてガッコ行ってたんだった!

フキさんの息子とかいうおっかなそーなオヤジが来たショックで、すっかり忘れていた!!

ガッコから電話って、なんかあったの!?

イヤな予感しかしない。

行くなと言えば良かった…。


オヤジはガタっと音を立ててイスから立ち上がる。



「…学校側は、なんと?」



冷静でいよーとしてんのわかるけど、ちょっと声が震えている…。



「いえ、詳しいことはよくわからないんですが、倒れたとか…」



このセリフをきいたとたん、オヤジは駆け出し部屋を出た。

日頃あたしには施設内で走るな、と言ってたくせに…!

あたしも気になってしょうがないから後に続きたかったけど、カラダが動かない。

ここはひとつ冷静になろう。



「ねぇ、工藤さん、車イスに乗せてくんない?」



とりあえず、目の前にいる人に頼むしかない。



「おトイレかしら?」



あたしは工藤さんの質問をシカトし、カラダを起こしてもらい車イスに誘導してもらった。

車イスの扱いにもだいぶ慣れ、今では一人でなんとか動かせるようになった。

個室に入所してるからトイレは外に出なくていいんだけど、

なにがあったか気になってしょうがないあたしは、なにも考えずに部屋を出ようとした。



「ちょっ、フキさん、トイレじゃないの!?」



後ろから工藤さんが慌てて声をかけてくる。

部屋を出る言い訳を考えときゃ良かったけど、余裕がなかった。

部屋を出たあたしは必死に車イスを動かし、廊下へ出た。



「あー…」



ヘンな声が聴こえる…。

進もうとした先に、素っ裸のじーちゃんが立っているから、マジでビビった。



「うひゃあーッ!」



思わず悲鳴。

隣の部屋の、アタマのボケたじーちゃんだった。

いつも口を開けてボンヤリしてるだけなんだけど、一体どうしちゃったのか!?



後から追いかけてきた工藤さんも一瞬「ヒッ!」と悲鳴をあげかけたが、

すぐにじーちゃんのもとへ駆けつけた。



「石原さん、どうしちゃったの〜?」



声をかけながら部屋へ連れ戻しはじめた。

今だ!

あたしは全力で車イスを動かし、事務所へと向かった。



事務所の入り口のドアは開いていた。

あたしは中へ入りそっと近づいたつもりだったけど、意外と車イスがギコギコ音を立てるので、見つかんのも時間の問題だと思った。


んだけども…。


ちょうどオヤジが電話を切った後っぽく、佐々木事務長と話しこんでる姿が目に入った。

深刻な雰囲気で、あたしが近くにいることもわかってないかんじ…。

事務所には他の職員いなくて誰もあたしに気づく人がいなかった。

佐々木事務長はガッチリした体格の50くらいのオッサンで正直あたしがニガテなタイプなんだけど、オヤジが言うには特別にあたしがオヤジと一緒のシフトで働く配慮してくれて、いい人らしかった。

怖そーなオッサン二人がマジで話し合ってる…。

あたしは聞き耳を立てた。



「あの…たいへん申し訳ないんですが、娘が中学校で倒れたと連絡があったんですが…」



オヤジ、申し訳なさそーに佐々木事務長に早退願いを出している。

あたしは倒れた理由を知りたかったんだけど、言いそうにない。

佐々木事務長は手にしていた書類から目をあげた。



「新田くん、今日は早番だったね?」



「はい…夜勤組がまだ来てないんですけど…」



早番のときは、だいたい夕方にやってくる夜勤の人と入れ替わるように帰るんだけど、まだお昼になる前だ。



「病気かなにかかね?」



佐々木事務長は続けて質問をする。



「いえ…男子生徒に暴力をふるわれたと連絡を受けたのですが…」



えっ、マジか!?男子に暴力?!

暴力ってなに?殴られたの?…それとも…。



「そうか、それはたいへんだね、現場はいいからすぐ帰んなさい」



「ありがとうございます、すみませんが後よろしくお願いします」



オヤジは深々と頭を下げ、事務所を出ようとする。



「オヤ…じゃないや、主任さん」



あたしが声をかけるとオヤジは目を丸くしてビックリしている。



「おや?どうしたのフキさん、こんなとこまで?もう大丈夫なの?」



「あたしはもう平気だから!それよりフキさん、じゃなかった、え、え、絵留美になんかあったの!?」



うわ、あたしのフリしてガッコへ行ったフキさんが気になってしょーがないもんだから、ついついしゃべりかたがいつもの自分になっちゃってる上に、コーフンしてどもりまくり…。

そんなあたしを見たオヤジは、腰を屈めて目線を合わせてくれた。



「フキさん、いつもウチの絵留美を気にかけてくれて、ありがとうね。でも、心配いらないから」



そう言って肩をポンポンと軽く叩く。



「心配いらなくねーだろ!なんか、男子に襲われたって聞こえたけど、マジか!?」



うわ、しまった、またしゃべりかたが自分っぽくなっちゃったよー!

フキさん、こんな言いかたしねーよなぁ…。

慌てて手で口をふさいだけど、もう遅い。

でも、オヤジもなんだか焦ってる様子で、あたしのコトバづかいのおかしさに気づいてる余裕はなさそだった。



「詳しいことはよくわからない…とにかく急いで行かないと…フキさん、こんなときそばにいてあげられなくてゴメンね」



オヤジ申し訳なさそうにそう言うと、着替えもせずに足早に去っていった。



待って、あたしも行く!って言いそうになったけど、現実的に今の自分はフキさんで車イス…。

連絡取ろうにもケータイはなく、どーにもできない。

このまま学校へ様子見に行こうかな…。

車イスのままどこまで行けるかわからないけど、とりあえずエレベーターへ向かおうとした。



「フキさーん!どこ行くんですかー?」



佐々木事務長の声がうしろから聞こえてくる。



「部屋はそっちじゃないですよー」



あたしはまるっとシカトし、車イスでエレベーターまでgo!



ところが、どこからともなく工藤さんが駆けつけた。



「フキさん、どこ行くの〜?」



このかんじだと、エレベーターに乗って「おうちへ帰る」と言って聞かない年寄りみたいだ。

なんて、言い訳をしようか…。



「いや、ちょっと……」



あたしは精一杯作り笑いしてみる。

エレベーターはなかなか来ない、振り切って行くのムリそう。



「どこか行きたいとこあるのかなー?」



工藤さん、にこやかにあたしの目の前でしゃがみこんだ。

なんかこれ、幼稚園児への対応みたい。

自分が年寄りのカラダになってわかったことだけど、子供に対する態度とほぼおんなじっぽいのがビミョ〜。

それはともかく、この状況なんとかしなきゃ!と思っても、どーしたらいいかわかんない。

いっそホントのこと言ってみるか?

実はフキさんとあたし、入れ替わっちゃったの…なんて、信じてくれそうもないし、ヘタしたらボケたと思われそーで怖くて言えなかった。



「どうしたの?黙っちゃって」



工藤さん、心配そうにあたしの顔を覗きこんだ。

化粧っけのない地味なカオ…。

細い一重まぶたで、印象に残らないタイプだ。



「…なんでもない…」



ここは引き下がるしかない、ヘタに動いて安定剤飲まされても困るし。

あたしは工藤さんに車イスを押され、部屋へ戻るしかなかった。























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