第八話 ハードコア王座とウラカン・ラナ・インベルティダ

 プロレスとは非日常だ。

 ひとたびゴングが鳴れば、四角く区切られた空間は無法地帯と化す。そこに私情はあれども、日常は一切ない。観客達は、日頃の憂さを晴らすために、平凡な日々から逸脱するために、暴力が幅を利かせる異常な世界に耽溺するために、金を払ってチケットを買い、試合会場まで足を運んでくるのだ。そこに一個人の人生など不要だ。必要なのは、命を燃やして魂を剥き出しにしたプロレスラーの生き様だけだ。

 ブラッド・ブラッドリー、パンツァー、残忍によるハードコア王座決定戦が始まった。現ハードコア王者であるブラッド、前王者であるパンツァー、未だに一度も王座を手にしたことのない残忍。となれば、例によって残忍はジョバーに成り下がるのが関の山だ。と、誰しもが思うだろう。だが、だからこそ王座を取る。取れると信じる。信じ抜くしかない。

 トリプルスレットは難しい形式だ。三人が上手く息を合わせなければ、良い試合にはならない。三人がそれぞれの動きに目を配っていなければ、技を掛けに行くタイミングも、フォールを取りに行ったところでカットするタイミングも計れないからだ。

 残忍が場外に追い出されている間にどちらかが勝つ、なんて展開にさせてたまるものか。これまでにも何度かトリプルスレットの試合をしたことがあるが、上手く行った試しがなかった。だから。

 最初に動いたのはブラッドだった。パンツァーの脛にローキックを喰らわせるが、パンツァーは怯まなかった。ブラッドの足を抱えて足首を極め、アンクル・ロックで攻めていく。

「ッダァラァアッ!」

 そこに、残忍はドロップキックを放つ。パンツァーの背中目掛けて両足を叩き込むと、パンツァーがよろけてブラッドの足が外れ、すかさずブラッドは後退る。パンツァーは振り向き様に残忍の喉を掴み、背中を支えて頭上まで持ち上げると――――ずだぁんっ、とマットに沈めた。チョーク・スラム。

「ッ!」

 凄まじい衝撃で息が止まり、背骨から手足の先まで電流の如く駆け抜ける。それもそのはず、残っていた蛍光灯の破片が刺さったからだ。傷口の一つ一つは浅いが、破片が小さすぎて抜けないので、びりびりとした痛みが背中のあちこちに散らばっている。

「……ッノヤロオ!」

 毒突きながらも起き上がるが、パンツァーの狙いはブラッドに変わっていた。両者は身長差こそ少ないが体重の差が大きいので、ブラッドは執拗にパンツァーの足を狙い、足場を崩そうとする。だが、パンツァーもただやられているわけではない。体格に応じた凄まじい威力を持つ逆水平チョップを立て続けに打ち込み、ブラッドの体力を削っていく。一発浴びただけでも息が止まるほどの威力なので、それを連続して受ければ、しばらくは呼吸もままならなくなる。

 となれば、今度はブラッドを狙うだけだ。残忍はいつものようにロープワークをしようとしたが、一瞬躊躇った、ハードコアマッチに付き物のボードの数々が立てかけられているので、迂闊にロープを揺すったら倒れてしまい、せっかくの仕掛けが台無しになる。

 さてどうする、と思案している暇はない。低空ドロップキックでブラッドの足場を崩し、倒れさせてから、ロープもポールも使わずにその場でフェニックス・スプラッシュを繰り出す。自分の脚力だけで作れる高度は大したことはなく、滞空時間はかなり短いが、それ故に逃げ出す隙を与えない。

 残忍の胴体がブラッドの腹部に激突し、だぁん、とマットが鳴る。無論、その衝撃は残忍にも及ぶが、ブラッドの非ではない。すかさずブラッドの足を抱えて片エビ固めに持ち込むと、レフェリーがカウントを始めたが、1カウントされた直後にパンツァーに吹っ飛ばされた。まだ起き上がれないブラッドを、今度はパンツァーが押さえ込みに行く。再び、レフェリーがカウントを始めるが、ブラッドは2カウントの前に肩を挙げてカットする。当然だ、試合が始まったばかりなのだから、まだまだスタミナは残っている。

 声援の六割はブラッドに、三割はパンツァーに、残りの一割は残忍へのブーイングとヤジだ。パンツァーを跳ねのけて起き上がり、これ見よがしに金髪を掻き上げてから、ブラッドは立て続けにエルボーを出してパンツァーの顎を打ちのめし、打ちのめし、打ちのめしていくが、パンツァーもまたエルボーを返す。いかにも日本らしいプロレスだ。両者の攻防を横目に、残忍はポールに上って客席を見渡すと、再び帰れコールが始まる。

「おいおい、まだ九時にもなっちゃいねぇぞ? 子供だって起きている時間じゃねぇか。お前ら、良い子ちゃんすぎやしねぇか?」

 帰れコールに掻き消されないような声量で言い返すが、残忍の言葉を拾ってくれたのは、残忍にレンズを向けているテレビカメラだけだ。だが、それでいい。この試合はテレビ中継こそされないが、動画サイトでリアルタイムで配信されているので、その視聴者に聞こえればいいのだ。カメラの位置を把握してパフォーマンスすれば、少なくとも画面の向こうのファンは見届けてくれる。

「本番はこれからだ、そうだろ?」

 パンツァーがブラッドを押しやり、ついにカミソリボードにまで追い詰める。ブラッドはカミソリボードとの距離を測ってから、身構えると、パンツァーの巨体が真横に飛んだ。ドロップキック。

「んぐあっ!」

 ブラッドの背が、数十枚のカミソリが張り付けられた板に没する。当然ながら細く鋭い傷が出来て、瞬く間に血が噴き出す。ついでに、残忍のフェニックス・スプラッシュとパンツァーのヘビーなドロップキックを喰らった下腹部が痛むのか、顔を歪めている。

 だが、ブラッドが怖いのはこれからだ。残忍もパンツァーも、そのことは嫌と言うほど知っている。キャラクターを引き立てるために、敢えて自ら血を流したブラッドは、その血を拭ってべろりと顔に擦り付けた。ジャングルの奥地の戦闘部族の如き、禍々しい戦化粧だ。鉄錆と汗の味がする指を舐めてから、ブラッドは牙を剥く。

「ッハッハアアーッ!」

 高らかに哄笑した“吸血鬼”は、己の血を吸ったカミソリボードを手にすると、それを振り上げ――――パンツァーの脳天に叩き付けた。割れやすさを重視して薄いベニヤ板で出来ているとはいえ、痛いものは痛い。カミソリの切れ味も充分だ。カミソリボードは真っ二つに折れ、パンツァーの頭上からずるりと外れると、髪を短く刈り込んだ頭部から幾筋もの血が流れていた。激痛と衝撃で、目の焦点が怪しくなっている。

「っどおあっ!」

 パンツァーの意識が朦朧としたのを見逃さず、ブラッドはスピアーで押し切り、“重戦車”をコーナーに追い込む。パンツァーを座り込ませてから、ブラッドは一旦後退した。ジャンピング・ニー・バットに入る構えだ。となれば。

「ッダトゴルァアアアアアアッ!」

 残忍はポールの頂点を踏み切り、ブラッドの傷付いた背に強烈な膝蹴りを喰らわせる。ダイビング・ニー・バット。がへっ、とブラッドの叫びにも満たない呼気が漏れ、倒れ込む。

「俺を無視して楽しんでんじゃねぇぞっ、クソが!」

 俯せに倒れたブラッドの側頭部を踏み躙ってから、その頭部を足の甲で蹴り付ける。サッカーボール・キック。客席からは甲高い悲鳴が上がり、またもゴミが飛んでくる。中身の残っているペットボトルが都合良くリング内に転がってきたので、それを拾い、ブラッドの顔にじゃばじゃばと掛けてやった。コーラだった。

「これでちったぁ綺麗になっただろう、色男が!」

 続いて、その顔を靴底で擦り付けるように蹴る、蹴る、蹴る。顔面ウォッシュ。悲鳴は最早絶叫で、泣き声すら聞こえてくる。

「最高」

 小声で呟いたブラッドは、にたりと口角を上げた。

「ッスね」

 残忍もまた、覆面の中に響くだけの声量で答える。が、その時、残忍の胴体が極太の腕に戒められた。脇の下にパンツァーが頭を突っ込み、胴体を横抱きにしてクラッチし、そのまま仰け反って肩からマットに叩き付ける。バックドロップ。

「――――っ!」

 背骨が尻から抜けてしまいかねないほどの威力に声も出ない。肩が外れていないのが不思議なほどだ。残忍は手足を投げ出して横たわり、全身に及ぶ痺れと格闘していたが、そこにパンツァーが覆い被さってくる。レフェリーが飛んできて、マットを叩く。ワン、ツー。

「ッンダラアアアッ!」

 スリー、とレフェリーが口にする直前に肩を上げると、場内が少しどよめいた。そうだ、これからだ。俺はこんなもんじゃない。

「でぇいあっ!」

 立ち上がれない残忍を掴んだパンツァーは、有刺鉄線が張られた板へと投げ飛ばす。針金の先端が皮膚を切り裂き、肉に食い込み、全神経に火花を散らす。背中の傷口からは生温いものが垂れ落ち、タイツとアンダーのパンツに染みてくるが、悪くない。

 迂闊に座り込むと傷口が広がるので、気合を入れて一歩踏み出して有刺鉄線から背中を抜くと、残忍は一旦場外に転げ出た。背中は燃えるように熱い。逃げたわけではない。パンツァーが追いかけてきた頃合いを見計らい、ケンドースティックを手に客席に駆け込む。

「ッシャアラァアアアアアッ!」

 悲鳴、怒号、歓声、絶叫、高揚。ありとあらゆる感情を含んだ叫びがそこかしこから上がり、残忍は悦に浸る。ケンドースティックを軽く振り回して観客達を追い払い、パイプ椅子を薙ぎ払って空間を開けておいてから、パンツァーを待ち受ける。

「来いよオラ、来やがれってんだよゴラァッ!」

 今し方まで観客が座っていたパイプ椅子には、ハードコア・マニアックスのパンフレットが残っている。そこには、こんな但し書きが付いている。『本大会を観戦される方は、試合中の場外乱闘に巻き込まれたとしても一切の保証はいたしかねます。』

 つまり、こういうことだ。パイプ椅子の下に置かれていた飲みかけの紙コップ入りビール――物販に併設した売店で売っているものだ――を手にした残忍は、大股に歩いてやってきたパンツァーの頭目掛けて思い切りぶっかけた。ビールまみれになったパンツァーは顔を引きつらせ、ぐえ、と呻きを漏らす。それはそうだろう、真新しい傷口にアルコールなんて掛けられたら猛烈に沁みる。

 それでも、パンツァーは止まらない。それこそがプロレスラーだ。残忍はケンドースティックでパンツァーの頭を叩き、胴体も叩くが、パンツァーは怯まないどころかケンドースティックを掴み返し、床に叩き付けて呆気なくへし折った。さようなら、三十本目のケンドースティック。

「げひっ」

 二度目のチョークスラムで、残忍は床に沈んだ。バックドロップの余韻も抜けていない時にこの技は、さすがにきつい。目の奥がちかちかする、背骨がぎしぎしする。パンツァーが一歩身を引き、ボディアタックを仕掛けようとした。が、今度はブラッドがパンツァーの背にパイプ椅子を叩き付け、昏倒させた。途端に悲鳴が黄色くなり、耳がキンキンする。残忍はよろけつつも立ち上がったが、すぐさまブラッドがその足を掴んできた。

「いよっ、とお!」

 ブラッドは残忍の両足を肩に載せて腰をクラッチし、軽々と持ち上げた。それから、ブラッドは身を屈めながら残忍を硬い床に叩き付ける。パワーボム。

「ジョバーのくせして、よく言うぜ」

 ブラッドはにたにたしながら残忍の腕を掴んで立たせると、二階席との間にある階段まで連れていき、座らせてから、顔を踏み付けてきた。顔面ウォッシュ。だが、ブラッドの場合は足の裏では擦らずに顎をぐっと押さえ付けてくるので、これはこれでやりづらい。

「ぎゃんぎゃん騒ぐだけで騒いで、それからどうするつもりだ? あぁ? そこまで言うなら、ちったぁ結果出してみせろ!」

 ブラッドはそう言いながらファンに手を差し伸べると、顔を赤らめた女性ファンがミネラルウォーターのペットボトルを差し出してきた。ブラッドがそれを残忍の顔に掛けようとしたところで、そのボトルを奪い取る。一瞬の間に深呼吸して肺を膨らませてから、マスクを上げて水を口に含み、起き上がり様に力一杯吹く。細かな粒子状の水飛沫が噴出し、ブラッドの顔と言わず体中を濡らす。長年の練習の成果だ。

「そう来なくちゃ」

 残忍の毒霧ならぬ水飛沫を浴びたブラッドは、一瞬笑ってから、残忍を立たせる。残忍はもう一度水を呷り、集まってきた観客目掛けて二度目の水飛沫を放って追い払ってから、階段の最上段に立った。ブラッドは、残忍に見せ場を作ってやるためにこの場を選んでくれたのだ。だから、その期待には応じなければ。

「ッダアラアアアッ!」

 天を指して予告してから、残忍は硬いコンクリートを踏み切って跳躍し、後方宙返りをした後に捻りを加えてブラッドに覆い被さるように突っ込んでいく。ラ・ケブラーダ。

 ブラッドは上手く受けてくれた。両腕を広げて残忍の体当たりを浴び、後方に転んでダメージを逃がした。しかし、技のインパクトまでは抜けていない。ブラッドの上から抜け出した残忍は、呼吸を整えてから立ち上がり、ブラッドのタイツを掴んでリングへと引っ張っていった。道中で振り払われそうになったが、タイツを掴んだまま逆水平チョップを喰らわせると、またも黄色い悲鳴が上がる。ブラッドのタイツだけでなくアンダーも掴んでしまったので、逸物が見えそうになったからだ。これは後で謝っておこう。

 ブラッドをリングに戻して転がすと、パンツァーも戻ってきた。すぐにリングに入らず、エプロンに上ったパンツァーは、まだ手付かずだった五寸釘の板を引き摺ってくると、二人の傍に置いた。と、いうことは。

 額が割れているパンツァーの形相は、鬼の如しだった。“重戦車”の人並み外れて大きな両手が、残忍とブラッドの喉を易々と一掴みにする。ブラッドが右側、残忍が左側に立たせられ、五寸釘の板の前に連れていかれる。そして、パンツァーは張り手で一度に二人を突き飛ばした。

「げっ!」

「ぎっひ!」

 残忍とブラッドは同時に五寸釘の板に突き刺さり、目を剥いた。

「ゴァアアアアアアアアッ!」

 パンツァーが猛獣の如く吼えると、場内のざわめきが集約し、歓声となって爆発した。折れたカミソリボードを拾ってくると、それをブラッドに喰らわせる、喰らわせる、喰らわせる。その度に血飛沫が飛び、赤黒い染みが増える。汗と血が入り混じったものが背筋を伝い、割れた筋肉の隙間を滑り、リングに滴る。

「……最っ高」

「ッスね」

「んだな」

 三人は互いにだけ聞こえるように言葉を交わし、目だけで笑い合う。傷が広がるたびに血が滾る、体の奥底で快感が膨れ上がる、脳内麻薬でラリってくる、半端なセックスよりも余程気持ちいい。タイツで下半身を絞め付けていなければ、ガチガチに勃ってしまいそうだ。これだから、プロレスは止められない。

 パンツァー、パンツァー、パンツァー! “重戦車”が拳を上げた後に肩を回し、ラリアットの予告をすると、彼の名のチャントが起きる。先にラリアットを喰らったのはブラッドで、己の血だまりで足を滑らせたせいで踏ん張りが効かず、見事に一回転して背中から倒れ込んだ。続いて残忍も喰らい、倒れていると、パンツァーは残忍をブラッドの上に載せて肩をマットに付けさせ、二人同時にフォールを取りに来た。

 レフェリーがマットを叩く。ワン、ツーと叩かれた途端にブラッドは跳ね起き、肩を上げる。二人の間に挟まれている残忍は潰れてしまいそうだったが、腹に力を込めて堪え抜き、パンツァーの頭部を腕でぎりぎりと締め上げる。ヘッドロック。渾身の力を込めると、パンツァーはフォールを解いて後退った。

 その隙にブラッドは残忍の下から抜け出し、パンツァーの足を掴んだ。ドラゴン・スクリューか、アンクル・ロックの派生技か。残忍はヘッドロックを解除してから身を引くと、ブラッドはパンツァーの足を押さえ、かと思いきやその体の下に入り込み、肩と腰に腕を回して両足をぐっと踏ん張り――――持ち上げた。体重一五〇キロ前後のパンツァーをだ。

 怪力を誇る相手を更なる怪力でねじ伏せる。それもまた、プロレスの醍醐味だ。ブラッドはパンツァーのタイツを掴んで垂直に持ち上げ、自ら横に倒れ込みながら脳天からパンツァーを叩き落とす。デスバレーボム。

 肩からマットに沈んだパンツァーが倒れ、仰向けになると、ブラッドは息を荒げながらもフォールを取りに行く。誰しもがブラッドの勝利を確信し、拳を振り上げて声援を送っている。だが、そんなものは幻想だ。残忍は意地と根性で立ち上がると、パンツァーに覆い被さって片エビ固めに持ち込もうとしているブラッドに狙いを定めた。

 見せ場と作ろうと意識しすぎるな、技を選り好みするな、もっと貪欲に攻めていけ、とアギラは説教してきた。そんなことは解っている。だが、それは時と場合による。少なくとも、今ではない。

 残忍は板のなくなったロープにもたれかかり、その反動で勢いを付けてから駆け出し、ブラッドの背後から肩口に飛び付き、両足で彼の頭を挟み込む。ブラッドの体を軸にして大きく旋回し、その勢いを利用して投げ飛ばした。人工衛星ヘッドシザース。

「ッシャアアアッオラアアアアアアッ!」

 見たか、俺のルチャを。見ろ、俺の生き様を。

「ンノヤロォオオオオオッ!」

 ポールに上った残忍は拳を突き上げて猛り、ふらついているブラッドを見据えた。ポールからロープに移動し、ロープをばね代わりにしてリング上に軽やかに舞い上がり、宙返りをする。ブラッドと一瞬目が合う。だが、どちらも反らしはしない。受けてみろ、受け切ってやる、との意思を交わす。

 ブラッドに正面から飛び掛かった残忍は、両足で彼の頭部を挟み、そのまま自分の頭を振り子の錘の如く用いて後方に倒れ込み、ブラッドの股の間に潜り込んだ。足が長いので、入り込みやすかった。その勢いのままブラッドを前方に回転させつつ、両足を固め、回転エビ固めの要領でフォールを取りに行く。ウラカン・ラナ・インベルティダ。残忍が出せる技の中では最も難易度の高い技だ。

 レフェリーがリングに滑り込んできて、カウントを始める。ワン、ツー、スリー。観客全員が、レフェリーと共に3カウントを取った。

 三回、ゴングが歓声を切り裂いた。

 レフェリーの手によって残忍の右手が挙げられ、そしてリングアナが宣言する。

「勝者あっ、残忍ーっ! 新ハードコア王者、誕生ーっ!」

 悲鳴が、罵倒が、怒号が、歓声に塗り潰されていく。レフェリーがハードコア王座のベルトを渡してきたが、思っていたよりもずっと軽かった。残忍はブラッドとパンツァーと目線を交わした後、マイクを握る。情けないことに震えている。

 何を言えばいい、どんなセリフを並べれば格好が付く。この時を何度となく願い、何度となく頭の中で思い描いていたはずなのに、いざ本番となると吹っ飛んでしまった。肩に掛けたハードコア王座のベルトを撫で、金属の冷たさを味わってから、残忍はマイクを掲げて仰け反った。こうなったら、出たとこ勝負だ。

「俺様ぁっ、最高オオオオオーッ!」

 ブーイングと歓声が半々。それから、マイクを客席に向ける。

「お前らぁっ、最狂オオオオオーッ!」

 喉が涸れるほど声を張り上げていなければ、涙が出てきそうだった。

「ッシャアオラァアアアアアアッ!」

 一生忘れられない夜になった。

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