ルノさんのうちの私

空乃かうる

私に届いた若草色の封筒

 私は、ルノさんのうちに、おいてもらっている。

 どうしてなのかは、そのうち話すこともあるんじゃないかなって思うけど、今はそれよりも…。

 私のところに若草色の封筒が届いた。あて先は私。差出人は書いていない。

 最初に言った通り、ここはルノさんのうちで、私のうちではない。

 こんな風に届いた封筒、前の私ならそのまま捨てていたと思う。

 けど、ここはルノさんのうち。きっと、またいつものようなことなんだろうなと、私はその封筒を開封することにした。

 お気に入りの小刀を模したペーパーナイフで、一気にざざざっと音を立てて開封する。

 形はお気に入りではあるんだけど、どうしてペーパーナイフって扱いにくいんだろう、私の使い方、悪いのかな? そんなことを思いながら使っていた。

 もしかしたら、封筒には興味がなくて、私、ただペーパーナイフを使いたかっただけなのかもしれない。

 それなら、この封筒を開封した理由の説明もつく。

 この小刀、名前はなんだっけ? お気に入りなのに忘れてしまう。

 そんなことを考えながら、ぱかりと封筒を口を開いた。

 中には、封筒と同じ大きさの空色の紙が一枚。

 まるで木の葉の隙間から見える青空みたいね。

 ぺらり。と音を鳴らしたそれを、私は外へ出してあげた。


     逢いに来てください。


 紙の真ん中に、遠慮がちなサイズ、紺色の文字が語っていた。

 私、誰かと逢う約束、していたかしら?

 どこかで見たことのある筆記。けれ、どこで見たのかは思い出せない。

 私はしばらくその文字を見つめて、記憶を辿る。

 思い出せない。

 けど、逢いに、いってみましょうか。

 まだ私は、色々慣れていないことが多いけれど、それでも、逢いに行けるような気がした。

 私は手紙を持ってルノさんの部屋へ行き、ノックした。

「ルノさん、私、出かけたいんだけど…」

 部屋から返事はなかった。

 出掛けちゃったのかな、ルノさん。

 ルノさんは、知らない間にふらりと出掛けてしまう。長い時は数週間も帰ってこなかったりする。

 けど、そんな時はちゃんと連絡が来る。

 面白いのよ、帰ってこない日は電報が届くの。

 電報には『いつ帰る』とか『どこにいる』とかじゃなくて、ただ一言『ルノ』って書いてあるだけ。最初に見た時は、何のことだかわからなかった。

 ただ毎日毎日『ルノ』って、ただ一言書いた電報が届いて、電報が来ないと思ったら、ルノさんが帰ってきた。

 聞いてみたら、当たり前のように『帰れなかったから送った』って言っていたっけ。

 今日は電報、届いてないから、帰ってくるとは思うけれど…。

 私はまた自分の部屋へと戻ると、手にしていた空色の紙を、若草色の封筒に戻し、手作りのメールボックスへと仕舞い込んだ。

 また後で、ね。

 身支度をしながら、窓の外へ目を向けた。空には雨雲が集まってきている。

 雨、降るんだとしたら、ルノさん、大丈夫かな?

 あ、私の今日の傘は………紺色の傘かな。それとも桃色の傘?

 考えながら玄関に向かうけど、玄関に着いても、どの傘にするかはまだ決まらなかった。

 長靴を履きながら、傘立ての中にひしめき合う傘たちから、今日の傘を考える。

 今日は…そうね、あの手紙と同じ空色にしましょう。

 私は象牙のような柄を掴むと、空色の傘を取り出した。

 他の傘からは苦情とも思えるざわざわとした音が響くけど、空色の傘は嬉しそうにぱたぱた鳴っていた。

「そんなに張り切って、雨を降らせたら嫌ですからね」

 空色の傘の張り切りに、思わず私はそう言ってしまう。

 それから、玄関の引き戸をがらがらと開けて、誰も居なくてもいつもの癖で、

「いってきます」

 と声を掛けた。

 すると、遠くの方から返事があった。

 あれ? ルノさん、居たんだ。どこにいたのかしら?

 私は、ルノさんに先ほどの手紙をみてもらったほうがいいかどうか、一瞬迷うけれど…答えはいつも決まっている。望む通りにしたらいい、と言われるんだろう。

 先ほど返ってきた返事も、私が出掛けることを気にしていない落ち着いた声だったのだから…大丈夫ね。

 結局、がらがらと戸を閉めて、かしゃりと鍵を閉める。

「あら、こんにちわ。こんな天気にお出かけなの?」

 戸の外にいたシロさんが、眠たそうな目を私に向けていた。

「こんにちわ、シロさん。逢いに来てほしいと手紙が来たので、行ってこようかと思いまして」

「手紙ねぇ。珍しいこともあるものね。ふーん、今日は空色の傘なのね。残念、出番はないみたいよ」

 シロさんは右手で顔を洗いながら、空色の傘へ、残念ねぇ。ともう一度繰り返してからかう。

 その言葉に、空色の傘がふるふると震えていた。

 ムキにならないでよ。小声で空色の傘へと言って、私は象牙のような柄を撫でた。

「やめてくださいよ、シロさん。そんなこと言ったら、この子、雨降らせちゃいますよ」

 私が少しだけ笑って言うと、シロさんは顔を洗うのをぴたりと止めて、じっと空色の傘を見つめた。

「そりゃ嫌だねぇ。自慢の白毛が濡れるのは」

 にゃうと体をひねったシロさんが、恨めしそうに灰色の空と空色の傘を交互に見る。

「もし雨が降ったら、うちで雨宿りしていってください。今日はルノさん、うちに居るんですよ」

「ルノがいるの?」

「ええ、いますよ」

 シロさんの顔がぱっと明るくなる。それから、思いっきり伸びをして、短めのしっぽをぴんっと立てた。

「じゃあ、雨が降らなくてもお邪魔させてもらうわ」

 言いながらシロさんは、専用の扉の方へと歩いていく。その足取りは踊っていて軽やか。

 そういえばシロさん、このところルノさんに会ってなかったから、嬉しいの当たり前かも。

 良かったね、シロさん。

 私は、シロさんがうちの中へと入っていくのを見届けると、手の中で象牙のような柄を撫でながら、空を見上げた。

 本当に、降るかもしれないわ。出来たら、逢う前には降ってほしくないのだけど。

 でも、大丈夫よね、長靴も履いているし。ルノさんは家にいるし、問題ないわ。

 私が歩き出すと、長靴がぽこんぽこんと、足音がたてる。

 今にも雨に降ってくださいと、言っているような足音よね、これ。

 私は足を止めて、もう一度空を見上げる。泣き出しそうな雲の色。長靴のぽこんぽこんが、ちゃぷんちゃぷんに変わるのは、そう時間がかからなさそう。

 空色の傘が、また、ぱたぱたと鳴った。どうしたの? そう思ったら…。

「こんにちわ、お嬢さん」

 落ち着いた声が後ろから聞こえてきた。

 あ、この声は…、

「こんにちわ、ご隠居さん」

 私は振り返りながら返事をする。

 思ったとおりに、ご隠居さんがそこにいた。

 ご隠居さんは、ここに慣れない私に色々なことを教えてくれる。本当になんでも知っている『ご隠居さん』。

 そして私のこと『お嬢さん』と呼ぶのは、この辺りではご隠居さんだけ。

 私、お嬢さんと呼ばれるほどのものじゃないんだけれどな。

 で、私が『ご隠居さん』と呼んでいるこの方は、私の目には隠居の文字を欠片も感じさせない、まだまだ働き盛りな優しげな紳士にしか見えない。

 前に、思った通りにそう伝えてみたら、『だから、隠居したんですよ』と答えてくれた。隠居をしたから、ご隠居さん。本当の名前を私は知らない。

 その時、どうして『だから』なのか、私にはわからなくて、きっとわからないって顔をしていたのね、ご隠居さんは続けて『もう役目を終えたのに、まだまだ色々出来そうな気がしちゃいまして、色々お節介を焼いてしまうから、無理矢理の隠居、ですよ』と教えてくれた。

 いつも私の考えている事、見透かされてしまうのに、全然嫌な気がしなくて、むしろ落ち着ける不思議な空気を持っているご隠居さん。

 そんなご隠居さんが、私に声を掛けたということは…、

「急ぐのは、よくありませんよ」

 穏やかな表情で、ご隠居さんが私に言う。

「雨、降られる前にと思ったんですけど…」

 私の言葉に、空色の傘がぱたぱたと文句を告げた。

 ご隠居さんはそんな空色の傘を見て、まあ、落ち着いて。と声を掛けると、傘はピタリと動くのを止めた。それから私を見て、

「大丈夫ですよ。お嬢さんは長靴を履いていますし、頼もしい傘も持っていらっしゃる。それに、雨は必要な時に降って、必要のない時には降りませんよ。ここはそういうところです」

 そう言って、優しく微笑んでくれた。

「そう、なんですね」

「はい、そうですよ」

 不思議とご隠居さんの言葉は、私にすとんと入ってくる。

 だから、私も思っていることがするっと出てしまう。

「私、この子が張り切って、雨、降らせちゃうかと思っちゃったんです」

 そう言って傘を指したら、空色の傘はカサリと少しだけ反応した。

「そうですね。必要ならその傘は雨を呼ぶでしょう。そして貴方をちゃんと守ってくれますよ」

 ご隠居さんは、ですよね? と空色の傘に向かって聞くと、傘は少し改まって、先ほどまでカサつかせていたところを、ぴたっと綺麗に巻きつけて、姿勢を正した。

 どうやら、そうだと言いたいみたい。私は思わずくすっと笑ってしまった。

「ところで、お嬢さん。今日はどちらまで?」

「あ、はい。今日は手紙が届きまして、逢い来てほしいってあったものですから…」

 手紙を見せたくても、手紙、置いてきちゃったし…。

 私の答えにご隠居さん、少しだけ驚いて、ほうほう、なるほどねぇ。と頷いて優しく笑う。

 私、ご隠居さんのこの笑顔、好き。すごく安心できるの。

「そうでしたか。きっと逢えますから、急がずにいってらっしゃい」

 ご隠居さんが逢えると言うなら、間違えなく逢えるんだろう。そんな気にさせられる。

「はい、ありがとうございます。私、慌てずに行ってきます」

 私はぺこりと頭を下げて、くるりと背を向けると、また長靴をぽこんぽこん鳴らしながら歩き始めた。

 歩きながら、なんとなく足元のアスファルトの事を考えてしまった。

 アスファルトって不思議よね。硬いのにやわらかくて。

 夏の暑い日にはちょっとした重みでぐにゃり。

 そういえば、この世界のこの道も、アスファルト? 同じものなのかしら? 今度誰かに聞いてみましょう。

 私はそんなアスファルトかもしれない道を、踏み歩きながら道を進む。

 途中から、レンガ調の道へ、それから何の舗装もされていない道、森と云うのは大げさな、でも林よりは大きい、そんなところへと歩いていく。

 一度足を止めて、空を見上げると、木の葉の隙間からどんよりとした灰色の雲が見えている。

 雨、降りそうに見えるのだけど。

 必要な時に降って、必要のない時には降らない。そういうものだなんて、私は知らない。だって、今まで私がいたところとは違うんだもの。

 私が今までいたところ、あまりはっきり覚えてないんだけれど、そこでは、必要であろうとなかろうと雨は降るの、そして守ってくれる傘はないから、私はただ、濡れるだけ。

 私はただ濡れていただけ。雨を降らせる灰色の雲をぼんやりと見つめていても、雨がやむことはなかった。

 私は、何を思ってあの時空を見ていたんだっけ?

 空色の傘がばっさばっさと騒いで、私は我に返る。

「ありがとう」

 私は象牙のような柄を優しく撫でて、それからまた歩き出した。

 小さな池の前にたどり着く。何もない。

「違ったかしら?」

 ここだと思ったのだけれど。間違えた?

 突然、空色の傘が勝手にばさりと開いて、私の頭上へと、くいっと動いていった。私はただ、象牙のような柄を掴んでいるだけ。

 と。ざざざっと音を立てて雨が降ってきた。

 やっぱり、ここで合っていた。良かった。

「逢いにきましたよ」

 くるりくるりと傘を回して、私は声を出してみた。

 空色の傘も、池の水面も、どちらも同じように、ぼたぼたと雨を弾いていて、音が共鳴する。

 目の前の池の水面では、水滴が飛び上がって踊る、それを繰り返していた。

 ずっと続くと思えたそれが、突然変わる。

 池の水がぐるぐると掻きまわしたかのように、渦になり、ぴたりと止まったと思ったら、池が雲に向かって、雨を降らせ始めた。

 空色の傘が、ばざりばざりと動くと、池から飛んでくる水滴を弾いてくれて、私を濡れないように守ってくれていた。

 池から空へと降る雨、ちょうど雲の隙間から日の光も射してきて、きらりきらりと、水滴の一粒一粒が光って、無数の小さな虹が、そこらじゅうに映し出された。

 私はそんな無数の虹の真ん中で、空色の傘を持って立っている。

 どこを見渡しても、虹が躍っている。すごく、綺麗。

 思わず、私はため息をつきながら、その景色に見惚れていた。

 池の水が全て雲へと上がっていくと、灰色の雲は散って消え、日差しが眩しいくらいに射している。

 水色の傘がばたばたっと体を震わせて、自分に付いた水滴を弾いた。

 また小さな虹が僅かに踊った。

 池があったところへと目を向けると、何か小さなものがきらりと光っている。

 私が歩き出そうとすると、水色の傘がぱたっと動いた。

 すると、私の体がふわっと宙に浮いて、池のあったくぼみへと運んでくれた。

 ふふっ、まるで………まるでなんだっけ? 傘で飛ぶ何かを私は知っていたような気がする。もう忘れてしまったのね。

 池があったから、くぼみはぬかるんでいた。私は足を取られつつも、小さな光を見つけたところへと歩く。

「私を呼んでくれたのは、貴方ですね?」

 そこには、夜空が一滴落ちてきたような、手のひらに収まるくらいの大きさの深い紺色の丸い石が、私を待っていた。

 石の中では星が閉じ込められているみたいに、白い光がちりちりと燃えている。

 私がそれを拾い上げた瞬間、


 ぺらり。


 そんな音が聞こえたと思ったら、私はルノさんのうちの私の部屋、手紙を入れた手作りのメールボックスの前に立っていた。

 手に、若草色の封筒と、同じサイズの空色の紙。その紙の真ん中に、遠慮がちなサイズ、紺色の文字が…、


     逢いに来てください。


 その文字に、ぽたり、ぽたりと水が滴る。

 文字はぐにゃりと形を変えて、


     来てくれてありがとう。


 そう、書き変わった。

「いいえ、こちらこそ。呼んでくれてありがとう」

 私は目から零れ落ちたそれを拭う。それから、若草色の封筒に空色の紙を入れ、手作りのメールボックスへと入れようと目を向けると、そこに先ほどの深い紺色の石が佇んでいた。

 私はそれを、そっと掴んで取り上げると、代わりに手紙を入れる。

 そして両手で石を包み込んだ。手の中の石は、何故かほわりと温かかった。

 この石の事、ルノさんに聞いてみよう。その前に…。

 私は石を抱いたまま、玄関へと足を向ける。

 玄関へ行くと、空色の傘が満足そうに広がって、体を乾かしていた。

「あなたも、ありがとう」

 空色の傘は、かたりっと動いて返事した。

 その時、シロさんが足元を駆け抜けた。

「シロさん、ルノさんに会えました?」

「ええ。会えたには会えたんだけれどねぇ、ルノったら……まあ、いいわ。あなたに言ってもしょうがないもの」

 ルノさん、何をしたんだろう。

「あら、綺麗な石。逢えて良かったわね」

 シロさんが、私の手の中の石に気が付いて、ふわっと笑った。

「はい」

 私は笑顔で返事する。

「じゃ、また来るわね」

 シロさんは専用の出入り口から、しゅるりと外へと出て行った。

「ええ、お待ちしてます」

 私の声が聞こえたのか、外からにゃうと返事が聞こえてくる。

 それから、ルノさんの声も聞こえてきた。

「あ、ルノさん。ただいま戻りました」

 ルノさん、話したいことがあるの、聞いてくれる?

 私は紺色の石を握り直すと、ルノさんの声のした方へと足を進めた。

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ルノさんのうちの私 空乃かうる @kauru

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