第4話
「えー! 嘘でしょっ?! ねえ光ぅ」
「まさか湖浜さんとずっと一緒だったの?」
「ないよね? 違うよね? ねー?」
「…………」
「…………」
盲点だった。いや、失念していた。五時間目の授業が終わり、教室に戻るわたしたちを——正確には灯乃光くんを嵐のように取り囲む女の子たちを前に身動きがとれずに立ち竦む。考えればわかることだ。二人そろって授業をさぼれば憶測が飛び交うことくらい。
非難めいた言葉と質問の応酬に灯乃光くんは困ったように眉根を下げていた。
「ねえ光、どこ行ってたの?」
「えっと」
「もーほんと心配したんだよぉ」
「ごめん」
「光ぅ、なんで湖浜さんと一緒なの? 今まで一緒だったとか言わないよね?」
「あのさ、」
「ずぅーるーい! あたしも光とさぼりたいよー」
「あー……」
頭上を甘い声が飛び交う。怒涛の波と矢継ぎ早に飛んでくる質問。灯乃光くんが返事をしようにもすぐに言葉を被せられて話が進まない。助太刀できないかと考えたけど、圧倒されて気の利いた言葉一つ出てこなくて途方に暮れる。
幸いにも彼女たちの興味は灯乃光くんに向いているからこっそり逃げ出すことはできそうだけど……責任の一端がないとは言えないし、このまま彼を置いて逃げてもいいのか。まあ、わたしが何か発したところで解決するとは思えないけど。ああ、もう、せめて別々に戻るべきだったと後悔しても遅い。というかそこまで頭が回らなかった。うう、人混み気持ち悪い……人酔いしてしまう。
「〜〜〜〜っ」
ぎゅっと拳を握る。覚悟を決めて俯いていた顔を上げた、刹那。ぐらりと視界が揺れた。
「!! ————っ」
う、気持ち悪い……
「寧羽ちゃん? え、大丈夫?」
灯乃光くんの焦った顔が揺れている。伸ばされた彼の手がわたしに届くことはなくて、横から誰かに掴まれてしまった。
「ちょっ——」
「だ、大丈夫」
「大丈夫って寧羽ちゃん、顔色わる——」
「……っ、ごめんなさいいい」
「寧羽ちゃん?!」
灯乃光くんの言葉を遮って彼の横を足早にすり抜ける。小走りで人混みから抜け出して、人気のないところまで来ると足を止めた。
「……はあ、に、逃げてきちゃった」
灯乃光くんの助けになれればと意気込んだものの、結局弁明もできないままにその場から逃走してしまうとは。
大丈夫かな? 振り返ってみるけどここから姿は見えない。…………とりあえず落ち着きたい。何か飲み物でも買いに行こう。そう一歩足を踏み出そうとしたとき、前に誰かが立ち塞がった。目が合ってにっこりと微笑まれる。か、かわいい、美少女だ。
「あ、あの……?」
「こーはまさん。どこ行くの?」
「え! えっと」
鈴が鳴るような可愛い声と笑っていない瞳との違和感にたじろぐ。眼前の美少女はにこにことしているのに纏う空気がピリピリと穏やかじゃない。別にやましいことなんかないのに、人見知りなのも相俟って視線が泳いで挙動不審になってしまう。さっきまでの気持ち悪さもまだ残っているせいか、上手く言葉が出てこない。それに、これは、あれだ。
「やだなぁ、そんな怯えた顔しないでよ。ちょっと訊きたいことがあるだけだよ」
絶対に灯乃光のことだ!
ごくり、と息を呑んで恐々と彼女を見上げる。ね? と柔らかそうな長い髪を揺らして首を傾げる彼女は、やっぱり笑みを浮かべているはずなのに目が全く笑っていない。
「き、訊きたいことというのは」
「言わなくてもわかるでしょ? でもここじゃなんだから移動しようよ。静かな場所でゆっくりお話ししたいな」
「…………」
ボ コ ボ コ に さ れ る 。
ぽんぽんぽんぽんぽんっ! と脳に落ちてきた言葉にぞわわっと背筋が震えた。どどどどどうしよう! このままついて行ったらボコボコにされてしまうかもしれない!! 漫画で見たことある光景! まさか現実に自分が呼び出しをくらってしまうなんて思わなかったから脳内予行練習も間に合わない! というか逃げ出そうにも足が動かない。
「湖浜さん? 行こうよ」
「……い、いやでもっ、できればここで」
「湖浜さん?」
にっこりと冷ややかな笑みを向けられる。これはもう覚悟しないといけないのかもしれない。大丈夫、ちゃんと灯乃光くんとは友達です何もありません許してくださいって、誠心誠意謝れば伝わるはずだよね。
「……わ、わかりました」
固まらない覚悟を決めて頷いたのと同時、ぽんっと後ろから肩を叩かれてそのまま後ろに引かれた。
「あれ、寧羽ここにいたんだ。捜したんだぞ」
「み、美鈴ちゃん!」
「二ノ宮も。なにしてんの?」
「……湖浜さんにちょっと用事」
「ふーん、でも悪いな。ここで話せないようなことなら聞く必要ないし、回収してくわ」
「え、美鈴ちゃん?」
いつもより幾分か低い声に怖い顔をした友人が、美少女を睨みつけている。鋭い目を向けられても美少女は変わらない様子でにっこりと笑みを浮かべたままで、バチバチと二人の間に火花が見えた。
「話聞いてたんだ? こういうことされたくないから移動したいだけなんだけど。それに藤和さんには関係ないんだけどなぁ」
「私は寧羽の友達なんだから関係なくはないだろ」
「友達だからっていつもそうやって邪魔ばっかりしてると、逆に湖浜さんが孤立しちゃうんじゃないかな?」
「安心しろ、誰にでもするわけじゃねーから」
「それじゃあ私も湖浜さんとお話ししたいんだけど、邪魔しないでくれる?」
「……だっておまえ、寧羽のこといじめるだろ」
「え」
「ちょっと! しないわよ!」
半眼で呆れたような視線を投げられて美少女が怒る。失礼ね! と頬を膨らませる姿もかわいくて、あんまり怖くない。
「じゃあなんでわざわざ場所を移動するんだよ。どうせあれだろ? この泥棒猫! とか八つ当たりして殴るんだろ? やめてくれよ、可愛い寧羽を傷つけるとか」
「ひぇ」
「だからしないわよ! なにそれ!」
思わず頬に手を当てたらキッと睨まれてしまった。
「本当にもう、藤和さんには関係ないのよ!」
「……私が関係ないなら、おまえだって関係ないんじゃないのか?」
「はあ?」
「灯乃と」
「……っ」
言葉で殴り合うような二人にあたふたドキドキしていると、それは美鈴ちゃんの一言で終わりを迎えた。鋭い眼光で睨まれても全く動じなかった彼女の表情が引き攣る。二人の間に火花どころか稲妻のようなものが落ちているのが見えて思わず目を擦った。
「もういいわ」
そんなわたしに彼女は怒りとは違う、睨んでいるのとも違う、だけど友好的なそれとも違う複雑な視線を向けて呟くと、そのまま踵を返して行ってしまった。
「……」
「大丈夫か、寧羽」
「うん、大丈夫。美鈴ちゃんありがとう」
ふっと強張っていた身体から力が抜ける。結局、彼女はわたしに何を訊きたかったんだろう。去り際に重なった彼女の瞳を思い出す。なんだか悪意があるようには思えなかった。勝手に想像して怖がって申し訳なかったな。
「なあ寧羽、おまえ私からの連絡見た?」
連絡?
「え、見てない。連絡くれたの? 気づかなかった」
「おまえたちがそろって戻ってこないから、授業どころじゃなかったんだぞ。女子がソワソワしてさ」
はあ、と溜め息を吐く美鈴ちゃんの姿にそのときの様子を容易に想像できる。
「全く。休むなら一言くらい連絡しろよな。心配しただろ」
「ごめんね」
「だけどあいつ、まったくもって油断ならないな。寧羽のことすげー心配してたから、つい居場所教えちまったけど」
ぶつぶつと眉間にしわを寄せて呟く美鈴ちゃんに首を傾げる。
「心配?」
「ん? ああ、寧羽と別れて教室戻る途中でさ、おまえのこと捜してる灯乃に会って。寧羽が辛そうな顔してたって心配してたから屋上にいるって教えたんだよ」
「そう、だったんだ」
それで来てくれたんだ。
「本当は寧羽と二人にさせるの嫌だったけど、あいつもなんか苦しそうな顔してるし……まあ、たまにはなと思ったけどやりやがった」
これでまた寧羽が目をつけられたらどうするんだ。そう言って眉間のしわをさらに濃くして難しい顔をする美鈴ちゃんの袖をくい、と引っ張る。
「ありがとう、大丈夫だよ」
「何が大丈夫だよ。今だって呼び出しくらいそうになってたくせに」
「……」
「ああいうのにはついて行くな。絡まれたら大声出せ。いいな」
「あ、えっと」
「いいな?」
「わ、わかった。そういえば、さっきの可愛い女の子、美鈴ちゃんのお友達?」
「友達っつーか、クラスメートだろ。二ノ
「え」
クラスメート? 確認するように反芻すると美鈴ちゃんは「ああ」と頷いた。待って、わからなかった。纏うオーラが神々しいというか、教室にいたら絶対わかりそうなのに。そんなわたしの疑問に「まあ、あいつ教室では眼鏡かけて大人しくしてるからな。たまに耳栓までしてる」と教えてくれた。
「……」
いや、眼鏡で隠せる美少女じゃないよ?
「とにかく気をつけるに越したことはないし、何かあったらすぐに連絡しろ。あとは、うん、気をつけろよ」
「う、うん」
心配だ、という空気を全面にだす美鈴ちゃんに「大丈夫だよ」と笑う。美鈴ちゃんは何か言いたそうな顔をしていたけど、腰に手を当て息を深く吐き出すとわたしの頭をくしゃくしゃに撫でた。
「わわ、美鈴ちゃん?!」
「教室、まだ騒がしいだろうから、ここから一番遠い自販機付き合え」
ぶっきらぼうな物言いと隠せていない優しさにふふ、と笑みをこぼして頷く。
「ありがとう、美鈴ちゃん」
「別にー」
「本当に美鈴ちゃんには助けられてばっかりだね」
「そうか? ……逆だと思うけどな」
「ん? なんて言ったの?」
そうか? の後が聞こえなくて歩き出した美鈴ちゃんの顔を覗き見る。
「いや、なんでもないよ。ほら早く行くぞ」
「わ、待って」
ふ、と微笑を浮かべて速度を上げた美鈴ちゃんの横に並ぶ。
「……なぁ、寧羽。もしなにかあったら一人で抱え込まずにちゃんと話せよ」
「え?」
「私が絶対守ってやるからさ」
「? え、あの」
「わかったか?」
「わ、わかった」
「ん」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます