第10話

 



「まあ、うん……仲直りした」


 ぶっきらぼうに、でもどこかほっとしたような顔をしている美鈴ちゃんの頭を背伸びをしてぐしゃぐしゃと撫でる。いつも撫でられている方だから「おいやめろ」と慌てる美鈴ちゃんが新鮮だ。

 戻ってきて開口一番「寧羽、ありがとう」そう言ってはにかんだ美鈴ちゃんに綻ぶ頬もそのままに「うん」と頷いた。あれから数日、続々と期末テストが却ってきて今日全ての結果が出揃った。バンッババンッ! と効果音が付きそうな感じで机の上に広げられた美鈴ちゃんの答案用紙に四人の視線が降り注ぐ。


「はあああ〜〜、よかった」


 脱力して背もたれを抱きしめるように全力で椅子に倒れ込む美鈴ちゃんに、天空くんは答案用紙を一枚取って眉を顰めた。


「うわぁ、ギリッギリだな」


 結論から言えば赤点はなく、補習は無事回避された。天空くんの反応に「うるさいな。頑張ったんだから褒めろよ」とどや顔を見せる美鈴ちゃんに天空くんは無表情でパチパチと拍手を送る。


「よく頑張りました。だけど殆ど赤点ギリギリですね。補習は回避できたけど、もっとちゃんと勉強した方がよかったと思います」

「その通りだけど、ムカつくな」


 ぐっと拳を握る美鈴ちゃんと「ほんとよく高校受かったな」と煽り出す天空くんにハハ、と苦笑する。この二人はこれが通常運転のようだ。だけどあの日のような殺伐とした冷たい空気は感じない。たまにハラハラすることもあるけど二人の言葉の応酬は仲の良い証なのだとほんわかする。

 放課後にそろってテストを広げるわたしたちは、見事全員補習を免れた。心配だった数学も赤点どころか今までで一番良い成績を叩き出し、光くんの教え方の賜物だと感謝が止まらない。


「それにしても灯乃の満点の数々はなんなんだ。ムカつく」

「理科は苦手なんだけどね」

「は? あのな、92点は苦手とは言わないんだぞ。ムカつく」


 じと目を向ける美鈴ちゃんに光くんは苦笑いを浮かべる。


「おまえもおまえだよ。なんでそんなに頭良いわけ? ムカつくよ本当」

「みーちゃんはこの世の全てにムカついてんの? 俺は普通にテスト受けただけなのに。そんでムカつきを覚えるべきは自分だと思うよ」

「おまえだけは本当にムカつく!」


 チッと舌打ち混じりに天空くんを睨む美鈴ちゃんに対して、天空くんはやれやれと首を振った。それからわたしの答案用紙に視線を落として感嘆の声を漏らす。


「湖浜さんは頭良いんだな。全部80点以上、90点台もいくつかあるし」

「えへへ、今回は特に勉強したからね」

「偉いなぁ」

「そうだろうそうだろう」

「なんでみーちゃんが得意げな顔すんだよ」

「寧羽のことはな、自分のことのように嬉しいんだよ」

「湖浜さんは湖浜さんできっと自分のことのように嘆かわしいだろうな、これ」


 わざとらしく悲しみを滲ませながら美鈴ちゃんの答案用紙を指差す。わなわなと肩を震わせていた美鈴ちゃんはハッと顔を上げて徐にわたしの答案用紙を一枚、天空くんに見せつけた。


「見ろ。寧羽の歴史のテスト94点だけど春は85点。もっとお勉強した方がいいんじゃないか」

「まあ、うん。そうだけど、それ湖浜さんのテストだし、湖浜さんに言われるならまだしも赤点スレスレのみーちゃんに言われても何も響かねぇ」


 ガクッと項垂れて崩れ落ちた美鈴ちゃんを慰めて椅子に座らせる。「美鈴ちゃんはよく頑張ったよ」とわたしの腰に巻きつく美鈴ちゃんの頭をぽんぽんと撫でた。

 ——と、頭をよぎった予定に勢いよく壁に掛かった時計を見る。


「あぶない、委員会忘れるところだった」

「あ、本当だね」


 光くんも忘れていたのか同じように時計を見ると、広げていた答案用紙を片付けはじめる。支度を始めたわたしたちに「委員会? 今日当番なの?」と美鈴ちゃんはつまらなそうに頬杖をついた。


「んーん、今日はミーティングだけなんだ。夏休みの当番決めなの」

「えー夏休みも当番あるんだ? 大変だな」

「毎日じゃないけど夏休み中に午前中だけ図書室が開放される日があるんだって。面倒くさいけど大変じゃないよって先輩が言ってたよ」

「ふーん」


 集合時間まであと10分程のところで「そろそろ行こうか」という光くんに頷いた。


「湖浜さん、また明日な。灯乃も」

「うん、また」

「天空くん、美鈴ちゃんまた明日」

「おう。頑張れよ」


 ひらりと手を振って見送ってくれる二人に小さく手を振り返して、光くんと教室を出る。静かに二人並んで歩いていると「あのさ」と普段より少しトーンの低い声が降ってきた。


「天空と仲良いんだね」

「え? そうだね、前は挨拶程度だったけど最近はよく話すんだぁ」

「へぇ」

「天空くん、気さくで話しやすいよね。美鈴ちゃんと天空くんの弾むみたいな会話も聞いてるの楽しくて好き」

「…………」

「光くん?」


 返事がないことを不思議に思って隣を見上げる。貼り付けたような笑顔につい足を止めた。笑っているのに笑っていない光くんの名前をもう一度呼んで引き止める。こちらを一瞥して逸らされた顔は今度は拗ねたように唇を尖らせていて、短時間にころころ変わる表情に頭上が疑問符で埋め尽くされる。


「あの、光くん?」

「別に何もないよ」


 まだ何も訊いてないのだけど。絶対に何かありそうな返答に戸惑いながらとりあえずミーティングに行こう、と光くんの制服の裾を軽く引く。渋々ながらも歩き出した光くんを横目にこの短い時間でなにがあったのかと考える。直前にしていた話は天空くんのことだった。仲が良いんだね、と言われて…………


「もしかしてやきもち?」


 導き出した答えを口にすれば光くんは「は?」と素っ頓狂な声を上げてわかりやすく頬を染めた。なんだそっか、やきもちか。


「光くんと天空くんはあんまりお話ししないの?」

「……特に話したことはないよ」

「そうなんだね」

「……寧羽ちゃん? さっきの、やきもちっていうのは?」

「ふふ、天空くんともっとお話ししたかったんだよね? 大丈夫だよ。二人とも、もっと仲良くなれるよ」


 やきもち妬いて拗ねていたんだな、と思うと可愛くて笑みがこぼれた。また反応の無くなった光くんに顔を上げる。


「え?」


 心底信じられないと言いたげな瞳に見下ろされて目をぱちくりする。まさか光くんにそんな視線を向けられる日が来るとは。光くん? と彼の名前を呼んだものの、二の句が繋げず再び立ち止まったわたしに小さく息を吐き出して「行くよ」と歩き出した光くんの背中を追いかける。


 結局、ミーティングが終わっても何を間違えたのか、そもそも間違えたのかすらわからないまま一日の終わり、ベッドの上で光くんから初めて向けられた表情を思い出して頭を抱えた。





 

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