第33話 意志が拓く道

(真っ暗だなぁ)

 ライツはぼんやりとした意識の中で、ふらりふらりと飛んでいた。時間の感覚はとうの昔に消え去っている。今が夜なのか、朝なのか見当もつかない。


 どれだけ眠ってしまっていただろうか。無意識に、体に殻を作り上げて周囲の影響を遮断していた。

 闇にとらわれてから、最初に目の当たりにした太陽。それが眩しすぎたのだ。明るくなればなるほど、目の前はどんどん暗くなっていった。


 そもそも、ライツは生まれてから時間というものを意識したことが無かった。洋介と過ごすうちに彼の生活リズムに合わせて体を休めるようになっただけだ。ただただ、彼と一緒にいられる時間を増やすために。

 それがどうであろう。皮肉にも安寧あんねいと共に恐怖心も失ったせいで、何の寄るも無いままに眠り続け、起きては行く当てもなくさまよっている。


 ただ、それでも、意図していなかったとしても、ライツは温もりを求めていた。それを手に入れる方法は忘れてしまったが、この近くにあるような気がする。


(ああ、あった)


 ほら、こう飛んでいたら時折暗い視界の中に見える穏やかな輝き。ただ、それは一瞬でかき消えてしまって向かう先は定まらない。

 ぐるりと方向転換。これ以上先に行くと、温もりから遠ざかる。そんな確信だけはあって、ここから遠く離れることだけ、ライツの体は拒否をする。


 そうして、今宵も夜天の星姫ダーク・ライツは夜空を駆ける。その濁った虹色のはねから零れ落ちる光が、彼女の軌跡を刻んでいた。




 夜のとばりがすっかり下りてしまった頃。


(ふ~む)


 問題を解いている優香の顔を、彼女の家庭教師である平田ひらた良美よしみは自身のあごを触りながら、じっと観察していた。そして時折、声に出さずに唸っている。

 本日、良美が井上邸を訪れた時から、ずっと抱いていた違和感。それがここに来て確信に近くなった。

 

(優香さん。もしかして機嫌、悪い?)


 もし、その推測が正しいのであれば良美にとって驚愕に値する事件だ。自分の察する能力が上がったのか、優香が思いのほか弱っているのか。それとも、全く違う要因なのか。


 良美は、初めて機嫌を損ねている優香を見たのかもしれない。そう思うと、実に感慨深いと良美は思う。


(それはそれは。最近の優香さんは、ずいぶんと柔らかくなったと思うの)


 良美が優香に会うようになって、気づけば付き合いも長くなった。最初に会った頃はとにかく「難しい子だ」という印象が強かった彼女だったが、この頃は本心から笑ってくれるようになった。きっと、優香が良い友人に恵まれたのだと良美は思っている。

 彼には久しく会っていないが元気だろうか、良美はそんな風に優香が変わった切っ掛けの人物を思い出す。


(……もしかして、彼絡みの事案かな?)


 その思い出が、良美にある仮説を思いつかせた。彼女の壁を崩したのが彼であれば、再建された壁を乗り越えてくるのも彼の存在なのでは無いか、と。


「ねぇ、優香さん。ちょっといい?」

 思いついたものは実証したくなる。研究者の性だ。


「なんですか?」


 優香はすぐに顔をあげる。微かに眉間に寄っていたはずのしわは、一切の痕跡を残さずに消え去っていた。さすがの隠匿いんとくだ。

 そもそも、優香は弱いところを他者に見せようとしない。だからこそ、優香の不機嫌な態度を感じ取った事実に良美は驚いたのだ。


 そんな彼女が、感情を隠せなくなる相手。

「友達と、何かあった?」

 良美は一人に絞っているが、あえて濁して尋ねてみるのだった。


「特に何もないんですけれども」


 優香はすぐさま、顔色を変えずに首を傾げている。

 それを嘘だ、と良美は断定する。それぐらい、今日の優香は分かりやすい。いつも完璧に隠しているからこそ、今は目立っている。

(そんなに動揺しなくても、ね。いいじゃない)

 ほら、こうしている間にも視線があちらこちらへと泳いでいるのだ。普段の優香であれば、仮面を被っているかのように弱みを隠すことができるのに。


 そんな優香の様を見て、ニコニコと笑っている良美。優香は観念した様子で、大きく息を吐いた。


「良美さん、ちょっといいかしら?」

(おっ。話してくれるのかな)

 

 心の中だけで前のめりになる良美。実際はちゃんと背筋を伸ばして座っている。こういう優香も珍しいから、興味が先行して気持ちが前に出てしまう。

 優香が話し出すまでは自重しなければ。良美は、はやる心を抑えて優香がもう一度口を開くのを待った。


「良美さんの言う通りです。友達が、かなり苦しんでて……。それなのに、私は何も打開策が思いつかない。今まで、積み上げてきたものを疑ってしまうくらいに。できないことがあるのは、最近許せるんですよ。それでも、今、何もできないのは正直……」


 言葉を選びつつ、とつとつと思いを口にする優香。時折、優香の横顔が泣きそうに見えるのは気のせいではないだろうと良美は思う。

「良美さんなら、どうしますか。何もしてあげられない自分が、許せないときは」

 尋ねながらも、答えを求めていない。それでも、救いだけは探している。そんな声で発せられた問いを最後に、優香は口を閉じた。


(おっと。意外と重い話だったか)

 興味本位で聞いてしまった大人げない自分を反省しつつ、優香の問いに対する答えを良美は模索する。


「そうね、私に交友関係を聞くのは間違っているんだけど、そこは置いといて」


 およそ、人生の先輩として答えるのには良美の経験が不足しているのは否めない。それは二十代半ばまで自身の青春を学問に注ぎ込んできたことの副作用だ。

 それを後悔はしていないが、今、優香が求める答えを口にできないのは悔しい。きっと、今の優香はそんな心持ちなのだろうと良美は推測する。


 きっと何かできるはずなのに、何も見つからない。それは、悔しくて仕方ない。

 それならば、今の良美は優香と同じ気持ちだ。良美の言葉で、答える方法がある。


「私なら、探すわね」

「探す?」

 良美の言葉を、優香はそのまま聞き返す。良美は、うんうんと大きく頷いた。


「自分が分からないのは悔しいもの。だから、探す。自分ができることを」


 その先に、何も見つからないかもしれない。徒労に終わって、再び無力感に苛まれるかもしれない。


「考え続け、諦めない。たとえ、すぐに答えにたどり着けずとも。きっと道は拓けるはずだから」


 それでも探し続ける。そんなロマンチストな解答があってもいいのではないか、と良美は思っている。


「それが私にできることかな。どう、参考になった?」

「諦めない。そうね、そうですね」


 その話を聞いて満足したのか、優香は意識を机の上のノートに向け直す。その横顔は、幾分か明るくなっている。

 難問を解ききった良美は肩に入った力を抜いた。とりあえず、少しは優香の助けになれたようだと胸をなで下ろす。


(それにしても)

 良美は思う。確定はできていないが、もし自分の仮説が外れていないのであれば。

(洋介君、そんな面倒なことに巻き込まれてるの?)


 久しく顔を見ていない優香の友人。ここまで、優香のような人間を悩ませている人物。

 良美は彼の身を、心底案ずるのであった。

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