第13話 ②
「……誰もいない」
教室に着いて中の様子を窺えば閑散としていて誰もいなかった。少しだけまだ美鈴ちゃんと天空くんが残っているんじゃないかなと思っていたけど、天空くんは保健委員の集まりに行くと言っていたなと思い出す。駆け足といえど普段走ったりしないために乱れてしまった呼吸を深く息を吸って吐いて整える。真っ直ぐ光くんの席へと行く。持ち主の机の上に鎮座している紺色のスクール鞄。まじまじと見たのは初めてだけど、この変なキャラクターのキーホルダーはうっすらと記憶にある。
「そうだ、はやく戻らないと」
ミッション故の緊張からか、いつもなら落ち着くはずの静かな教室が少し肌寒く感じる。鞄に手を伸ばしてよいしょっと両手で抱えたのと同時、かたんと引き戸に何かが当たるような小さな音が室内に響いた。
な、ななななななに?! びくりと肩が跳ねて思わず光くんの鞄をギュッと抱きしめる。
「……誰かと思ったら、どーも」
「ど、どどどどどうも」
お、思いっきり声が裏返ってしまった。
音がした方から教室に入ってきたのはバッチリしっかり見覚えのある女の子で、ドキドキと心臓が早鐘を打つ。確か、二ノ宮恵菜さん、だ。この間、話という話はしていないけど声をかけられたのを覚えてる。窓際の前から二つ目の席の女の子。授業中、長い栗色の髪が開けられた窓から入り込む風によく靡いている。
美鈴ちゃんに気をつけなさいと言われてからわたしなりに意識していたのだけど、結局あれから特に変わったことは起きなかった。それどころか目すら合わなかったくらいだ。二ノ宮さんは固まったまま微動だにしないわたしと、わたしの目の前にある席に視線を這わせると口元だけで笑みをつくった。
「そこ光の席だよね。その鞄も光のかな? 湖浜さんなにしてるの? まさかこっそり光の鞄抱きしめちゃうほど変態さんになっちゃった?」
ぬぁっ!
「ち、違うよ。わ、わたしはその、鞄を取りに来ただけで。別にやましいことは何もない、です」
「ふぅーん。鞄を取りにね。光に頼まれたの?」
「まあ、その、そんなところ、です」
同級生なのに、同い年なのになんだか大人っぽさを感じる。それに加え芯の強さを現したような眼力がわたしを射抜く。けれど警戒する心とは裏腹に、二ノ宮さんは「ふーん」と意外にも興味なさそうに腕を組んだ。さっき一悶着あったから気を張ってしまっていたけど、やっぱり彼女からは敵意と呼べるような敵意を感じなくてふ、と少しだけ肩の力を抜く。
「……前に、訊きたかったこと訊いてもいい? 今はあの番犬もいないし」
番犬?
「えっと、はい」
そういえばこの間と雰囲気が少し違う。前はもっとキャピキャピしたアイドルみたいな感じだったけど、今は落ち着いた女性って感じだ。どちらにしてもお人形さんみたいですごく可愛いことに変わりはないのだけど。パッチリとした大きな瞳が窺うようにわたしを見る。
「湖浜さんは、光のこと好きなの?」
「え…………えっ!?」
予想していなかった質問で理解するのにたっぷり数秒かかった。好き? 好きってどういう意味? どう答えるべきかものすごい勢いで思考を巡らせていると二ノ宮さんの瞳が儚げに伏せられる。
「……ごめん。いいの、忘れて。湖浜さんが光を好きでもそうじゃなくてもどっちだっていいよね」
どっちだっていい、そう言われてしまうと質問の意味を問うことが意味を成さなくなる。言葉が見つからずに二ノ宮さんの言葉をただ待っているわたしから彼女は視線を外して興味なさそうに続けた。
「本当に気にしなくていいから。口に出したらなんてバカなこと訊いたんだろうって自分に呆れただけ」
「……」
「湖浜さん光が傍にいるといつも困ったような顔してたから、光のことどう思ってるのかなって訊きたかったんだ。本当に興味というか、素朴な疑問というか……」
わたし、そんなに顔に出ていたのか。確かに最初は困ってた。どうしてわたしに構うんだろう、光くんが一緒にいるとそれだけで目立ってしまうのにって。
「でも今は違う。訊かなくても以前と違うことくらい見てとれる。困った様子はないし、前より仲良く見えるし——この話も無意味ね」
「……」
「時間とらせて悪かったわね。それ、早く持って行きなさいよ。過激派の女子たちがうろうろしてるみたいだから見つかったら大変よ。彼女たち光の私物ならシャーペン一本だって記憶してるわ」
だから早く帰りなさいよ、そう言って自分の机からプリントを取り出して鞄にしまう二ノ宮さんを驚き半分でぽかんと口を開けて凝視してしまう。だって、なんかそれって。
「……なによ」
「え」
「ずっと見てるじゃない。私に何か言いたいことでもあるの?」
「いっ、言いたいことっていうか、その」
「ちょっ! な、なんで泣くのよ」
「え! 泣いてなんか…………ハッ!」
泣いてる。
頬に温かいものを感じて手で触れると濡れた感触にギョッとする。ぽろぽろと次から次へと溢れて止まらない涙をごしごし片手で拭った。
「ちょ、ちょっと擦ったらダメでしょ」
「ごめんなさい。なんかいろいろあって涙腺がバカになってるというか、張り詰めてた気持ちが一気に緩んだといいますか、二ノ宮さんが思ってたよりずっと優しくて驚いて…………さっきのも心配してくれたんだよ、ね?」
「はぁ? ……ばっかじゃないの」
心底呆れたように半眼で睨まれてしまった。
「そんなわけないでしょ」
「そ、そうですよね」
「だいたいなんで私が湖浜さんの心配するのよ。湖浜さんのことなんてどうだっていーの。ただ、過激派の連中みたいに光にしつこくして逆にうざがられたりしたら嫌だし、光が湖浜さんに頼んだなら、それを邪魔したら完全に私が悪者になるじゃないの」
一気に言い切ると二ノ宮さんはふんっとそっぽを向いてしまった。本当に二ノ宮さんからしたら言葉通り、わたしのことなんてどうだっていいのかもしれない。それでもわたしを案じてくれたのは事実で、わたしが嬉しかったのも本当だ。
「あの、でも、それでもね、ありがとう」
「あなたね……」
よく見ると彼女の髪がかけられている耳は赤く染まっていて、その顔で威嚇されても怖くない。むしろ可愛くて頬が緩む。
「なに笑ってるのよ! 泣いたり笑ったり情緒大丈夫?」
「ふふ、ごめんね」
「……もういいから早く行きなさいよ。そろそろ本当に戻ってくるわよ」
「! そうだった」
慌てて光くんの鞄を抱え直す。
「あの、またね。二ノ宮さん」
「……」
ふいと顔を背けられてしまったけど不思議と嫌な気はしなくて、来たときもりも気持ちは晴れやかで中庭へと戻る足取りは軽くなっていた。
「戻りました。光くん大丈夫?」
「寧羽ちゃん! 遅かったね。心細かった」
「ちゃんと水分摂ってた? 具合はどう?」
「うん、だいぶ落ち着いたよ。今めちゃくちゃトイレ行きたい」
「それは早く行ってきた方がいいね。わたし学校を出た先のコンビニを越えた先で待ってるね。あとこれ靴」
「え、なんで?! 一緒に帰ろうよ」
「だからその、そこで待ってる! それではっ!」
「え、え、ちょっ!?」
さすがにさっきの今で一緒に校門を出ることは避けたい。わたしは普段ほとんどしない本日二度目の駆け足を発揮して早々に学校を出たのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます