第12話

 



「……こんなところでなにしてるの?」


 自動販売機で買ったお茶がガコンッと取り出し口に落ちた音が辺りに響く。終業式を終えて帰る前に中庭近くの自販機で飲み物を購入したわたしは、大きな樹の後ろに隠れながら周りを警戒している光くんに近寄った。しーっとジェスチャーで訴えられて声を潜める。


「なにしてるの? かくれんぼ?」


 半分冗談の混じった問いを投げる。光くんはやつれた顔で「まあ、そんなところ」と身を縮こまらせた。……まさか本当にかくれんぼだったとは。終業式を終えて早速かくれんぼするなんて元気だな。


「寧羽ちゃんは今帰り?」

「うん。あの、それより大丈夫? 顔色悪いように見えるけど……保健室行く?」

「いや、大丈夫」


 大丈夫って、かくれんぼを続けられる顔色じゃない気がするんだけど。本当に? と確かめれば「……大丈夫だよ」となんとも頼りない笑顔と共に返された。間のあるそれにこのまま彼を置いて帰っていいのだろうかと迷う。誰がどう見ても疲労しているようにしか見えない。うーん、と頭を悩ませ「あ」と先程購入したお茶を差し出した。


「これ、よかったら飲んで。まだ開けてないから」

「いいの? 寧羽ちゃんのでしょ」

「いいよ」


 どうぞ、と笑えば「ごめんな、ありがとう」とペットボトルのキャップを回し、ごくごくと冷えたお茶を流し込んだ。ちら、と辺りに視線を配る。誰とかくれんぼをしているのかは知らないけど、傍から見たら樹に向かって話しかけているわたしは怪しさ満点じゃないだろうか。光くんが暑い中、身を犠牲にして隠れているのにわたしのせいで見つかるのは忍びないな。


「それじゃあわたし帰るね。少しでも体調悪いなと思ったらちゃんと休むんだよ」


 そう言ってその場を去ろうとしたけれど制服の裾をくい、と引っ張られて引き止められてしまった。


「どうしたの?」

「一緒に帰りたい」

「え、でもかくれんぼしてるんだよね?」


 かくれんぼの最中に帰ってしまうとか鬼が可哀想すぎる。そう言えば光くんは頭を掻きながら「いいんだよ、俺が勝手に隠れてるだけだし」とちょっと混乱する情報をくれた。待って、鬼のいないかくれんぼは、かくれんぼですか?


「鬼の人いないの?」

「いるといえばいるんだけど、同意じゃないというか」

「?? 鬼役の人に鬼の自覚がなかったら捜してもらえないよ。かくれんぼって知ってますか?」

「うん、自分が言ってることがめちゃくちゃなのは理解してるからそんな純粋な目で憐れまないで」


 だって今の光くんの発言からすると、ただ隠れてる光くんなんだもん。


「それで、その遊びはどうしたら終わるの?」

「遊びじゃない。俺はいつでも真剣だよ」

「…………真剣ならまず鬼役を誰かにお願いした方がいいと思う」

「だよね」


 頭を抱える光くんを前に、わたしも意味がわからずに立ち尽くす。——と、数人の女の子の声が聞こえてきて身体がぐんっと傾いた。

 え? と思ったときには背中に温かさを感じて身体が固まる。耳元で「ちょっと我慢して」と光くんの声がダイレクトに聞こえて更に身体が硬直した。

 どうやらわたしは光くんに引っ張られて木陰に隠れているらしい。理解した途端に後ろから抱き締められるように密着した身体がぶわ、と熱を帯びて奇声を発してしまわないように口を両手で覆った。足音が近づいてくる。


「もー! 光どこ行ったんだろぉ」

「もう帰っちゃったんじゃない?」

「でも鞄、教室にあったよ」

「次下駄箱見てみよっかー」


「……」


 あれ? もしかしてかくれんぼって……

 足音が遠くなって風に揺れる葉の擦れる音しか聞こえなくなった頃、ようやくわたしの体は解放された。


「急にごめんね」

「……察しました」

「ありがとう」


 光くんは乾いた笑みをこぼして体育座りした膝に顔を埋めると長く息を吐き出した。なんかこの状況、空き教室に二人で隠れていたときに似ている。そういえばあのときも何の合図もなく引っ張られたな。


「……今回はなんで追いかけられてるの?」


 愚問な気はするけど一応訊いてみる。


「……夏休みの予定聞かれたからそういう話だと思う」

「思う?」

「雲行きが怪しかったから途中で逃げてきた」


 雲行きが怪しいってなんだろ。


「大事なお話だったかもしれないよ? 聞かなくてよかったの?」

「……いいよ。話通じないし、やりたいこといっぱいあるし」

「光くんがいいならいいんだけど」


 なんだか体を丸めて小さくなる姿が幼い子供のように思えて、気がついたら光くんの頭によしよしと手を置いてしまっていた。顔を上げた光くんの驚いたような目と視線が重なる。


「寧羽ちゃん?」

「……」

「寧羽さん?」

「……なんと言いますか、自分でもよくわからないんだけど。元気になってほしいなっていうおまじない、みたいな?」

「……」

「あ、いや、ごめんなさい。い、一緒に帰るんだよね? 早く行こう」

「……ふは、」

「ん?」

「ふ、はは、ありがとう。元気出た」

「え、え?」


 光くんの頭から離した手を掬い取られて、そのまま彼の頬に当てられる。


「効果抜群だよ」

「!」


 ああ、また。また心臓が不可解な動きをする。ドキドキと鼓動が速くなって苦しい。ぶわっと熱の集まる顔を隠すように下を向いた。光くんの顔も赤くなっていて、暑さのせいなのかそれとも他に理由があるのかわからないけど、手のひらに伝わる熱に心臓が耐えられそうにない。


「……ひかる、くん」

「ん?」

「は、はやく帰ろう。ね、熱中症になっちゃうよ」

「そうだね」


 ちょっと待ってください。なんで手を繋いだまま立ち上がるんですか?


「あ、あの、手を」


 離して、そう続くはずだった言葉は「あ」という光くんの声に止められてしまった。


「鞄、教室に置きっぱなしだ」





 

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