第8話 初登校

あれから絵留美とは気まずいままだ。



――生きてりゃこれから恋するだろうし――



どうやらこれが絵留美には言ってはいけない言葉だったようだ。

一体なにがあったのかわからないが、こちらから謝ろうにも私の姿を見ると露骨にいやな顔をするもんだから、どうしようもなかった。

無視するわけにもいかず、当たり障りのない話題を選んで話しかけはしていた。


相変わらずアドレス帳にない電話番号からの着信はあり、いつも同じ番号だ(ちなみに新田主任が着信拒否した番号とは別)

なんとなく知らない電話番号からの着信の件を主任には言えずにいて、

あれから電話がかかってくるタイミングが彼が離れているときで、気づかれなかった。

出てみようにも、絵留美の交友関係(友達いないとは言ってたが…)が全くわからないうちは、出ないほうが良い気がした。

何度か絵留美に心当たりを訊いてみようと思ったのだけれど…。

恐らくは母親なんだろうが、なんとなく出ないほうが良いような気がした。

そうこうしているうちに珍しく新田主任が三日連続で休みになり、施設へは行かない・要するに絵留美とも顔を合わせる機会がなくなったため、

うやむやになってしまった。


で、今日から新学期、絵留美は中学三年生になる。

先日14歳になったばかりだからてっきり二年生になると思っていたが、早生まれという概念を忘れていた。

私は思い切って学校へ行ってみることにした。

なにか絵留美のことで色々知ることができるかもしれない、このときは単純に考えていた。



「絵留美、ムリしなくてもいいんだぞ?」



新田主任は目を潤ませていた。



「わかってるだろうけど、真っ先に保健室へ行くんだぞ?いいな?」



そう言って私の髪をクシャッと撫でた。

なぜ教室ではなく保健室なんだろうか?

このときは単に絵留美がいじめに遭ってるくらいにしか思っていなかった。



当日になって私は一人で登校した。

新田主任は車で送りたがっていたけれど、あいにくその日は早番勤務で私を送ったら仕事に遅刻してしまう。

「なにかあったら連絡するように」と、念を押された。



中学校は徒歩20分くらいの距離にあり、かなり歩く。

閑静な住宅街の中にあるその中学校は戦前からある伝統校らしいが、

何度も建て替えられているのか古めかしさを感じない。

4月4日現在、すでに桜の満開は終わって散り散り…。

昔は入学時期に桜が満開だったのが、今は気候の変動で開花が早い。

昔とまたちがうのは、クラス替えの発表が校内入り口にある掲示板に紙が貼り付けられていたのが、今は郵送で送られてくるということ。

けれどもこれはこの学校だけなのかは、よくわからない。

絵留美は一組。

クラス替えの通知だけでなく教室の場所まで記入されていて、至れり尽くせりだ。

私は案内図を片手に校舎に入り、下駄箱を開いた。



「なんじゃ、こりゃ!?」



思わず口をついでそんな言葉が出てしまったのは、絵留美の下駄箱がゴミだらけだったから…。

学校からのお知らせプリントやら丸められたティッシュなどなど、

下駄箱いっぱいに詰まっていた。

やれやれ…子供のいじめというものは…と、このときはまだ軽く考えていて、投げこまれたゴミをかき出し近場にあったクズカゴへ捨てた。

家から持ってきた上履きに履き替え、脱いだ靴を下駄箱におさめ指定された教室へと足を運ぶ。


――保健室行けと言われたけれど…いじめられて教室入れないのは納得できないね――



このときの自分は絵留美のいじめの原因を父子家庭だからだと思い込んでいた、

昔から片親家庭というものはいじめの対象になりやすいものだったから…。

堂々としていればいい!

そんな気持ちで教室の扉を開くと、若い男女が楽しそうに談笑しているのが目に飛び込んできた。

軽い取っ組み合いのようにふざけ合う男子生徒、固まって楽しそうにはしゃぐ女子生徒…。

なにもかもまぶしく、懐かしささえ覚えた。

私はそっと教室内に入り指定された自分の席についた。

しばらく教室内にいる生徒を眺めていた。

自分の目の前には三人の男子生徒が談笑していた。

そのうちこちらに背を向けて話をしていた男子生徒が振り返り、その瞬間目が合った。

それまで楽しそうにしていた男子生徒は、私を見た途端凍りついたような表情になった。

顔面にニキビがいっぱいのあどけない顔をしたその少年は、こちらを見ながら友人らとひそひそ話をはじめた。

ふと気づくと、教室内が先程とは明らかに性質のちがうどよめきに包まれていた。



『やだっ、あのコってウワサの子だよね?』『あのウワサ、マジかなー?』



女子生徒中心にこんな言葉が耳に入ってくる、ひそひそ話のつもりが相手側にも聞こえてしまうのは、今も昔も変わらないようだ。



――噂とはなんだろうか?――



果たして本当に、絵留美が仲間はずれにされる原因は父子家庭だからなんだろうか?

この刺さるような視線を向けられてしまうのは、絵留美がなにやらエラいことやらかしたのでは?

考えてもわからない、私は気にしない素振りをしていた。



『やだ、あんなコトしといてよく堂々と学校にカオ出せるよねー』『恥ずかしくないのかなー』



この言葉が耳に飛び込んできたとき、なにがあったのか、非常に気になってきた。

不登校の理由を訊いておくべきだった。

そこへ体格の良い男子生徒が目の前にやってきた。

学ランのボタンを一つも留めずに全開にし、真っ赤でハデなTシャツをのぞかせたその少年は、髪を明るくしていて見るからに不良そのものだった。



「おい!お前さぁ〜、例の動画のオンナだろ?」



馴れ馴れしく乱暴に話かけられるも言ってることがサッパリわからず、



「…え?ドウガ?」



そう返すので精一杯。



「とぼけんなよ!オマエがエンコーしてたの、誰もが知ってんだよ!」



エンコ?

絵留美のヤツ、車の運転でもしてたのか!?

そんな事実を聞かされていなかった私は、目をパチクリさせるしかなかった。



「ヘッ!とぼけやがって」



少年は蔑むように言葉を吐き捨てると、懐から真っ黒い携帯電話を取り出して、

なにやら操作をはじめた。

……そして……。

私の目の前に画面を突きつけた。


自分の目に飛び込んできたのは………。



最初は“男女がまぐわっているポルノ映画”だと思った、ところが女をよく見た私は愕然とした。



誰がどう見ても絵留美!!!



髪の色は今より明るく染められているけれど、どう見ても絵留美そのもの…。

しかも相手の男が『絵留美ちゃん…可愛いよ』なんて言葉をささやきかけているもんだから、人ちがいであるはずもなかった。



――絵留美のヤツ…恋人でもいたのか!?――



そう思ったが、男が不自然に年上すぎる。

どう見てもヒゲを生やした小太りの中年の男で、父親である新田主任より年上らしく見える。

私は自分でも耳まで赤くなるのがわかった。



「おめー、やらしいオンナだよなー!」



気がつくと自分の周りはたくさんの男子生徒が群がっていた。



「ゲーッ、マジかよ!?」「初めてみたー!」「ヤベエ、勃ってきたかも!」



私はうつむくしかなかった。



――絵留美のヤツ…ずっと父親のいない生活をしてきたから、ファザコンだったのだろうか…――



そう思ったが、



「しっかしオマエもこんなオヤジとよくやるよなー!いくらカネもらったんだよ?」



不良少年のこのひとことで、全てがわかったような気がした。



――え?まさか…――



少年は携帯電話を操作し、「見ろよこれ」と、画面を押しつけてきた。

いやでも目に飛び込んできたのは、コトを終えたあとにまだ裸で寝転がっている絵留美に対し万札を何枚か散らしている映像…。

誰がどう見ても体を売っているようにしか見えない…。



――絵留美が死にたがっている理由って、これなのか!?一体なぜに売春なんてやっていたのか?――



これじゃ、絵留美が話したがらないのもうなずける。



ここで急に不良少年が屈んできて私の肩を抱き、



『なぁ、オレにもヤらせろよ』



耳元でささやいてきた。



「ッツ!」



私は声にならない悲鳴を挙げて手を払いのけ、教室を飛び出した。



「おい、逃げんじゃねーよ!」



不良少年が追いかけてくる…。


どうしよう、助けて!


新田主任に電話…と思ったが、逃げるのに精一杯でポケットに手が伸びない。


やだ、あのときを思い出す!


自分の脳裏に複数の米兵が思い浮かび、慌てて首を振る。



――あのときとはちがうんだ!!――



女子トイレが見えてきたので、そこに逃げ込もうとした。

けれども、寸前でグッと力強く左肩を引かれ、その反動で後ろにひっくり返ってしまい、背中が地面に強く打ちつけられた。

するどい痛みを感じる…。



「へっへっへっ…」



いやらしい笑い声が耳元に届き、ゴツゴツとした手が伸びてきたので払いのけようとしたが、体が思うように動かない。



そのまま私の意識は遠のいた……。








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