無意識中の意識
まあいい、大した問題じゃない。僕の懐は温まっている。それに本当に深刻な事態に陥ったルミナの顔は見ていて罪悪感が沸いてくる。
「僕が払うよ、御者。二人合わせていくらですか」
相場観に疎い僕だが、5万までなら払ってやる気はある。
「5万100エドです」
僕は体がぐらつく感覚を覚えた、もしだ。
御者の男は僕が5万まで出すと事を知っていて、その思考を読んだために5万100という、足を掬うような事を言ったのだろうか。
もしそうであるならば、僕が恐れるべきは既にこの思考が読まれているという事であり、僕の考えの片隅にある値切りの交渉を拒否する可能性もある。
まずいぞ、思考を読む魔術師とは。限りなく有り得ない可能性だが、僕にはその可能性を否定できる理由が無い。魔術は不可解な万能性を有す、僕は弱体魔術と第二脳を学ぶより先に暗示の魔術を学ぶべきだったと後悔した。
「サヘル、申し訳ないわ」
そう涙目で僕を見るな、罪悪感から逃れるためにやった善行だ、そんな目で見ると何故か僕が悪いような錯覚に陥る。
というか、こんな事は滅多に無いから、実のところとしては嬉しい。
幼少の頃から大人びて、ついうっかりを抜けば失敗などした事の無いルミナだったが、うっかりも高等部に進学してからめっきりと減った。大方、理由には心当たりがある。
学年主席、肩書に劣らない才が僕の妹にはあった。
期待、羨望、嫉妬。僕が生来受けた事の無いその感情を、背中で受け止めるのは努力があってこそだろう。
「ルミナ、自然魔術科はどうだ?」
口から出たのは、最もありきたりで、凡庸な質問だ。僕も言ってから自覚する。
顎を抑えてほんの僅かに考える素振りを見せた後、そうねと言って話を始めた。
「変わらないわ、一番であるのは嬉しい。けどまだまだ、努力はもっとできる」
「ストイックだな、ルミナらしいよ」
「ありがとう、サヘル。あなたはどう?」
僕は戸惑った、僕について言うつもりは一切無かったけれど聞かれたら答える他ない。
「真ん中さ、弱体化魔術は底が浅い。勉学で勝負しようと思っているよ」
「流石ね、5番」
5番というのは僕のあだ名で、学年のテストで絶対に5位を取る事から命名されたことだ。本当は一度だけ、4位取ったが事があるのは秘密だ。
「本当は父さんと同じ外交官を目指してたんだけどね」
突発的に発してしまったこの言葉に嘘は一つも無い。だがこの発言がルミナに両親の死を意識させてしまう結果となったのは、思慮が足りなかった僕の責任だ。
ルミナの顔つきが変わる、どこかで見たようで見た事が無いその表情は虚ろに足元へ向かっている。
「サヘル。あなたは二人の死が本当だと思ってる?」
虚ろを付かれた気分だ。本来あるべき会話。和気藹々としていた車内は寂寥に塗り替えられ、沈んでいたその存在が急激に浮上する。考えたことが無かった、いやそれは正解では無い。
無意識の内に僕はそらしていた。不自然だ、二人が沈んでいなければいけない状況。確かにその死は唐突だった、死を肯定できない、したくないといった感情は抜きにして考えても現実感は希薄だ。けれど嘘でない証拠がどこにあるのだろうか。結局は僕の意識は、無意識中の意識が死の認識を避けていた。
「僕は、信じたくない。でも嘘じゃないと思ってる」
「私も同じ、そして悲しくない。現実が見えてない。見えた時、どうなるのか堪らなく怖い。死を見ていないのに死を意識している」
僕の心境が代弁された、ルミナが同じように思っている。
涙が出ると確定された、情報から現実が確定された状態を僕は恐れる。体が震えた。
『ルミナ、僕らはどうなるんだろうか』
喉の奥に言葉を押し込んで、頭に戻してやると現実感が沸いてきた、事実を認識しないで湧く現実。それは金だ、先程の5万100エド、お金を払うというのは至極当然の行動だ。
そしてその行動にある意味とは対価、だがルミナの、二人の死についての問いかけが、対価という内部に新たな分類要素を増やした。
生命、生きるための対価。
けれどあまりにそれは僕の普遍的生活の内部と一体化していて、漠然と僕らの不安を煽るだけ。
「サヘル、私たちはどうなるんだろう」
潰えそうな呟きは僕を殴打する。
どうなるなんてない、なるようになるさ。流れに身をまかせよう。
そんな無責任な言葉を返すわけにはいかない、僕は兄だ。双子の兄、血縁がどうとか僕の生まれが孤児だとかの前提条件は無意で、この返答は僕への返答でもある。ルミナの不安感は僕と同じものだから。
「僕がどうにかする、ルミナを守るよ」
忌憚せず言い放つ。無責任な言葉だ、責任を取れなかったときはどうする。
絶対に有り得ない、何処にもそんな可能性は存在しない。0だ、無を騙るのは愚かで、愚者のする事。
僕はまだ事実も知らない、無を知るのは有を知ってからでいい、僕はルミナの肩を叩いて、微笑んだ。
その微笑みが僕の持てる全てだった。須臾、そして
「そうね、また考えましょう。涙が出るときに」
純黒の髪を揺らし、ルミナは端正な顔立ちで僕に微笑みを返す。
後ろの窓から射す陽光に照らされ、その容貌は神々しく、同時に可憐だ。
青空、海、二つを混ぜたような双眸が僕を移す。
「ああ、そうだね」
僕はもう一度笑った。
僕らが自宅に到着したのはその会話の2時間後だ。
しかし僕はその自宅の周辺に近づいた瞬間、網膜を伝ったその眺望に絶句し、狂気的なその光景に、両親の死は確定的で、否定できるはずがない事を僕らは現実として受け入れる事になる。
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