第2話
「——以上が図書委員の主な仕事内容になります。わからないことがあったら遠慮なく訊いてね」
そう言って人の良さそうな可愛らしい笑顔を浮かべる先輩——
「これからよろしくね、湖浜さん」
「よ、よろしくお願いします」
深々と頭を下げればふふ、と上品な笑い声が聞こえて「それじゃあ、今日は返却された本を棚に戻す作業をします」と動き始めた先輩に着いて行く。わたし、湖浜寧羽は今日から図書委員になりました。
遡ること一週間——
「ええっと、今日は委員会を決めます。各々都合だったり部活だったりと忙しいとは思うけど、なかなかやりがいのある仕事だと思う。積極的にいこうぜ」
少しチャラさ、いや親しみというのか? を感じさせる話し方で生徒から人気を集めている担任は、黒板に書かれた各委員会の主な仕事を簡単に説明していく。「やってみたいけど部活あるしなー」「いやめんどくさくね?」「三年のイケメン先輩、美化委員入ってるらしいよ」「えーそうなの? 入ろうかな」などコソコソと話し声が聞こえてくる。
委員会かぁ。わたしは特段生活が忙しいわけでもなく部活にも入っていない。だから時間はあるのだけど、如何せんわたしは人見知りだ。委員会に入ればそれなりに人との関わりが生まれる。それも、学年に関係なく。とてもできる気がしない。
いつの間にか決まったクラス委員の二人が先生に代わって進行を始める。各委員会が決まっていく中、図書委員と保健委員が残ってしまった。
図書委員も保健委員も仕事が多く、必要とされる場面も多い。一見人気がありそうな委員会なのに、時間の拘束が一歩を阻んでいる。
「もうクジとかでよくない?」
「賛成賛成、早く決めようぜ」
クジかぁ、こういうのって嫌だなぁって思っていると当たっちゃうんだよね。美鈴ちゃんは興味なさげに頬杖をついて
「あの、湖浜さんはどうかな? 図書委員。よく本を読んでるよね」
へ? と素っ頓狂な声が出る。まさかとは思ったけど、まさかまさか、名指しされるとは思わなかった。困惑するわたしにクラス委員の彼女はあたふたと手を振る。
「ごめんね、無理なら大丈夫だよ」
そうは言ってもこの空気。クラス中の視線が集まっている。色んな意味でドキドキと心臓が忙しなく動いて苦しい。わたしは小さく息を吐き出して、こくりと頷いた。
「や、やります」
「え! 本当?! 大丈夫? 無理してない?」
「だ、大丈夫です。頑張ります」
わーわー! とほっとしたように喜ぶ姿に本当に困っていたんだなと、心中を察して少し胃が痛くなりそう。「ありがとう湖浜さん!」と笑顔を向けられて小さく微笑んだ。もう一人のクラス委員の男子が黒板にわたしの名前を書いていく。
「あと保健委員だけど——」
あとひとつ、進行を始めたクラス委員の声を遮るように「はい」と柔らかい声が耳に届いた。誘われるままに視線を向ければ声色と同様、柔らかい笑みを浮かべた灯乃光くんが手を挙げていた。
「あ、灯乃くん立候補?」
「うん。図書委員に」
「え? あの、でも図書委員は湖浜さんが」
「図書委員って二人まで大丈夫だったよね? 俺もやる」
ざわざわと教室内がざわめく。なんで? とあちらこちらから聞こえ、どういうわけか刺すような視線が遠慮なく向けられている。呆然と灯乃光くんを見ていると視線に気づいた灯乃光くんが「一緒に頑張ろうな」と小さく手を振った。黒板には図書委員、湖浜の隣に新たに灯乃と書き足される。予想外の展開にそれからはただ、机との睨めっこに徹した。
どうやら保健委員はわたしの後ろの席の人が立候補したらしく、女の子たちからの「えー、なんでなんで? さっきまで興味なさそうだったじゃん」の声が飛び交っている。「なんか急にやってみようかと思って」そんな会話を耳に、けれど既にそれどころではなく「まあ、うん、頑張れ」と美鈴ちゃんに肩を叩かれるまで動けなかった。
◇◇◇
別に灯乃光くんと一緒が嫌なわけじゃない。むしろ突然の委員活動に戸惑っている身からしたらとても心強い。だけどあれからすれ違いざまに嫌味を言われることが多くなった。それも段々と落ち着いてきてはいるけど、つらい。
山原先輩に教わった通りに本に貼られたラベルを確認しながら本棚に戻していく。優しく溌剌としながらもどこかおっとりした山原先輩は委員会の仕事を丁寧に教えてくれて、緊張でいっぱいだった心に余裕がでてきた。頑張れそうな気がする。一冊一冊間違えないように片付けていると静かな図書室にガラッと引き戸を開ける音が響いた。
「すいません、遅れました」
「ああ、灯乃くん。日直だったんだよね? 湖浜さんに聞きました。お疲れ様」
隣で作業をしていた山原先輩が気づいて、灯乃光くんを手招きする。
「灯乃くん、早速で悪いけど湖浜さんと一緒に本の片付けをお願い。湖浜さん、灯乃くんに教えてあげてね」
「は、はい」
「うん。じゃあよろしく。私は受付で作業してるから困ったら声かけてね。くれぐれも無理はしないように」
ぽん、と肩を叩かれて頷くと先輩は受付の方へ行ってしまった。
「山原先輩ってお姉ちゃんみたい」
「寧羽ちゃんお姉さんいるの?」
「あ、ううん。お姉ちゃんみたいな、みたいな」
「なるほど」
「美鈴ちゃんもお姉ちゃんみたいだよね」
「……そう? 藤和さんは姉というより騎士っぽい」
納得いかないのか首を捻る灯乃光くんの言葉に妙に納得してしまった。
「騎士……確かにいつも助けてくれるし、かっこいい騎士かも」
言いながらふふ、と笑みがこぼれる。隅の方に鞄を置いて、灯乃光くんは数冊、本を手に取った。山原先輩に教わった通りに説明していく。返却される本の数が思ったよりも多くて、図書室の利用者が予想よりも多いことを知った。移動しながら本を片付けて、高い場所は灯乃光くんが戻してくれて助かった。
「これで最後だね」
カートに乗せられていた最後の一冊を本棚にしまって、山原先輩の下へ報告に行く。それからパソコンの使い方など詳しい説明を受けて、今日は時間まで先輩の仕事を見ながらそれぞれ自由に過ごすことになった。適当な本を手に取り椅子に座る。その向かいに灯乃光くんも文庫本を片手に腰を下ろした。
耳をすませば壁に掛けてある時計の秒針が聞こえてきそうなほど静かな図書室で、お互い黙って本を読む。ペラッと頁が捲られる紙の音が耳心地がいい。ふと、目で追っていた文章から意識が逸れて疑問が浮かぶ。無意識に見てしまっていたのだろう、視線に気づいた灯乃光くんが本から顔を上げて微笑んだ。
「どうしたの?」
「! えっ、と……どうして図書委員に立候補したのかなって、気になって」
「ああ、寧羽ちゃんと一緒なら楽しいなと思ったから」
さらりと告げられた内容に「え!」と出そうになった声を抑える。ここは図書室で、わたしたちの他にも読書や勉強をしている人はいる。図書室では静かに、大きな声は厳禁だ。小さく息を吐き出して灯乃光くんを見ると嘘偽りのない純粋な笑顔が真っ直ぐわたしに向けられている。
「寧羽ちゃんはよかったの? あの空気じゃ断れなかったでしょ」
「……そう、だね。でも自分でやるって決めたから大丈夫だよ」
本当は図書委員に決まった日から少し憂鬱だった。ものすごく嫌、というわけではないけど断れるなら断りたかった。それでもあのときやると決めたのは自分で、強要されたわけじゃない。幸いにも顔合わせのときに集まった委員会の面々は先輩をはじめ、同級生も皆優しそうでほっとした。人見知り故に積極的に話しかけにはいけないけど、仲良くできたらなとは思う。
わたしの返答に安心したような顔を見せた灯乃光くんは「これから一緒に頑張ろうね」と人懐っこい顔で笑う。頷いたわたしにまた嬉しそうな顔をするから反応に困ってしまうけど、灯乃光くんが居てくれてよかったとそう思った。
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