第6話 ケータイ操作

新田主任の娘っ子と体が入れ替わって困ったことのひとつに、携帯電話の存在があった。

はじめのころは施設へ行くたびに絵留美に渡し、操作をしてもらっていた。



「ったく、マジ使えねー!」



絵留美は老婆の私の体になり操作に色々不自由しているようで、しばしば悪態をついていた。

今年86歳になる自分の体は、骨折して歩けなくなった以外はたいして不自由ないと思っていたが、まだ14になったばかりの小娘には使い勝手が良くないようで、色々思うとおりにはいかないようだ。



「字が見えねー!視力下がっちゃったかなぁー!?」



…そりゃ、老人にもなりゃ小さい字が見えにくくなるのは当たり前なんだけど…。

そんな絵留美にムリさせるのを申し訳なく感じた。

本当は携帯電話なんぞ私が持っていてもしかたないから、どうでも良かったのだが…。



「おい、絵留美!スルーするんじゃねーよ!なぜレスくらいできない!?」



ある日、父親である新田主任に叱られてしまった。



「え…?」



相手の言ってることの意味がさっぱりわからず、目をパチクリさせてしまった。



「ケータイオモチャにできなくなった途端、コレだからな!とにかく、ケータイの本来の役割は、緊急連絡のためのものだからな!常に意識するように!」



「…はーい…」



言ってることの意味が半分くらいしか理解できなかったが、とりあえず返事。

なんとなく“携帯電話を使いこなさないとマズイ”というのはわかったので、

絵留美から直接操作を教わることにした。



「あー、やっぱそーなったか!電話はこないだ教えたからバッチリなハズだからね、メールはちょっとしか教えなかったもんね」



どうやら自分、携帯電話での手紙のやり取りのしかたを最初に教わったはずなのに、使いこなせていなかったらしい。


ピンクの携帯電話を私に差し出す。



「悪いけどさぁ、あたし目がよく見えないからさぁ、ケータイの文字おっきくしちゃったよ?いいでしょ?」



手渡された携帯電話の画面を見ると、文字が大きくなっていた。

それにしても驚いたものだ。

自分が子供の頃なんて自宅に電話がある家庭すら少ない時代だったのに、

今じゃ手のひらサイズの小さな機械になり、電話だけでなく手紙のやり取りもできて、絵留美のような子供までもが持っている。




「いい?フキさん、使いかた教えるからさ、もっとこっち寄って」



今日の絵留美、薄紫色のパジャマを着ていた、私のお気に入り。

こうして客観的に自分の姿を見ると、薄紫色が全く似合っていない…。

くすんだシワシワの肌は決して色が白いほうではないから、なおさらだ。

白髪頭はきれいに整えられてはいるが、ツヤがない。

理由は知らないが、絵留美には生きる気力がなかったようで体が入れ替わって喜んでいたが、果たしてピチッとした14歳からいきなり85歳のシワくちゃ老婆になってしまって、それで良かったのだろうかと、心が痛む。


「まず、文字入力のしかた」



絵留美はていねいに操作方法を教えてくれる。

以前の自分ならすぐに「ムリ」と投げ出し覚えるどころではなかったろうが、

絵留美の体を得て脳が若返っているのか、スルスル面白いくらいに吸収されていくかんじがした。

文字入力中に予測変換で様々な言葉が出てくるのを面白く感じた。

これでは今時の若者は手紙の書き方がわからなくなりそうだと思ったが、実に便利だ。


「文字を入力するのに、親指がくたびれるねぇ」



思わずつぶやくと、



「大丈夫、そのうち慣れるって!あたしは、両手で打ってたこともあるけどねー」



絵留美はそう言って私から携帯電話を取り上げ操作をするもなかなか思うように指が動かないようで、「んだよ、コレ!」小声で悪態をつきながら四苦八苦、なんだか見ていて不憫になってきた。



「ねぇ…本当に後悔してないのかい?」



この問いかけに絵留美の手が止まる。



「なにが?」



なんだか不貞腐ふてくされているような表情に見えたが、構わず疑問を投げかける。



「なんでも体の自由がきく10代からいきなり80代になってしまって、なにかと不便だろう?お前さん死にたがってるようだけど、生きてりゃこれから恋だってするだろうし…」



とここで最後まで言い切らないうちに、絵留美がすごい剣幕でまくし立てた。



「あたしにはそんな人生縁がねーからいいんだよッ!」



その表情は怒っているようにも悲しみに満ちているようにも見えて、一体なぜ若い娘がそこまで自分の人生をあきらめきって絶望をしているのか…、

なんとなく悪い想像しかできない。



――失恋でもしたかね?…それとも…いや、まさかね…――



なにやら深い事情があるような気がしたが、

それ以上訊くのははばかられた。


いつか自分から話すまで待とう…そう思い、枕元に放り投げられた携帯電話をそっと手にし、個室を後にした。



施設でのボランティアを終え、帰宅してからはひたすら携帯電話での文字入力の練習をしてみた。

夕食は、自分は料理ができるのでいつもお世話になっている主任に色々作ってあげたかったのだが、絵留美自身が全く料理ができずにやったこともない…というもんだから、主任に任せっきりだった。

そのおかげで、時間ができる。

今日も主任が台所で夕食作りに奮闘ふんとうしていた(絵留美と暮らすようになってからの彼の勤務は、早番か夜勤のみになっていた)

本当は私も夕食作りを手伝いたかったのだが、

それまでの絵留美がなにもできないと聞かされていたので、手出しできないのがもどかしかった。

体が元に戻るまで、早く絵留美の生活に慣れるしかない。


…本当は、互いの生活に慣れてなりきるより、元に戻る方法を考えるべきなんだが…。


そう絵留美に話を振っても、首を縦に振らない。



「あたし、早く死にたいからいいんだ」



って…。



なにをバカなことを!と、怒りたいとこなんだが、なにかわけがあるのだろうと、引くしかなかった。

いずれ、絵留美のほうからワケを話してくれるまで待とう…。



とにかく今は入れ替わり生活を徹底させ、落ち着いたら考えよう…。



色々と考えごとをしながら携帯メールの練習をしている最中に、

画面が急に切り変わって電話番号らしきものが表示された。

絵留美いわく、アドレス帳に登録されている電話番号だったら名前が表示されるとのこと、けれどもかかってきたそれは、電話番号のみだった。



――知らない電話番号は出るなと言ってたよな――



無視しようかと思ったが、気になってしょうがない。

出ようかどうしようか迷っているうちに、電話は切れてしまった。



「今の電話、誰からなんだ?」



着信音を聞きつけた新田主任が、台所から顔を覗かせた。

その表情は、非常にけわしかった。



「知らない」



私はそう言って着信履歴を見せた。



「まさかな…」



新田主任は険しい表情でつぶやき、かかってきた番号にかけ直す。



「もしもし?」



相手側が出た様子だったが、



「チッ!切れやがった!」



主任の舌打ちで、あまり歓迎されない存在からのものと容易に想像ができた。



――もしかして、絵留美の母親だろうか?――



主任はすぐ携帯電話を返さず、操作をはじめた。



「着信拒否しといたからな、ちがうかもしれないが、あの女とはもう関わるな!」



そう言って携帯電話を返してくれた。



――あの女って、誰?やっぱり母親か?――



訊けない…。

絵留美に訊くのも、なんだかはばかられた。



…その後、表示のない電話番号や公衆電話から幾度となくかかってくるようになり、気になってしかたなくなる。


――絵留美の母親って、どんな人だったのだろうか?新田主任があの女呼ばわりするには何やらワケありそうだ――


入れ替わり期間中、接触する機会はあるのだろうか?

普通は離婚したなら親権は母親で面会もありそうだが、どうやら複雑な事情を抱えていそうだ。

その事情が想像を絶するものだと、このときの自分は知るよしもなかった。


















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