柚子音「来客なう」 鷹谷&泉菜「早く帰ればいいのに」

「皆、おはよー」


 そんなベタな挨拶と共に柚子音が部室に来たのは8時5分頃。もっと言うならそれは鷹谷が香をドアもろとも吹っ飛ばし泉菜に恐ろしいものを見るような目で見られた約10秒後の事だった。


 そして今は香が馬鹿特有の異様な復帰力(?)で目を覚まし、仮入部員である鷹谷を含め全員が適当な場所に座った所であった。


 ちなみにドアは偶然()にもスペアがあったので事なきを得た。残骸は部室の一角にまとめて放置されている


「はい、というわけでちゃんと鷹谷君も来てくれたね。拍手~」


「拍手~、じゃないですけど。馬鹿にしてるんですか」


 柚子音の声を合図に鷹谷と泉菜を除く四人分の拍手が響く、と同時に先程と変わらず泉菜の横でパイプ椅子に座っている鷹谷が以前不機嫌そうな抗議の声をあげた。ちなみに未だに泉菜の顔を視界から外している


 どうやら彼は香曰く、「悪い人じゃないから大丈夫♪」らしい。しかし泉菜には彼が悪い人ではなくとも怖い人に見えていた。約30分前、いきなりの毒舌を誤射しても怒らなかった時は気まずくはあれど内心腕の1本2本を覚悟しかけた自分にとっては九死に一生を得た思いだった。のだが「不慮の事故」により空気が大破、そこに割って入ろうとした謙太郎の助け船は出すより先に馬鹿の乱入により轟沈。そしてその馬鹿をドアもろとも容易く吹っ飛ばした鷹谷は泉菜にとって食物連鎖の頂点に立つ猛獣もとい「怖い人」であったのだ


 もしかしたら抑止力とはこういう意味だったのかと緊張と恐怖、あと気まずさで停止寸前の脳でぼんやりと考えてみた。何せどうして彼をそこまで引き入れる事に拘るのかということについて柚子音は「きっと抑止力になってくれるから」というアバウトな答しか寄越さなかったのだ


 そもそもその話、抑止力という答自体があまり信用できない。何も嘘をついているとは言わないがこの部長、何か違うことを考えているような気がしてならない。篠原柚子音とはそういう人物なのだ


「泉菜ちゃん、泉菜ちゃん?」


 自分を呼ぶ声で我に帰る。柚子音だった。


「あ、すいません。何でしょう?」


 とりあえずは声のする方を向こうとしたが何故か向き合おうとすると鷹谷を挟んで向かい合う形になるポジショニングをしやがっていたので断念して明後日の方向を向きながら話をすることにした


「うん、とりあえず昨日私達は鷹谷君に自己紹介したけど泉菜ちゃんの口からは自己紹介聞いてないでしょ?だからさ。あと何でこっち向いてくれないの?」


「いえ、今朝しました」


「あ、泉菜ちゃん朝早いからね。鷹谷君も早めに来てくれてたみたいだし。それで何でこっち向いてくれないの?」


 柚子音が訝しげに眉をひそめた(ような映像が脳裏に浮かんだ)、まぁ実際今の自分の会話の仕方は誰から見ても不自然だろう。挙動不審そのものである。するとー


「はい、何かこの子早くから来てみたいで。その時にしてくれたんですよ(棒読み)」


「そうなんだ~、ちなみにさっきから泉菜ちゃんがこっち向いてくれないんだけど何か知ってる?」


「知りません(棒読み)」


 どうやら鷹谷が助け船を出してくれたらしい。結果柚子音の会話の対象は見事鷹谷に移り変わったようである。さっき自分が猛獣だなんだという感想を抱いたのがなんだか申し訳なく感じた


 まぁ、やや棒読みが過ぎる気もするが謙太郎のような轟沈は避けられそうだった


 とは言え自分もいつまでも鷹谷を視界から外しておく訳にもいくまい。まだ気まずいのは否定しないがそもそもの原因は自分の誤射にあるわけであって―――――流石にリセットするべきだろう。そう考えた泉菜は気分を落ち着けるために自分の鞄に手を伸ばした、確か中に水筒が入っていたはずだ―――



「あ、どーも。」


 鞄に手が触れるか触れないかといった所でドアがガラリと開け放たれた、入ってきたのは筋肉質で少々ガラの悪そうな男。おそらくは高等部の3年生


「あ、どうも部長……あ、いや元部長?」


 鷹谷が一泊おいて反応を返す。察するにこの男は鷹谷が昨日まで所属していたボクシング部の部長であるらしい


 泉菜は視線だけを動かし鷹谷の方をチラリと見る。何か苦虫を噛み潰したような、あまり良い表情ではない、少なくとも鷹谷の表情はどう見てもこの人物を歓迎しているようには見えない


 いや、つい昨日退部したばかりの先輩に会ったら確かに気まずいのだろうと言えばそうなのだがこれは何というか、元からこの人物を好意的に思っていないような表情、少なくとも泉菜の目にはそう映った


「えーと、3年2組の沼崎ぬまさき草平そうへい君、ボクシング部の部長。ってことは鷹谷君に何か用かな」


「え?何?俺の事知ってるの?」


 柚子音が簡易的なプロフィールを読み上げる、すると沼崎という男はややオーバー気味なリアクションをする。やはりというかあまり頭の良さそうな人物ではない


「知ってるっていうか覚えてるだけだよ。高等部の1年の時に同じクラスだったでしょ」


「あっれ~?そうだっけ?ごめんごめん俺物覚え悪くてさ~」


 よく笑うしよく喋る男だ、最も字面だけなら香と同種に見えるがそれとは違う、香は見ている分には楽しいのだが何というか、こちらは見ていて不快な印象を受ける。目障りだと泉菜は心の中で密かに毒づいた


 隣に目を向けると鷹谷がまるで悪いのは物覚えだけじゃないだろうとでも言わんばかりの目を向けているが沼崎がそれに気付く様子はない


 以前香が鷹谷について「今の部活にそこまで思い入れは無いんじゃないかな」と言っていたが確かにこんな軽薄でガラの悪そうな人物が部長をしている部活ならむしろ早々に出ていきたいと思うだろう。最も沼崎と同類である人物ならばその限りではないだろうが


「それで沼崎君、何の用かな?」


「いや、別に?ただ後輩がこの部活に入ったていうから顔見とこーと思ってさ?」


「へぇー、だそうだよ鷹谷君?」


 ヘラヘラとした沼崎の台詞を聞き終えた柚子音が首を軽く傾け鷹谷の方を振り替える。その表情はいつもと同じ様に穏和そうな笑みを浮かべており、そこから彼女の思考を伺い知る事は出来なかった。いつも通りの柚子音だった


「そうですか、わざわざありがとうございます」


 鷹谷が沼崎に向かい軽く頭を下げる。その顔は柚子音と同じ様に笑み貼り付けているように見えた、が泉菜には彼がストレスを感じているのがありありと感じ取れた。いわゆる社交辞令というやつだろう


 しかしやはりというべきか、沼崎がそれに気付く様子は無く


「本当、お変わりないようで」


 という社交辞令の笑顔を貼り付けたままの鷹谷の一言が全てを物語っていた


 どうやらこの人もいつも通りらしい

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る