第11話

 



「湖浜さん、連絡先交換しない?」


 ぽん、と肩を叩かれて振り返ればスマホを片手に持った天空春くんがいい笑顔でそう言った。


「それから名前で呼んでもいい?」


 続けざまに訊かれ「う、うん」と頷く。お昼休み、お弁当を手にわたしの席まで来ていた美鈴ちゃんと、たまたま居合わせていた光くんがなんとも形容しがたい表情で天空くんを見ている。そんな視線はどこ吹く風という様子で慣れた手つきで連絡先を交換すると「ありがとう、寧羽」と早速名前を呼ばれ「俺のことも春でいいよ」なんて微笑まれた。「春くん?」と口にしたわたしに満足げに頷いた彼とは対称的に、一瞬ぐっと眉間にしわを寄せた光くんが「天空のことは天空でいいよ」と綺麗な笑顔を貼り付ける。


「えっと……」


 これはどういう意味だろうか? 先日やきもちだと判断したわたしに信じられないと言いたげな表情をしていた光くんを思い出す。まるで感情を隠すように貼り付けられた笑顔からはその真意が読み取れなくて、助けを求めるように美鈴ちゃんに視線を向ける。美鈴ちゃんは溜め息を一つ吐くと気怠そうに口を開いた。


「別に自由に呼んだらいいだろ」

「……藤和さん普段から俺を牽制してくるくせに天空には何も言わないの?」

「おまえだって名前で呼ばれてるじゃん」


 あれ? そういえばわたし、普通に光くんって呼んでるな。名前を呼んで、嫌な顔はされないけど本当は迷惑だったりする?

 サァッと冷えていく頭に慌てて「ごめんね、灯乃くん」と謝る。天空くんを名前ではなく苗字で呼べと言ったのは暗にそのことを伝えたかったのかもしれない。馴れ馴れしすぎたかも。

 何故か俯いて肩を震わせる美鈴ちゃんは今は置いておいて光くんを見上げる。さっきまで綺麗に完璧な笑みを作り上げていた表情筋は緩み、狼狽えていた。顔色を蒼くして「待って! 違う!」と手のひらを前に突き出して、落ち着かせるように数回深呼吸を繰り返す。美鈴ちゃんは変わらず肩を震わせているし、天空くんは黙ったまま光くんの様子を窺っている。名前呼びから発展したよくわからない状況に首をもたげていると、ようやく落ち着いたのか光くんが軽く腰を曲げ、座っているわたしに視線を合わせた。


「なんでごめんね、なの?」

「えっ、あの、だって……な、名前。わたしひ、灯乃くんのこといきなり名前で呼んじゃって迷惑だったかなって」

「全然迷惑じゃないよ。そのまま! そのまま光くんって呼んで」


 力強い圧に頷きそうになって、いやでもと思いとどまる。


「じゃぁどうして天空くんのことは名前で呼んだらいけないの?」

「そ、れは……」

「本人がいいって言ってんのに、灯乃が反対するなんて疑問しかないよな」


 今まで黙っていた天空くんも不思議に思っていたのか「なぁ」と首を傾けて同意を求めてくる。こくりと頷くわたしに美鈴ちゃんはひーひー言いながらお腹を抱えていた。心なしか天空くんの口端が震えているように見えるけど気のせいかな? ぎゅっと拳を握られたのが視界の端に見えて顔を上げる。拗ねた子供のような表情がわたしを見ていた。


「俺のことやっと名前で呼んでくれるようになったのに、天空のこと名前で呼ぶの早すぎ」

「そ、それは本当にごめんなさい」

「あと単純に嫌だから」


 はっきりと紡がれた「嫌」に面食らう。何故? と至極当然に抱くであろう疑問は、目を逸らされて「それだけ」と教室を出て行った光くんに訊くことは叶わなかった。


「…………何故」


 数秒遅れて出た言葉にどういうわけか美鈴ちゃんから憐れむような眼差しを向けられる。


「鈍感」


 と短く返されて「えぇ?」と情けない声が出る。


「はっきりと言わねぇ灯乃の責任だろ」

「誰でもおまえみたいに思ったこと素直に口にできるわけじゃねーんだよ」

「俺がなんも考えてないみたいに言うな」

「言ってねーわ」


 「ま、あいつのことは今まで通り名前で呼んでやれよ」と混乱している頭を撫でられて「うん」と頷く。


「ほら弁当食おうぜ。腹減った〜〜」

「俺も一緒に食べていい?」

「返事する前に弁当広げてんじゃん」


 二人の会話を耳に光くんが出て行った教室の出入り口を何度も見るけど、次の授業が始まるまで光くんは戻ってこなかった。





 

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