灰が僕の視界を埋める、それは灰であり、だがそれが自宅だと一目で分かる。

私有地は灰に埋められ、形の片鱗はみじんもないのに、その灰がかつて、家であった事は明白だった。


燃え尽きた物、終わった物。それが灰だ。

僕は自宅への入り口、庭で顔を突き合わせて話をしているスーツ姿の男女の小勢が立っている。

僕らはすぐに馭者を停めさせ、少し待つ様に頼む。了解しました、と馭者は路傍で車輪を止めた。

ばっと、扉を開けて駆け出す。

「失礼させていただいています」

男女数人の内、年長者の風貌の男性が、息切らせて迫る僕を向いて一礼した。胸元には金の勲章があり、金髪をオールバックにして携えている。

下げた頭を戻した、男性に対して僕の内部から湧き上がる疑問を即座に投げ付けた。

「此処では、何があったんですか!」

僕は焦っていた、焦燥感が全てを覆っている。

見て取れるのは結果だけ、家が灰に変化したという確信と、その過去を知らねばならない使命感。

男は逡巡する、僕にはそれがどの類の迷いなのかは分からない。けれど、知的とも言える目元を押さえる仕草の後に男は言い放った。


「詳しく伝えるには、私の立場とある前置きが必要です」

「教えて下さい、何があったんですか!」

男は瞼を閉じ、もう一度開く。

その瞳には仄暗く、僕の内部を見透かしている様だった。

「私は王国騎士特務機関所属、アンクル・サスペンダー。貴方の両親は我々の追う敵に殺されました」

少しの間を開けてアンクルは続ける。

「詳しくは伝えられません、特務機関の守秘義務が有ります。お二人には宰相から、国家職保険金の支払いが確定しています。手続きがあるので我々は調査しながら此方にいましたが、もう必要は有りません。馬車の荷物はおろして頂いて、我々とホテルへ向かいましょう」


発言を挟む余地は無かった。圧倒的な言葉の総量と情報が思考を押し流す。アンクルの発言は意図してなのか。僕の焦燥感を攘い、冷静な思考力を取り戻させた。

「分かりました」そう言って、僕らは彼らに着いていく。



ホテルの二階、やけに広い一室、アンクル達が用意したであろう部屋の中。電球の、篝火の様に赤みがかった光は煌々とし、僕らは革が張られたソファーに座りテーブルを跨いだ対のソファーを眼前にして座っている。

ホテルへ来て、すぐに通されるとアンクル達に此処で待つようにと言われた。


「お待たせして申し訳ない、2人とも」


後方の扉が開く、くぐもった音と同時の詫び。後方を向くとアンクルらが1人の紳士の背後に立ち入室する。

紳士の名を知っていた、面識は無い。けれど僕らを指した詫びの主が、王国宰相である事を紙面の上で知っていた。


ネビュル・スケール。


ルミナも驚愕し、僕らは立ち上がって、頭を深く下げる。宰相は右手で僕らを押さえるようにする。宰相は僕らの手前に腰を掛けた。


「アンクルが一つ言い忘れたことがある。君たちの両親の遺体だが、最悪だ。見るかい?」


宰相の顔に笑みは無い。

最悪という単語。何に対してか、なんとなくニュアンスは伝わる。


「酷いのですか」

「そうだね。どちらも異様な殺され方だから、伝えるのが難しいけど、四肢の一部は欠損している」

見ます、即断した。死を知るのは恐ろしい、両親の死を認めれば僕の記憶の2人は、過去の失われた物となる。


今、僕の家族は一人だけ。無いものを守るのは愚者のする事だ。



近くいところ。僕らは病院の地下で、並ぶ死体を見た。それは最早、母と父の亡骸ですら無く肉塊としてそこにあるだけの物質。

体には白い布が被せられているが、肉体は凍結処理をされている様で、一切血で滲んだ跡は無かった。


肉を見て、 2人の死を認識した瞬間、ルミナは狂れたように、母の強引に布を剥ぎ取る。優しさに包まれた中には、両腕が失われた、両足はそれぞれ出鱈目な方向に向いて、片耳を抉られ、鳩尾から伸びる深い傷。

須臾、頭をおさえて、悲泣する。


「あぁァァァァァァァァ」

少女が顔をぐちゃぐちゃにして、涙と啜り泣く音が、ほんの小さな一室で響く。皆が得も言われぬ気分で、俯いていた。


すると、ルミナは厭世的にがんがんと拳を床に打ち付ける、自制や加減は喪失している。

二、三度と打ち付けるとルミナの薄く白い肌は易々と破れ、血が溢れる。惨憺と顔を歪めながら自傷に執着するルミナの肩を掴み、僕は床から引き離そうとする。

だが、ルミナは僕を突き飛ばした。僕は思わぬ抵抗に対応出来ず、体は部屋の壁に叩きつけられて尻餅をつく。

それと同時に目が覚めたようで、僕に向かって瞠目し、即座に僕へと駆け寄った。


「ごめんなさい、サヘル」

上擦る声。迸る涙、充血した双眸。どれにも罪悪感と自責の念が篭っていた。僕は大丈夫だとひょいと立ち上がって、手を広げてアピールする。

今にも、ルミナは潰れてしまいそうだった。横隔膜の痙攣でしゃっくりを起こしている。僕の気付けば体は既に、動いていた。人目を憚る事無く、ルミナを抱いて背中をゆっくりと摩る。


僕は泣き噦るルミナを強く抱きしめる。僕の左肩にあるのは間違い無く、小さな1人の少女。僕の意思は確定された、生者を守ると。


その後、ホテルに戻るとルミナは眠ってしまった。それもロビーで寝てしまってたので、指定された部屋は二階の先程宰相と会った部屋の隣、ルミナは軽くて背負いながら運ぶのは非常に楽だった。

二つある内の奥の寝台にルミナを置いて完全に就床したのを確認し、隣室へ向かう。

現在は17時、気付けば移動で相当な時間を消費していた。

宰相に呼び出されていたからだ。


先程の一室には既に宰相と後方にアンクル達が出揃っている。宰相は怪訝な眼差しを向けている。凍るように尖る視線だったので、何か無礼を働いたかと思考を巡らすが思い当たる事は無い。

宰相は背中を丸めて前に乗り出す。

「悲しく無いのか、君は」

「え」


悲しみの象徴とは涙だ、両親の死を認識し、僕自身が考えた悲しみの条件を満たしている。現実感ははっきりとある、父と母の死体の記憶が脳裡に刻み込まれている。


悲泣したルミナを見た僕は守ると誓った。

けれど僕に悲しみは無い。

虚だった。僕の中で円状に抜けていた、両親の死を悲しんでいない、それは現実感の枯渇が因では無かったのか。


そう思った瞬間、血の気が引いていく。僕が両親の訃報に対して抱いていた恐怖。ルミナと同じ筈の、死を認識する恐怖。

否定された、僕の感じていた恐怖は何だ。


一つ、僕の内部から仮説が返ってくる。


両親の死を哀惜出来ない恐怖。涙を流せない。

悲しく無いのか、弔う意思が無いのか。

もしかしたら喜ばしいのか。


僕は両親を尊敬している。

けれど、もし、僕の中にある二人への謝恩は上っ面だけなのではないのか、もしそうなら何故だ?


解答に思いあぐねた、悲しく無い、喪失感もない。けれどその問いでは僕の感情が理解されない。尊敬して、感謝しているんだ。


喪失感とは何だ。普遍的に考えればそれは、心をつくった何かが無くなった時に生まれるもの。

悲しく無い、それを認めてしまえば両親は僕の心を作っていない事になるのか、両親は僕の何でも無かったのか。亡者に涙を流せないのか。


「分からない、分かりたくない」

飛び出た言葉に 宰相は、驚き、ニヤリと不敵な笑みを湛える。


「君に全てを伝えよう、全部だ」

しかしこの場でそれが語られる事は無かった。


爆音、横から。


全員が音の方向を向く、そこにルミナが寝ている事を皆が知っていた。


「全員退避しろ。私が行く」

アンクルは拳を握り外へ飛び出る。

だが僕はアンクルの指示を聞かずに立ち上がり、扉を開けて駆け抜けた背中を追う。


背後からの制止を無視した、ルミナを助ける。


亡者に涙を流せないのなら、ルミナを絶対に亡者にしてはいけない。守らなければならない。それが僕を構成する絶対的な意思だった。


部屋の扉をアンクルが破壊する、そしてその背を前にして捉えたもの。


鋼鉄の鎧を纏う鉛色の巨人。背中からは蒸気が噴き出し、肩部から鉄屑によって構成された翼が広がり、腕には歪に鎖が絡まっている。首元に黄金の環を携えている。


そして人の双眸があるべき場所は、赤い閃光を放ち、僕らを向いて相対する。















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