第14話 ①
——ジージジジジ……ジージジジジ
夏の風物詩であるセミの声がカーテンの閉め切った自室に響く。ごろん、とラグの敷かれた床に寝転んで、ぼんやりと天井を見上げてからどれくらい経っただろうか。頭の横に置いてある小説はついさっき読み終えてしまった。予定していた本日分の宿題も既に終わらせてしまったため、絶賛暇を持て余している。かといってこの炎天下の中で用もないのに外に出るのは考えるまでもなく嫌だ。
「おねえちゃーん! お昼ご飯だよー!」
トントントンと扉をノックされ、続けて聞こえた鈴の鳴るような可愛らしい妹の声に呼ばれて緩慢な動きでのそのそと身体を起こす。
夏休みに入ってからかれこれ一週間、わたしはこんな調子で毎日ぼーっと過ごしている。それが退屈なわけでも嫌なわけでもないのだけど、なにか物足りない。勉強していても読書をしていても、テレビを見ていても何かが足りないのだ。それが何なのかわからなくて胸の奥の物足りなさを埋められずにいる。
——♪
ローテーブルの上に置いていたスマートフォンが音を鳴らし、ドアノブに伸ばしていた手が止まる。スマホを手に取り画面を確認すると『今から遊びに行かない?』と満面の笑みを浮かべる絵文字と共に送られてきたメッセージに、送り主である天空春くんの顔が浮かんだ。
今からというのは文字通り、今日、これからってことだよね。特に予定はないし断る理由もない。それどころかたった一週間とはいえ、毎日会っていたみんなに会えなくて寂しいなんて思っていた。
小学生のときも中学生のときもそれなりに友達はいたけど、休みの日にわざわざ会いたいとは思わなかった。自分は案外淡白なのかもしれない。そう思っていたけれど、高校生になって初めて迎えた夏休みは今までと少し違った。ふとした瞬間に友人たちに会いたいと思うことがある。
『いいよ』と返事を打って送信する。すぐさま『駅前の本屋で待ってるな』と返信がきて「え、」独り言にしては大きな声を出してしまった。
もしかして天空くんもう待ってる? どうしよう、早く行かなきゃ。慌てて部屋着から外行きの服に着替えようとしてはたと動きを止めた。
——『お姉ちゃん、明日は
脳裏を妹の笑顔が過ぎる。
そうだ、今日は心結が昼食を作ると張り切っていた。楽しみにしててね、と意気込む姿に癒されたのはつい昨日の話。……ベッドに置いていたスマホを再び手に取り文書を入力していく。『すぐ行きます。お昼ご飯食べてからでもいいですか?』
可愛い可愛い妹の作ったご飯を食べ損じるわけにはいかない。天空くんには悪いけど、できるだけ急ぐから許してほしい。
『全然いいよ。待ってるからゆっくりおいで』許可が出たところでわたしは急いでお昼ご飯を食べにリビングへ突撃した。少し不恰好な、でもとろとろの卵が乗ったオムライスはとても美味しかった。
◇◇◇
駅前の本屋さんってここだよね? きょろきょろと辺りを見回し、落ち着いた雰囲気のある書店に足を踏み入れる。夏休みとはいえ平日だからか、さほど人は多くなくて店内には静かな時間が流れていた。
天空くんの姿を確認しながら進み、時代小説の一角で捜し人を見つけ足を止める。背表紙に書かれているあらすじを読んでいるのか、真剣な顔をしている天空くんにそろりと近づく。決して驚かせようという魂胆ではなくて、邪魔しないように配慮したつもりだったのだけど、気配を感じたのかなんとはなしに振り返った天空くんの瞳が驚きで見開かれた。
「寧羽か、びっくりした。集中してたわ」
「ごめんね、待たせちゃって」
「いいよ、急に呼び出したのはこっちだし。来てくれてありがとう」
「わたしも誘ってくれてありがとう」
たった一週間会っていなかっただけなのに、少し懐かしく思えてしまう。美鈴ちゃんも天空くんも光くんも、それぞれメッセージのやりとりはあったけど会うのは終業式ぶりだった。
『あの、さ、寧羽ちゃん。…………………………俺にも連絡先教えてください』
終業式の前日、視線をうろうろと動かしながら顔を赤く染めた光くんにそう言われ、何故だか妙な緊張感の漂う中わたしは小さく頷いた。ほっと息を吐く光くんの表情は安堵からかふにゃりと緩み、目が眩みそうなほど綺麗な笑みを見せられて今度はわたしが直視できずに視線を彷徨わせた。
新しく追加された連絡先を嬉しそうに眺める光くんにくすぐったい気持ちになる。そんなに喜んでもらえるなんて思わなかった。スマホが音を鳴らしてメッセージを受信する。「よろしく」たった一言が特別に感じた。
名前を呼ばれて顔を上げる。「これ買ってくる」と先程熱心にあらすじを読んでいた本を軽く掲げて天空くんはレジへと向かった。待っている間店内を流し見たけど、サッと見ただけでも本の品揃えが豊富なのがわかって目移りしてしまう。普段あまりここまで来ることはなかったけれど、今度また来てみよう。
それからお会計を済ませて戻ってきた天空くんと冷房の利いた店内から、じりじりと太陽が照りつける青空の下に繰り出す。ここに来るまでこの暑さを感じていたはずなのに、一度涼しい場所に身を置いてしまうと余計に暑く感じてしまう。それは天空くんも同じようで「あっつ……」とこぼしてげんなりとしていた。
「なんでこんな暑いの。意味わかんね」
「夏だね」
「じゃ、早く涼しい場所行くか。電車の時間もちょうどいいし」
「え? 電車?」
さらっと告げて腕時計で時間を確認した天空くんは、本屋の向かいにある駅へと歩き出した。手でパタパタと顔を扇ぐ後ろ姿を慌てて追いかける。
「待って電車に乗るの? どこ行くの?」
「んー、それは着いてからのおたのしみ」
いたずらっ子みたいな顔をして笑う天空くんに疑問符が頭上を占める。いったいどこに行くんだろう。駅構内に入り「はい」と券売機で購入した切符を渡された。そこに書かれた料金から案内板を見上げる。駅名からはその先の目的地までは予測できない。
全く検討のつかないまま乗り込んだ電車の中は冷房がついていたけれど、頻繁に開け閉めされるためか利きはよくないように思う。それでも外と比べたら紛れもなく涼しい。平日の電車内は空いていて、空いている席に並んで座る。
本当にどこまで行くのか、天空くんは意味深な笑みを浮かべるだけで教えてくれない。終始楽しそうな姿を横目に、まあいいかと背もたれに体を預けた。
ガタンガタンと揺れる筐体。昼食後というのもあって睡魔が襲ってくる。隣の天空くんに寄りかかってしまわないように背筋を伸ばして流れる景色に意識を向けてみるけれど意味はなかった。「起こしてやるから寝ててもいいよ」今にも瞼が落ちそうなわたしに気づいた天空くんが「なんなら肩貸してやるよ」なんてからかいの色を孕んだ声で言う。
「だ、いじょうぶ。ありがとう」
「遠慮しなくていいのに」
上がっている口角にからかわれているのは百も承知なのに、彼の持つ色気に圧される。とりあえず話題を変えようと無難な話を振ると、露骨な思惑に気がついた天空くんがおかしそうに笑いながら答えてくれる。それからいくつかの他愛ない話をして気がつけば目的の駅への到着を報せるアナウンスが車内に流れていた。ゆっくりと速度を落として電車が止まり、ホームに降り立つ。
この先は本当に何の情報もない。隣で固まった筋肉をほぐすように身体を伸ばしている天空くんに訊ねてもやっぱりまだ「着いてからのおたのしみ」とだけで教えてはもらえなかった。
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