第32話 善なる心は良しとして

「それにしても、なんであなたが」


 少しでも間が空くと、優香はカーラを鋭い視線で睨み付ける。洋介は久々に、ずっと目がつり上がったままになっている優香を見た気がする。


 皮肉なことに、今、優香にこの表情をさせているカーラが絡んだあの一件以来、優香は険しい表情をあまりしないようになっていたのだ。

 かつて、完璧を目指すあまり他者に、それ以上に自分に厳しかった優香は非常に高圧的であった。それ故に、その態度と生徒会長、そして社長令嬢という立場から『女帝』などという漫画みたいな揶揄やゆをされていたのが井上優香という少女である。

 もちろん、今も完璧を目指すこだわりは捨てていない。むしろ、成長につれて強くなったとも言える。しかし、明らかに違う部分がある。


 それは、余裕だ。優香は無理をしないようになった。無理して背伸びをしても、それは完璧に近づくことにはならない。現状をしっかり把握して、弱点を嘆く暇があったら、それを何とかする方法を見つけ出す。それこそ、遠回りに見えて近道なのだと気づくことができたのだ。


 そのきっかけをくれたのが澤田洋介という少年であり、その彼が優香と関わる契機となったのがカーラの起こした事件である。

 優香は、その因果関係を知らない。とはいえ、それが事実だとしても、それを優香が知ったとしても、彼女はカーラへの不信感を拭うようなことはしないだろう。


 なにせ目の前にいるのは優香の父親を襲った張本人。それがカーラなのだ。命に別状はなかったし、後遺症もなかったとはいえ、それはくつがえすことのできない事実である。


 カーラも当時しでかしたことについては反省している。しているのだが、優香がその件を口にするとこう言い放つのだ。「まぁ、それも若気の至りが起こしたこと。許してくれ」、と。


「むっ」


 その真剣味の無さが、優香の神経を逆なでする。優香はその都度、明らかに不機嫌の度合いが強くなっていった。


(だから、それは謝る側がするリアクションじゃないって)

 洋介は肝を冷やしながら両者の会話を聞いている。


 ある程度、カーラが事件を起こした理由を、彼女と感覚を共有する形で知っている洋介には今のカーラが事件を起こすような者ではないことははっきりと分かる。ただ、他の者相手ではそうはいかないだろう。


 ルーミとの一件を通してみても分かることだが、とにかくカーラの言動は挑発的だ。それは、カーラが相手の本質を見抜くために行っている処世術の一つである。カーラはそうやって、相手の反応を見定め、信用できる相手を見つけているのだ。

 しかし、真意はどうあれ、聞いている側を不快にさせる言動は慎んだ方がいいのではないかと洋介は思う。特に優香は被害者側の人間だ。加害者が何を言おうが、まず疑ってかかるのは当然であろう。


「澤田くん、あなたの事情は分かったわ。それでも、この人を信用するのはどうかと思う。もし、本当に信頼しているのなら、さすがにあなたの感性を疑うわ」


 そうして、カーラに対する不信感が最高潮の優香ができあがっていた。その苛立ちは、洋介に向けてまで飛び火するほどに燃え上がっている。


「まぁ、そう言ってやるな。洋介は星の姫のことが最優先で私への個人的な感情など些事さじなんだ。打算的に、私を利用しているに過ぎない」

 これは彼女なりのフォローなのか、と洋介はカーラの話を聞いていて思った。

 

「そうなんでしょうけれども、それはあなたが判断することではないわね」

 優香も慣れてきたのか、カーラと会話はできるようになってきたが眉が寄ってできたしわはそのままである。


「それで……ライツちゃんがそんなことになっているのなら、尚更言ってほしかったわ」

 優香は心底悲しそうに言う。彼女にとっても、ライツの存在は限りなく大きい。ライツが苦しんでいたというのに、何も知らなかった自分がひどく矮小わいしょうな者に優香は思えた。


「ごめん」


 その、彼女の気持ちが痛いほどに伝わってくる洋介は素直に頭を下げた。


「たとえ知ったところで、何もできやしないだろうに」

 ライツという存在の大きさによって沈静化した優香の炎を、なぜかカーラは火種を再度投下しようとしてくる。洋介の胃が、痛みに悲鳴をあげかける。

「……あなたに言われなくとも、私にできることの限度は知っています」

 ただ、すんでの所で優香はカーラへの感情的な反論を飲み込んだ。結局、カーラは事実を言っているからこそ言葉が突き刺さるのだ。受け止めることさえすれば、問題ない。

 とはいえ、許容量はある。どこまで持つか、当の優香本人にも分からない。


「それでも、私が知っている。それだけで、状況は変わるわよ」

 かつて、洋介がライツの身内を見つけるために、優香に頼った時のように。知っているだけで、空を見る目の色が変わるのだ。


「とはいえ、闇雲に探し回っても見つからない、というのは不本意だけど私も同意するわ。探す、という一点はルーミさんの方が優れているのだから頼った方がいいのよ」


 そこで、久しぶりに名前を呼ばれたルーミが背筋を伸ばした。先程までは、話の中心から外れているというのに洋介以上に体を縮ませていたから、それだけで存在感が出てくる。もちろん、同席している者達にしか感じとれない存在感ではあるが。


「この街の周辺にいることは分かるんですけど、あとは力を使ってくれないと細やかな場所は特定できないんです……」

 自分の無力さを噛みしめて、また背筋を丸めてしまうルーミ。そんなルーミを案じて、優香はここに来て初めて微笑んだ。

「それだけ分かっていれば十分よ。ライツちゃんがいなくなってたら、それこそどうしようもなくなってしまうから」


 しかし、カーラの方へと視線を向けると優香は再び険しい表情になってしまう。やはり、カーラに対しての嫌悪感は理性では制御しにくいようだった。

「私に、何もできない、というのなら。あなたは何をしているの?」

 その口調は、相手の失態をとがめる時に優香が口にするものだった。その威圧感から、女帝と称された。今も、その迫力は失っていない。


「星の姫が洋介にご執心のようだからな。ここで待ち受けていれば必ず現れる、そう見越しているんだ」

 カーラはそんな優香の圧力を、飄々ひょうひょうとした態度で受け流していた。


「それでわざわざ人間の姿になって、澤田くんに近づいているのかしら」

「この姿だと、長時間地上にいられるんだ。洋介とたわむれていたのは……まぁ、気まぐれにすぎない。反応が面白くてな」


 若干、私怨のこもった優香の問いにカーラはその私怨に油を注ぐような言い回しで答えている。カーラが洋介をおもちゃにしているような言動が、優香には許せなかった。

 だから、カーラに対しての一つの懸念が優香から消せないのだ。


「あなた、まさか澤田くんをおとりとして利用する……それは彼も納得してそうだけれども」

 ちらりと、洋介の反応を見る優香。


 どう考えても、カーラの考えは洋介を餌にしているのだが、そこに彼は不快感を抱いていない。おそらく、ライツを助けられるのであれば、などと考えているに違いない。優香は、一つ息を吐いて言い方を変えた。


「澤田くんを危険な目に遭わすことを前提として考えていないかしら?」


 そこだけが優香は気がかりだった。おそらく、洋介はカーラが何かしら言い出したら素直に聞いてしまうだろう。心を許した相手のためならば、自身のみをかえりみずに異常な行動力を発揮する。その性質を、一年程の付き合いではあるが優香はよく知っていし、それに助けられたこともある。

 とはいえ、そんな洋介の良き心につけいって消費しようというのなら許せない。そこは優香にも譲れないところであった。


 優香の疑問に、洋介に対する想いを感じ取ったカーラは心にもないことを口にする。

「そうだな。星の姫の矢、あれをもう一度は勘弁して欲しい。その時は、洋介を盾にでもするか。星の姫も、洋介相手には狙いがズレるだろうよ」

 それは相手に対する、いつも通りの挑発である。聞いた相手が見せる本心を確認するための。


「あなた、それ本気で言ってるの?」

 その言葉は、優香の怒りに火種を放り込み炎上させる。

「さすがに見過ごせません!」

 そして、側で大人しく聞いていたルーミが腰に手を当て、刀を生み出し握ろうとするほどに効果的な言葉であった。ルーミは直接矢を受けている。だから、その危険がどれほどのものか分かっていた。


 しかし、その話題にされた洋介の反応だけが違っていた。


「盾になるぐらいなら、するけどさ」


 その、危険な内容に反した軽い同意。何も考えていないような気軽さに、洋介の言葉を聞いた三名に一様の驚きを生んでいた。


「え、なに」


 いきなり、その場にいる全員の視線が突き刺さった洋介は意味も分からず狼狽うろたえる。


「澤田くん、あなたのその誰かの為になろうとする時の行動力。尊敬してる。でもね、身の丈を知りなさい。あなたにだって、できることと、できないことがある。その判断ができるようにならなければ、きっと身を滅ぼすわ」

「あのな、洋介。貴様なら、私の冗談を見抜けるかと思っていた。貴様のその、素直な感性は美徳だ。悪意を持った者を見極める目を持っているだろうとも思ったが、私の見込み違いか。それでは、騙されても文句は言えんぞ」

「洋介殿。ボクが言えることではないんですけど、自己犠牲もほどほどにしたほうがいいですよ。洋介殿が身を粉にしてライツに付き合ってくれていることは感謝してるんですけど……、そのままでは傷ついて倒れます」


 三者三様、様々な忠告を浴びせかけられて洋介は体を小さく縮ませている。一気に色々と言われているので、正直内容は理解できていないが自分の発言が非難されているのは分かった。

(なんで、僕は女の子達に叱られているんだろうか。こんなところで)

 多分に洋介の良さも言っている彼女達であったが、口調が強くなっているいさめるための言葉しか聞こえてこない洋介は、とてつもなくみじめな気持ちになっているのであった。

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