柚子音「それがこちらになります」 鷹谷「何でだぁぁぁぁぁ!!!」
「……疲れた」
鷹谷はぐったりとした様子でパイプ椅子にもたれかかった。あの先輩とは正直同じ空間にいるだけで疲労が貯まる
何故か先程部室に押し掛けてきた沼崎草平はあの後5分程どうでもいいような話をだらだらとし続けてからボクシング部へと帰っていった。現在は8時15分である
「………ぶっちゃけ香の尻拭いと同じくらい疲れた」
「……お疲れ様、鷹谷君」
「え?鷹ちゃん何か言った?」
うわ言のように疲れたと言う鷹谷に謙太郎が労いの言葉とコーヒーを差し出す。それをありがたく受け取りコーヒーに口をつけた、たった今部室で淹れたものらしく滅茶苦茶熱かった
熱いついでに香の問いかけは無視した
「……先輩はあの人の事が苦手なんですか?」
鷹谷がコーヒーに口を付けるとほぼ同時に声が掛けられた、泉菜だった。さっきまでは目も合わせてくれなかったのだが……どういった心境の変化だろうか
「あ…あぁ、正直あの人は苦手だな。」
また怖がられて無限ループだけは勘弁してほしい鷹谷は少々慎重に返事を返した。ただしその所為で少しぎこちない返事になった気がしないでもない
「うーん、正直私もあの人は無理っす」
ソファに体を埋めた鏡が眉をひそめながら言う
「なんというか……あんまり柄のよさそうな人じゃないっすよね。というかボクシング部ってなんかあんな感じの人多くなかったっすか?」
「犯罪スレスレ情報部に言われたらおしまいだっての…」
そう返した鷹谷だったが鏡の記憶は間違いではないことを理解していた
ボクシング部には高等部へと進学してから約1年と僅か程お世話になったがどうもあの先輩は好きになれなかった、というよりボクシング部の部員は25人ほどいるのだが半数以上は沼崎と近いような空気の持ち主でどうもボクシング部そのものに馴染めなかったのだ。まぁだからこそ昨日特に抵抗なく退部できたのだが
「喧嘩とかもよくするし補導を受けることも多い……そんな感じなんだよね」
柚子音がポツリと呟いた。そういえば先程1年の時に同じクラスだと言っていた、だから知っているのだろう。いやこの部活の部長である彼女なら普通に調べていた可能性もあるのだが
「それにしても随分チンピラみたいな先輩だったけど何で鷹ちゃんはあの人の居る部活に入ったの?」
「当時から部長だったわけねーだろ、部長になったのは俺が入ってから数ヵ月後だよ」
当時の部長は真面目な体育会系の人で部員もあんな連中ばかりでは無かったのだ。それなのに何故か次の部長があの沼崎になりそれ以来沼崎と似通った空気を持つ連中、つまるところのチンピラみたいな奴が増え始め当初からいた真面目な部員は居心地が悪くなり他の部活へ移り始め、その結果として今の半分以上が馬鹿丸出しチンピラで構成されたボクシング部の出来上がりとなった訳だ
「……篠原さんの言うように沼崎さんは喧嘩を吹っ掛ける、授業にもろくに出てない、補導の常連……まぁようするに今時漫画でも珍しい絵に描いたような不良だと聞いてるけど…確かに何であんな人が部長になれたんだろうね」
「確かに不思議っすね、何でだろ?ねぇ泉菜ちゃん」
「何で私に振るんですか?振るなら元ボクシング部のこの先輩に振ってください」
「はいはい、とりあえずこのお話は一旦ここまでだよ~」
当初の話題とずれた空気をリセットするように柚子音が手を叩き声を上げる、沼崎の乱入によって忘れていたがこれはあくまで部活なのだ
「さてさて、とりあえず今日の部活の予定を説明するよ。特に鷹谷君、仮入部だけどしっかり参加してね」
「…分かりました」
鷹谷が一拍置いて返事をする。ちなみに一拍の中で何があったと言うと仮入部という単語がトリガーとなり昨日の出来事がフラッシュバックしていたのだ。
ボクシング部も最低だったがここも大概だったな…一瞬そんな事を考えた
「え~と、で今日の、予定は……」
そう言いながら柚子音は鍵付の棚を開け中をごそごそと探り始めた。予定表でも配るのだろうか、と考えている間に柚子音が数枚の紙と共に棚から腕を引っ張り出し、取り出した紙の内1枚を鷹谷に差し出す。いや、どちらかというとそれは押し付けるといった方が適当な動作であったが
「……何ですか?予定表か何かですか?」
「ん?違うよ?」
開いてみてると確かにどうやら予定表では無いらしい。一般的なノートと同じくらいの大きさのこの紙には明らかに特定の誰かに向けた文章が印刷されている。
「えっと……手紙…?」
「うん、正解。そうだよ」
柚子音が鷹谷の解答を肯定した。やはりこれは手紙であるらしい。しかし――――
「書いてある意味がよく分からないんですけど」
そう、あくまでざっと目を通しただけだったが鷹谷にはここに書かれている意味がよく分からない。否、正確には『何を言っているか』は分かるが『何が言いたいか』が分からないのだ
しかし柚子音の返しは奇妙な物だった
「あ、大丈夫。君には理解できなくても問題ないから」
「……………は?」
何故だろう。今意味の分からない返しがされた気がした。鷹谷が微妙な表情のままどう返すべきか考える。ちなみに横では泉菜が「そう言うこと言ったら……」とでも言うように頭を抱えていたが鷹谷が気付くことは無かった
「篠原さん、色々と足りないよ」
「ん?そう?」
「うん、そうなんだよ」
「そっか~」
どうやら鷹谷が受け取った言葉は柚子音が言わんとしている真意とはズレていたらしい。謙太郎に促されて柚子音が先の発言に至った真意とやらを語り始めた
「え~とね、そもそもこの手紙は私たちが読むために書かれたものじゃないんだよ」
「……じゃあ誰のための手紙なんですか」
「あっはっは。それを今から説明するのだよ。そう急くなよタカソン君」
鷹谷に妙なあだ名をつけた上でヘラヘラと笑う。正直この先輩を殴りたい。ちなみにその先輩は現在どこから話したものか、とでも言うような表情をしている
「うん………ある人――仮にAさんとしようか。その人が―――そうだね、Nさんと喧嘩のようなものをしたらしくて」
「何でAさんの次がNさん何ですか?Bさんじゃなくて」
「…………それでね」
「聞いてます?」
あくまでシカトするつもりのようである。
「で、なんやかんやでこのままではまずい、と判断したAさんはそのNさんと和解する算段を建てたんだよ」
「…………で?」
「その算段こそがこの手紙」
「……つまりそれを書くのを情報部が代行したんですか?」
だとすればまぁそこそこ善良と言える活動だと言える―――という鷹谷の考えは他ならぬ柚子音の次の一言で否定された
「いやいや、違うよ。確かに頼まれればやったりもするけど」
「………じゃあ何でこんなものがここに?」
「え?香君に頼んで取ってきて貰ったんだよ」
「は?」
絶句した。一体この先輩が何をおっしゃっているのか分からない
「え………と、どういう事ですか?」
「そのまんまだよ?AさんがNさん宛に出したものをちょっくら盗んd―――拝借したんだよ」
「オイアンタ何言いかけた」
「まぁまぁ、気にしないで行こうぜ鷹ちゃん」
「テメーも何言ってんだ馬鹿!」
香まで割り込んで来た。もう駄目だ、こいつらの価値観に付いていけない、いやむしろ付いていってはいけない。本当に何なのだろうかこの連中は、というより何がしたいのだろうか、そもそも自分は何と戦っているんだ
「何かと戦ってるの?」
「うるせぇ黙れ思考読み取りマシーン」
「え、と?それで篠原さん。それでその回収してきた手紙をどうするつもりなんだい?」
このままでは何も生まれないと判断した謙太郎が話を戻す。最大の問題点を放置したままだがもう何だかどうでもいいだろう
「あぁ、もう仕込みは終わったから。後は元に戻すだけだよ」
「へぇ……え?何?仕込み?」
何だか妙な単語が聞こえたようで謙太郎が思わずといった様子で聞き返す
「Year☆仕込みだよ」
しかし当の本人はこの様子。この調子ではおそらく何で聞き返されたのか分かっていない
「………部長、仕込みってどういう意味ですか?」
泉菜が半眼を作りながら問いただす。また何か厄介な真似をとでも言わんばかりの表情である
「いやいや、どういう意味も何もそのまんまの意味だよ。ちょっと細工しただけ、心配無いよ」
「……何が心配無いんですか馬鹿ですか」
「馬鹿とは光栄だね~、馬鹿と天才は紙一重っていうしさ」
あまりの意味不明っぷりに泉菜が毒を吐いた。今朝の事といいおそらくこれが素なのだろう。そしてその毒をかるく流す柚子音も柚子音である。最もこの部活ではそれくらいでなければやっていけないのかも知れないが
「いや~、それにしてもさっき沼崎君が来たときは焦ったね。あの人なら棚の中とか勝手に探られかねないと思ったし。沼崎君だけには見られるとまずいんだもん」
「?何で沼崎先輩の名前が出てくるんですか?さっき来ましたけど『だけには』ってどういう意味で?」
確かにさっき沼崎は来た。だが何故『だけには』等と言う台詞が出てくるのだろうか。だがその答えはあっさりもたらされた
「あぁ、それは手紙の裏を見てみれば分かるよ。誰のための手紙かっていうのも込みで」
「え?」
嫌な予感に手紙を裏返してみる
「……………」
「?どうしたんですか先輩」
「何か変なことでも書いてあったのかい?」
鷹谷の沈黙を見て泉菜と謙太郎も覗き込む。すると
「え?」
「これは……」
間もなくそんな声がした。そこに書かれていた文字は
―――沼崎草平へ
何だろう、予想通りかつとんでもない文字が見えた気がする
「………つまり、というかやっぱこの手紙は……」
鷹谷の額から冷や汗が滴り落ちる
「Aさんが沼崎君宛に出したものを回収して偽造したものがこちらになります」
「……………」
一瞬の沈黙の後
「何やってんのぉぉぉぉぉこの人ぉぉぉぉぉ!?」
鷹谷の怒号が情報部の部室に響き渡った
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