特務I部


僕の体は一室にある。

僕の記憶は頭の中にある。

僕の心は頭の中にある。


けれど僕は過去を見ていた。



僕の意識は、開かない窓枠が一つついただけの部屋の中にあって、そこ真っ暗。けれど窓の向こうには光が見えた、それが過去。

両親とはガデンタール大陸外の屍溢るる街で邂逅した。


死骸の中の一人に光が差していた。

「一緒に行きましょう」

「君は一人じゃない」



泥と埃と垢に塗れ、死体から剥ぎ取った襤褸襤褸の衣服を纏った黒髪、黒目の少年は二人に手を取られて立ち上がる。

二人は少年に微笑み、 少年は然無顔をしていた。


我ながら相当な阿呆面だと思う。だが、それと同時に疑問符が浮かんだ。両親は何故、僕、を助けたのだろうか。

僕は文字が書けず、読めなかった。ナイフ、フォークも使えなかった。無知蒙昧、少年の存在を端的に表す単語だ。


両親は男子が欲しかったのか。けれど子の出来ない身体と聞いたことは一切無い。それに王国には孤児院がある、子供なんて幾らでもいる。


けれど母と、父は僕を助けてくれた。


それは真実か、本当に僕を助けたのだろうか?

彼らが求めていたのは僕の内部、僕だけが持つ何かの力、そうではないのか?


そうだとしても、僕は感謝している事に変わりは無い。

二人の救いが打算的だとしても、僕は二人に敬意を払う。


けれど僕はこう言ってほしかった。


「私達は貴方を愛していないの」

「僕は君の力が、存在のみが欲しかった」


二人の死を理解し、戻ることのない過去を見ても僕が涙を流す事は出来なかった。


僕は最低だ、泣けない僕は最低だ。だからどうか二人が僕を愛していないで欲しい。二人は僕を利用する事ばかりを考えていた、だから僕は二人を愛していなかった、涙を流せないのだ。


そうだ、僕は悪くない。僕は否定されるべき存在ではない。何の罪も無い。


「サヘル、私は貴方の母よ」

「サヘル、君は自慢の息子だ」


やめてくれ、頼む。僕は愛されたくなんかない。お願いだ、死者の声が僕の耳許で反響する。


ぱっと、意識は現実に戻された。僕の眼球は天井を向いていて、真っ白に統一された調度の中にいた。しかし、少ししてそれは調度でなかった事が分かる。

僕の背中にはごわごわとした異物感と、じんわりとした鈍い痛み。そして僕の体があるのはベッドの上、居場所を推論する条件は十分。

部屋の東側の窓から白い光が差し込んでいる。


僕は病院の一室にいたのだ。僕の記憶は機甲ノ王の背後からアンクルの声が聞こえた時に失われ、誰かがこの病院まで僕を連れてきてくれたという事になる。

そうだ、ルミナは。


僕なんかはどうでもいい。妹は吐血していた、もしルミナを失えば僕に生の意味は無い。

怖い、怖い、恐れている、震えが止まらない。ルミナを失った時の感情が想像出来ない。


病室の扉は引戸で、統一された白についた銀色の取っ手と曇ったガラスの向こうから足音がした。

音が扉の手前で止まり、扉が横にずれる。 頭部の位置は不変で、視線だけを向ける。

現れたのは黒髪をポニーテールに纏め白のワンピース姿のルミナと、前会った時と同じ服装のアンクルだった。


ルミナは僕を視界に捉え、ゆっくりと壁を伝うようにして歩く。僕の横まできて、立ち止まる。それから僕の胸許のあたりに掛かった毛布に縋り付き、顔を埋めた。


泣いているのか、顔を上げずに声ひとつ上げない。どう慰めようか、ルミナは何も言わない。

アンクルはどうしたものかと困惑し、頭に手を置いている。

ルミナの背中で左手を使って鼓動と同じリズムを刻む。


「傷は大丈夫?」


嗚咽交じりの声で、顔を俯かせたまま頭を縦に振って返答してくる。


「3日も、寝てた貴方に、無事を尋ねられる謂れは、無い」


吃りながら放つ言葉、ルミナは今どんな表情を湛えているのだろう。涙を、怒りを、もしかしたら無力を感じているのか。

僕は3日も寝ていたらしいが実感は無い。疲労はしっかりと残存している。

巨躯との対峙に感じた威圧感と恐懼が頭の中に傷の様に刻まれている、あとは怒鳴ってしまった罪悪感も。


「ごめん、怒鳴って」

「そんなのどうだっていい、死ななきゃ悲しく無い訳じゃないの。分かってよ」


何も言わず、僕は鼓動を手で刻み続けた。



「ルミナ、悪いがサヘルイスに話をしなければならない。席を外してもらえないか」

アンクルの遠慮がちな言葉に、ルミナは抵抗無く首肯する。

またね、ルミナは手を振って微笑む。目元には陽光を受け光を反射する涙痕が浮かんでいた。


アンクルはルミナが部屋を出たのを確認すると、深々と頭を下げた。僕は面食らって慌てふためく。


「すまなかった、私の力量不足で君たち双子に重傷を負わせてしまうことになって」


深々と謝意を示すアンクルだがアンクルに一切の非はない。僕が傷付いたのは、自身の行動の結果。

そしてルミナが傷付いたのは他の誰でも無く、鉛色の巨躯、アンクルが機甲ノ王と呼んだあいつの所為だ。

僕はその謝罪の意思を突き返す。

「アンクル、いやアンクルさん。ルミナが生きているのは貴方のお陰です。貴方が居なければ死んでいた」


間違いなく、疑う余地は無い。だがアンクルは頭を振った。

「それは違う、私は機甲ノ王に敗北した。君が居なければルミナは死んでいた。サヘルイス、君がルミナを救ったんだ」


余り褒められるのは得意ではないので、有り難く受け止め、その話はここで受け止めにする。

ところでアンクルと同じ支給されたであろう黒服を纏った集団と宰相が見えない事が気になった。


「宰相と、黒服の方々は?」

「宰相は元々忍びでね。君の父シューベステンとは親しかったから、直接挨拶がしたかった様だ、奴らのお陰で散々だったがね。部下は全員護衛さ。それと、宰相から君宛の手紙を預かっている」


アンクルは懐、内側の胸ポケットから白色の封筒の中を取り出す。僕は毛布の中から手を出し、それを受け取った。

中身は学校に届いた手紙とは対極的で、砕けた口語調の美しい造形の文字列が書かれている。

上体を起こし、読む。

『サヘルイス・エンヴィ、君の父とは良き友であった。その息子である君に伝えなければならない事が多くある。

両親の死、ルミナくんがなぜ狙われたか、機甲ノ王と君の力について。


両親の死について、いや前提として王の存在と力について教えなければならない。

王とは魔術を超越し、一次元上層に存在する力の所持者だ、王の力を魔術で妨害する事は不可能であり、魔術に対し絶対的優位性を持つ。


次に君の母親は灰ノ王の力を所有していた、だからその力を知った、恐らくは不死ノ王に襲撃され殺されたのだろう。

そしてその娘であるルミナもまた灰ノ王の力を携えている、力の存在に気付かない様だけれど万物を灰に変換する力が必ず備わっているはずだ。


そして君自身も王だ。機甲ノ王を跪かせた事、衰えさせた力から見て衰亡ノ王といったところだろう。

分からない事があればアンクルに聞いてくれ。彼らは王国騎士特務機関I部、王の暗躍に対抗した、考えうる最強の騎士だ』


サインが書かれていて、そこで終わっていた。手紙を閉じて、アンクルを向くと分かった様な顔で頷いて、何だかバツが悪そうに頭を掻きながらは口を開く。


「宰相は酷い方だ、手紙には書かずに私が伝える様にする辺りが。サヘルイス、君には学校を辞めてもらうつもりだ」

アンクルの言葉は厳然と言い放つ、僕は驚きながら、しかし興味が湧く。


「僕がですか、何故」

「騎士になれとの話だ、我々と同じ特務I部にな」

特務I部、略語だがニュアンスは分かる。騎士になれるとは思わなかった、驚くべき発言だ。

騎士は事件捜査、戦争、諜報活動、治安維持を行う統合的組織。

弱体化の魔術と第二脳魔術しか展開できない僕が本来入れる筈が無い組織。


「僕は魔術が弱体化と第二脳しかできませんよ。運動もからっきしです」

「衰亡ノ王の力がある、発動条件はこれから調べていい。それに第二脳は才能だ、肉体を強化する魔術を最低限覚えて、運動は訓練で鍛えればいい」

「けれど、危険です」

「君の両親の仇である不死ノ王、そして妹を傷付けた機甲ノ王を殺せる。それに高給だ」


仇。王と呼ばれるもの、確かにルミナを傷付けたものを僕は許せない。ルミナは血を吐き、死を覚悟した。

状況が悪ければルミナは殺されていた。そして両親を殺した不死ノ王もだ、ルミナは悲しんだ、二人の死を。

ならばその悲しみを負わせた存在を許す訳にはいかない、許す事は肯定であり、僕はルミナが悲しむのを是とした事になる。

復讐は四神教では悪徳だ、けれども僕は神の徒でない。逡巡は無い、自身の行動に道理があるのかを確かめるだけ。


「分かりました」

元々魔術学園に居る意味は学業に努めようとする時点で喪失していたんだ、いまさら悩む事は無い。

「そうか。それでだが、これと同じ様な話をルミナにも持ち掛けるつもりだ」

驚倒し憤懣する。


「貴方は何を言っている!」


「ルミナを狙い、学園に奴らが現れれば何人が死ぬと思う? 騎士と成り、我々と行動するのが最善策では無いか」


「待ってくれ。もし、断ればどうなる」

「どうとも言えない。だが王がルミナを狙うのは絶対だ。それに灰ノ王の力さえ学べば身を守れる訳ではない、現に君の両親は死んだ」


危険に巻き込むのか、ルミナの安全の為に。

矛盾している、だが安全だけを取る事はできない。


「サヘルイス、君が守ればいい。奴らとの戦闘でも」

この言葉への返答正しいのだろうか、いや間違っているかなんて僕に分かってたまるものか。


「ルミナの意思に任せます。ルミナがそれを望むなら」

「有難う、サヘルイス。退院は一週間後、直ぐに訓練を行うから迎えの者が来る筈だ」


そう言ってアンクルは去り、部屋には僕以外誰も居なくなった。








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