第14話 ③

 



 よく知った姿が呆気にとられた顔で立っている。ひらひらと手を振る天空くんを見るやピシャーンッ! とまるで雷に打たれたように立ち尽くしていた。そっか、美鈴ちゃんのお家のお店ならここに美鈴ちゃんがいてもなんら不思議ではない。美鈴ちゃんは普段おろしている髪を高い位置で一つに結び、赤いエプロンを身に付けている。どこからどう見ても店員さんだ。いまだに立ち尽くしたままの美鈴ちゃんに近づく。


「美鈴ちゃん!」


 一週間ぶりに会えたのが嬉しくて弾んだ声に、固まったまま動かない美鈴ちゃんの瞳がわたしから天空くんを映し、またわたしに戻ってくる。その目が全く笑っていなくて無意識に背筋が伸びた。あれ? もしかして迷惑だったんじゃ……お店を知られたくなかったのかもしれない。一瞬のうちに心に広がる不安にごくりと息を呑む。


「寧羽」

「は、はい」

「もしかして二人で来たのか」

「あの、はい」

「おーのーれー……」

「ひぇ」


 地を這うような低い声にビクッと肩が跳ねる。天空くんを睨みつける美鈴ちゃんの迫力よ。心なしか髪が逆立っているように見える。美鈴ちゃんはそのままカウンターを抜けて天空くんに詰め寄るとぐいっと胸ぐらを掴んだ。その行動に二人の喧嘩を見慣れているわたしもヒヤ、と背筋が冷える。まっ、まさ、まさか殴っ?! 咄嗟に美鈴ちゃんの腕にしがみつこうとしたそのとき、悔しそうに呟かれた言葉に動きを止めた。


「ずるい!」


 天空くんの服を掴み上げる美鈴ちゃんの手が小刻みに震えている。


「は?」


 心底意味がわからないと言いたげな顔をして、眉を顰める天空くんに美鈴ちゃんは「ムカつく!」と目を吊り上げた。


「私はまだ寧羽と遊べてないのに、おまえ、なに? なんなの? なんで私よりも先に寧羽と会ってるんだよ!」

「あれ、藤和ってまだ寧羽と遊べてなかったんだ(笑)あと手離してくれる? 伸びる(笑)」

「(笑)じゃねーよ!」


 ひいいいっ! やっぱり喧嘩が勃発している!!

 天空くんの胸ぐらを掴んだままガクガクと体を激しく揺さぶる美鈴ちゃんと、そんなことはものともせず飄々とした表情を崩さない天空くん。店内には音楽が流れているとはいえ、騒げば目立つ。カフェの方から丸見えのこの場所で店員が客の胸ぐらを掴んでいる光景はまずい。非常にまずいのではないか。慌てて二人の間に割って入る。


「お、落ち着いて!」


 天空くんの胸元から手が離されて一先ず安心する。恨めしそうな目で「だって」と吐き出して美鈴ちゃんはカフェの方を一瞥してからカウンターに寄りかかった。


「夏休みに入ってから私はずっと家の手伝いをさせられて、遊びに行く時間がなかったのにずるいだろ」

「ずるいで突然胸ぐらを掴まれる俺の身にもなれ」

「おまえと私はほら、そういうコミュニケーションの取り方してきただろ」

「知らねぇし、してねえ」


 いつもの調子で話す二人に今度こそ安堵する。よかった、よくわからないまま大喧嘩に発展するんじゃないかとヒヤヒヤした。ほっと胸を撫で下ろしているわたしに美鈴ちゃんが「ごめんな、怖がらせたか?」と首を傾げたのを見て「色んな意味で怖かった」と正直に告げる。二人のガチ喧嘩もそうだけど、店内で騒ぎになったらと思うと色々と恐ろしかった。お店の評判にも繋がりかねない。


「ここ、うちが経営してる店なんだ。よかったらゆっくりしてってよ」


 怖がらせたお詫びに奢るからさ、と手を引かれて小さな階段を下りる。カフェに入ると暖かな色をした照明が雰囲気の良さを作り出していた。空いている席に連れて行かれてメニューを渡される。向いに座った天空くんが「俺も奢り?」と訊いて美鈴ちゃんが反論を呑み込んだ顔で頷いた。


「八つ当たりしたのは事実だ。心底ムカつくが奢ってやる」

「全然反省の色が見えねーんだけど」

「寧羽、好きなの頼めよ。ミルクティーもあるぞ。好きだろ」

「対応の差がえげつねぇ」


 高くなった美鈴ちゃんの声に天空くんは呆れた顔をしてメニューを捲る。


「全部美味しそう」

「だろ。美味しいぞ」


 豊富なメニューに目移りしてしまう。他のお客さんに呼ばれて注文をとりに行った美鈴ちゃんを見送って、メニュー表に目を落とす。写真付きで紹介されているそれは食事からデザートまで全てが美味しそうでキラキラしている。ついさっきお昼を食べたというのにお腹が空いてきそうだ。


「天空くんは決まった?」

「そうだなー、珈琲とシフォンケーキにする。寧羽は?」

「まだなの。パンケーキもケーキもアイスも美味しそう……」


 顎に手を当てて悩むわたしに天空くんは楽しそうに笑う。


「甘いもん好きって言ってたもんな」

「ごめんね、すぐ決めるから」

「いいよ。ゆっくり選びなよ」


 穏やかな表情で美鈴ちゃんが持ってきてくれたお洒落なピッチャーから二人分のコップに水を淹れてくれる。それからポケットからスマホを取り出して苦笑いを浮かべると、なにやら打ち込んでから再びポケットにしまった。


「決めた! いちごたっぷりふわふわショートケーキとミルクティーにする」


 メニューに書かれた名前をそのまま口にする。載せられている写真には丸いショートケーキにいちごがふんだんに散りばめられていて、絶対に美味しいと一目でわかる。

 天空くんが呼び鈴を押すと美鈴ちゃんは別のテーブルに配膳をしているところで、別の店員さんが注文をとりに来てくれた。注文内容を繰り返し、笑顔で対応してさがる店員さんを横目につい美鈴ちゃんを目で追ってしまう。普段の彼女とは違う大人な姿は先程天空くんに掴みかかっていた人物と同一かと疑ってしまうくらいだった。


「すごいなぁ。わたしバイトしたことないよ」

「俺もないな」

「天空くんはバイトするならどんなところがいい?」

「静かなところ」


 即答されて「ここ、静かだよね」と返せば「接客は向いてねぇな」と笑う。天空くんは人当たりがいいし、よく気がつくし接客に向いていると思うけどな。

 程なくして注文していたケーキと飲み物が運ばれてきてテーブルを飾った。キラキラと宝石のように輝くいちごがたくさん乗ったショートケーキにまだ食べていないのに心が満たされる。記念に写真を撮って、いただきますと手を合わせふわっふわのスポンジにフォークを落とす。


「おいしい〜〜」


 口いっぱいに広がる甘さを堪能する。向いでシフォンケーキを食べていた天空くんが「美味そうに食べるな」と頬を緩ませた。


「すっごく美味しいよ」

「ハハ、表情に溢れ出てる」


 ミルクティーのグラスに刺さったストローを指先で固定して口に運ぶ。氷がカランと涼しい音を立てた。天空くんの言っていた通りのオシャレなグラス。生クリームとは違う甘さと紅茶の香り、炎天下で火照った身体が内から冷やされて幸せで満たされていく。

 ケーキとミルクティーに舌鼓を打っているとつい、と天空くんがシフォンケーキの乗ったお皿をわたしの方へ突き出した。


「これも食べていいよ。こっち側まだ手つけてねえから」

「え、でも」

「いいの? 食べたくない?」

「……いただきます」


 ん、と口元に楽しそうな笑みを浮かべている天空くんを一瞥してシフォンケーキを一口、口に運ぶ。ふわっとしながらもしっとりやわらかいスポンジが口の中で幸せを残して溶けていく。


「ほら、もう一口食べなよ。生クリーム付けるとまた美味いから」


 おいしいおいしいと頬を綻ばせるわたしを天空くんが甘やかす。わたしもお返しがしたくて自分のショートケーキが乗ったお皿を天空くんに差し出した。


「わたしのもどうぞ」


 おいしいよ、と感動を分かち合いたいわたしに天空くんは一度動きを止めて、あーだのうーだのこぼしたあと「いただきます」とショートケーキを口に入れた。


「うまい」

「ね」


 ふと天空くんの耳が赤いことに気づいて「暑い?」自分の耳を指差しながら指摘すれば、天空くんはテーブルに肘をついた手で口を隠した。顔ごと視線を逸らしてぶっきらぼうに一言「違う」と呟く様子に首を傾げる。店内は空調が利いていて涼しいけど、ホットの珈琲を飲んでいる天空くんの身体は血行がよくなって、温まっているのかもしれない。

 ぶふっ、と吹き出すような声にそちらに顔を向ける。美鈴ちゃんが肩を震わせていた。涙を拭いながらこちらに近づいてくる美鈴ちゃんがピシッと固まったのを見て、どうしたのかと首を傾けた瞬間——ふ、と頭上に影が差した。





 

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