第14話 ②

 



 駅から出るとやけに人が多く賑わっていた。わたしたちが乗り込んだ電車も駅構内も人は疎らで、平日というのを差し引いても少なかったのに。時間帯もあるのかもしれないけど——視界に入った出店に目を留める。黄色い生地に“たこ焼き”と書かれた屋台からは食欲をそそるソースの匂いが漂ってきていて、誘われるように列を成していた。周りを見ればいくつかの屋台が出店されていてそれぞれに人が集まっている。なるほど、人の多さの理由はこれかと一人ごちた。


 じりじりと照りつける太陽に目を細める。暑さもさることながら湿気も多いようで、ただ突っ立っているだけでも汗が滲むのに歩いていれば当然汗は止まらない。はあ、と内にこもった熱を吐き出すように息を吐いた。ああ、夏だなぁ。

 一瞬目的地はここかと思ったけれど違ったようで、天空くんは賑わう通りを進み迷いなく大通りの方へと向かう。


「——わ、」


 ぼーっとしてきそうな頭に天空くんの大きな手が乗せられた。「え?」と驚いて顔を上げる。立ち止まってこちらをじっと見ていた天空くんは無言のまま考え込むような仕草をして、それから徐に着ていた薄手の上着をわたしの頭に被せる。


「え……え?」

「わるい、気づかなかった。これで少しは日差しが防げればいいんだけど」


 突然の行動に目をパチクリするわたしに天空くんが眉根を下げる。もしかしてさっき頭を触ったの、熱中症になってないかの確認だった? ふと前にわたしが光くんにした確認行為を思い出して納得する。


「あの、でもいいの?」

「嫌じゃなかったら日除けに使ってよ」

「あ、ありがとう。助かる、ます」


 確かに今日は日差しが強い。おまけにじめじめとしていて余計に体力を奪われる。でもそれ以上に催し物に集まった人の多さにクラクラしていたから、視界を遮ってくれるこの上着はすごく有り難かった。小さい頃に人混みの中で迷子になった経験から、わたしは人の多い場所が軽いトラウマのようになったいた。人酔いしやすく息苦しい。

 知らず知らずのうちに速くなっていた心臓がゆっくりと落ち着いていく。頭に掛かった上着の端から覗く天空くんは忙しなく視線を動かして辺りを見回している。わたしの視線に気がつくと「ちょっとここで待ってて。飲み物買ってくる」そう言って道路を挟んだ先にある自動販売機を指差した。視界を車が横切っていく。


 “一人”


 たった三文字の単語が脳を埋め尽くす。


「…………」


 駆け出そうとした天空くんの服の裾を咄嗟に掴んだ。予想外に動きを止められて天空くんは疑問たっぷりの声色で「寧羽?」と名前を呼ぶ。何も答えずに俯くわたしの顔を覗き込むようにして天空くんは腰を曲げた。


「大丈夫か? すぐ戻ってくるからここで——」

「……ないで」

「ん?」

「行かないで」


 小さく紡いだ言葉は喧騒にかき消されることなく天空くんに届いただろうか。情けないけど、今ここで一人になりたくなかった。たとえそれがほんの一瞬の短い時間でも。顔は地面に向いたままだから天空くんがどんな顔をしているのかわからない。だけどきっと困ってる。待ってることもできないのかと呆れているかもしれない。それでも掴んだ服を離せずにコンクリートに視線を落としたままわたしは黙り込んだ。

 ぽん、と頭の上に手が乗せられる。さっきの熱を確認するようなものとは違う、優しく弾むように数回撫でられて顔を上げた。


「じゃあ一緒に行きますか。歩ける?」


 その言葉に勢いよく顔を上下に振った。ずれた上着をかけ直して、天空くんは微笑を浮かべる。「行こ」と歩き出した天空くんにハッとして掴んでいた裾を離してついていく。「掴んでてもいいのに」ニヤニヤとからかうような表情に少し頬を膨らませて頭上で揺れる上着を軽く前に引っ張った。視界も日差しも遮られて、さっきより幾分か歩きやすい。


「ちゃんと前見ろよ? 危ないから」

「うん」


 道路を挟んで向かい側、自動販売機で飲み物を買って休んではまた歩き出す。目的地はまだわからない。


「大丈夫か? 気分悪くない?」

「うん、もう大丈夫だよ。ありがとう」


 眉根を寄せて心配そうに様子を確認してくれる天空くんに笑顔を返す。駅から離れて人混みから抜けてからしばらく経つ。気分はすっかり落ち着いていた。


「あ、上着」

「いい。着くまでかけてなよ」

「ありがとう、それじゃあお言葉に甘えて。……ところでこれはいったいどこに向かってるの?」


 そろそろ教えてくれないかとずっとはぐらかされたままだった質問を再度投げかける。


「もうそろそろだよ。大丈夫だって、寧羽が嫌がるようなところじゃねーから」


 天空くんが人が嫌がるようなことをする人じゃないことはわかってる。話すようになってから今まで彼はずっと優しい。今日だって体調を崩していないかと何度も様子を見てくれて、歩幅を合わせて歩いてくれた。気遣いのできる人だと思う。だから目的地に不安があるわけじゃないけど、悪戯を仕掛けたような笑みが何を意味しているのかほんの少し警戒してしまう。

 住宅街を進んで緩やかな坂を上った先「お、着いた着いた」見上げた横顔が何かを見つけて足を止めた。大通りから外れた静かな場所、そこに佇む木造の建物。その前には“駄菓子カフェ”“casser—カッセル—”と書かれたレトロなのぼりが風に揺れている。


「駄菓子カフェ?」

「ここな、藤和ん家の店なんだよ」

「美鈴ちゃんの?」

「そ。それじゃまぁ入ろうか」

「え、わ、まっ」


 有無を言わせずに手を引かれて店内に足を踏み入れる。二つある入り口の一つ、開け放たれたガラス戸の奥には小さな駄菓子たちがずらりと並んでいた。隣は名前の通りカフェになっていて、一段上に建てられた駄菓子スペースから延びた小さな階段がカフェへと続いている。なんともオシャレな空間に思わずわぁ、と感嘆の声が漏れ出てしまった。

 天空くんはそんなわたしを引っ張って駄菓子の並ぶケースの前に連れていく。被っていた上着は皺にならないように気をつけながら腕に抱えた。


「ここで買ったお菓子は隣のカフェで食べれるんだよ」

「へぇ、いいね」

「カフェもパンケーキとか、なんかこんなガラスの洒落た飲み物とかもある」


 手で形を作りながら話す天空くんに興味津々に耳を傾ける。店内はオルゴール調のゆったりとした音楽が流れていて、とても居心地がよさそうだった。


「わたし、駄菓子屋さん来たの初めてだよ。小さくて可愛い」

「まじ? 子供の頃デパートとか近所とかになかった?」

「どうかな、わたしが知らないだけであったのかもだけど」


 こんな風に駄菓子屋さんに来たのは初めてで、想像では奥の方にぽつん、とおばあちゃんが座っているイメージ。前に読んだ漫画ではそうだった。

 懐かしいな、と子供が手に取りやすいように低い位置に並べてあるお菓子を眺める天空くんの傍で、初めて目にすることの多いお菓子たちに視線を落とす。色とりどりのそれは当たり付きと書かれているのもあってワクワクする。当たり付きってなんだろう、何か景品が貰えたりするのかな?


「ラーメン、これ見たことある」


 スーパーのお菓子コーナーで目にしたことのあるお菓子? を指差す。


「お、それな結構美味いよ。小腹が空いたときに食うのにちょうどいい。こっちのは作り方を変えたら一つでなんとラーメンとパスタが選べます」

「か、画期的!」


 どやっ! と自慢げな天空くんに感動しているとお店の奥の扉が開いた。そういえばここって美鈴ちゃんのお家のお店だって言ってたよね。一応同級生として、お友達として挨拶した方がいいかな? なんとなく手櫛で髪を整えて扉に注目する。そうして現れた人物に目を瞬かせた。


「あれ、お客さんいる? ……って」

「え? 美鈴ちゃん?」

「ようみーちゃん。来ちゃった」





 

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