第30話 夢魔の誘い

「まぁ、これぐらいは許してくれ。それこそ気の緩みが生み出した些事さじだ」


 うやうやしい態度は束の間。カーラはすぐに元の尊大な態度に戻っていた。口では許して欲しいなどと言っているが、その気持ちを今の彼女から感じ取ることはできない。そもそも、些細ささいな事というのは受け手が判断するものであって、話す側が使う言葉ではないのだ。


「貴方、反省してませんよねぇ」


 地面へと降りてきたルーミが頬を膨らませていた。明らかに言われた瞬間は動揺していたというのに、ルーミの表情は平静に戻っている。

 その様が、洋介の心にちくりと棘を刺していった。


(慣れちゃ、いけないことなんだろうけどなぁ)

 ルーミは自分の体質のことを馬鹿にされることに、慣れてしまっているのだ。軽く、あくまでも軽く言い返すルーミを見て、洋介は少しだけ悲しくなった。


「ボクはいいんですよ、その言葉を引っ込めてもらえれば。ただ、あれを続けられたらボクも刀を抜いて切り捨て御免をするしかないですから、そこは覚悟しといてください」


 術無しのーきんと。レイラからだけではなく、同族からの揶揄やゆがどれだけあったかルーミは覚えていない。慣れてはいけないことなのだろうが、いちいち真に受けて落ち込むことほど非生産的なことはない。

 その言葉に奮起して、魔術ではなく、体術を磨いてきたという点もある。周囲からの評価も、現在のルーミを形作る要員となっているから仕方の無いことだと言えるのだ。


「ふん」


 カーラはルーミの言葉をまるで聞いていない。一切顔色を変えることなく、耳から耳へ、意識を通さずに聞き流している。


「しかし、ああ、そうだな」


 それでも、カーラ自身にも思うところがあったのだろう。そう、口に出してから思い出すように「ふっ」と笑って洋介を見つめた。その目が、あまりにも真っ直ぐで洋介は息を飲む。


「貴様の言うとおりだ。確かに私は調子には乗っていたな。貴様にとっては不謹慎なことだったろう。そんな様を貴様に見せてしまうとはな。それは、私が悪かった」


 昨日、ルーミとくだらない言い争いをしていたことを洋介が叱責した出来事を思い出しながらカーラは再び謝罪の意思を示す。そこには茶化したり、ごまかしたり、回りくどい言い回しはない。洋介も真っ直ぐな感情を彼女から感じ取ることができた。


「楽しかった。そうか、これが楽しさなんだな。私が人間だった・・・・・頃にはあまり感じなかった感情だ。そうか、これが」

 カーラは自分の内面に起きた事象を、噛みしめるように口に出している。それをルーミは不思議そうに見つめているが、事情をある程度知っている洋介はなぜか泣きそうな表情になっていた。


「貴様が不快に思うなら自重しよう。この街の住人ではない私が、関わりを強く持つべきではないな」

「いや、うん。別に、カーラは好きなことしてくれていいんだけど。僕が気になったのは、そこじゃないし」

 洋介の言葉は歯切れが悪かった。ここで、まだカーラが調子に乗っていているのであれば洋介にも言いたいことはある。

 しかし、すっかり冷静さを取り戻したカーラにかけるべき言葉はみつからなかった。


「そうか」


 洋介からの許しが出たと解釈したカーラは、すっと体の力を抜いた。これで、本当にいつも通りだ。


「しかし、星の姫を探したところで見つからないのも事実だ。ほら、星の従者がここに来ていることが何よりの証拠。近くにいるのであれば、すぐさま行動に移しているだろう?」


 カーラに指を指されたルーミの方を見る洋介。周囲を行き交う人間から見れば、洋介とカーラが両者とも虚空を見ている形になっている。しかし、カーラの存在感が強すぎて気にする者はいなかった。


「そうなの?」

 洋介は小声でルーミに確認をとる。気持ちが落ち着いてきたことで、洋介は周囲の視線がとてつもなく気になりだしていた。

 特に、カーラに抱きつかれていたシーンを見た者から突き刺さってくる嫉妬の視線が凄まじく痛かった。できれば逃げ出したいが、さすがに二度目はないだろう。洋介は我慢することを決めた。


 洋介に問われたルーミは顔を曇らせる。

「はい。あの子の力が制御できていない感じからすると、起きてさえいてくれれば気配が分かりやすいはずなんですけれど。少なくとも、今は、何も感じられません」

 自分のふがいなさを噛みしめながら、ルーミは現状を報告した。


「つまりは?」

「近くにはいませんね。とはいえ、洋介殿から離れてしまうとも考えにくいですし」


 どこかに隠れて、それこそ気配を遮断する術でも使って眠りについているのか。ルーミの直感は、そんな結論を出していた。


 ルーミの話が終わったタイミングで、カーラは再び洋介の向かい合ってニヤリと笑った。


「そういうことだ。闇妖精の領域へと、一人で特攻するなどという思考よりも先に行動する星の従者がここにいるんだ。感知していれば、それこそ考え無しに飛び回っているだろう」

「それ、またこっそりとボクをバカにしてますよね。貴方」


 ルーミの非難を再び受け流し、カーラは洋介から一切視線を動かすことなく話し続ける。


「だからな、洋介。貴様は休んでいた方が良い。どうせ、星の姫が現れたら貴様はまた・・無茶をするんだろう?」


 私と対峙した時のようにな、とそれだけはルーミに聞こえない声でカーラは言った。一応、ライツとカーラが交戦した時のことはルーミの地雷だとカーラは分かっているらしい。


「でもなぁ」

 洋介はカーラに同意することができない。


 なにせ、すでに洋介の理性は「ライツを探していても自分では見つけることができない」と結論を出している。それなのに本能が静まってくれない。だからこうして、いてもたってもいられなくてライツを探し回って歩き続けているのだから。

 そんな洋介の様子を見て、カーラは口端を歪めて笑っていた。


「もし、休めぬようなら私の術を使って眠りにつくか。なに、貴様には術が効きにくいが貴様自身受け入れてくれれば問題ないだろう」

 それは、カーラに身を委ねるということだろうか。今のカーラは信頼しているものの、それはさすがに怖ろしいと洋介は感じた。

「それなら、どうだ。貴様の望む夢を見せてやろう。幸せな悪夢フェリーチェ・インキュボではない、本当に幸福な夢をな」

 その、小さな拒絶を感じ取ったカーラは続けざまに、まるで勧誘する者のように洋介を誘い続ける。


「あのさ、カーラ」

 それでも渋り続ける洋介に、カーラは少しだけ困った表情をしてから言い放った。


「そうか、貴様。もしや、そういう方面の夢が好みか。確かに、地上界こちらでは私のような能力の持ち主を夢魔サキュバスと呼んでいるようだから、期待するのも無理はない」

「え、ちょっと待って」

 いきなり何を話し出したのだろうか、この子は。困惑する洋介をよそにカーラは言葉を続けていく。


「しかし、残念なことに私には経験が無いからな。その辺は貴様の妄想で補え。どんなみだらなものでも夢の中でなら見せてやろう」

「ぶはっ」


 洋介は動揺のあまり、思わず吹き出した。天下の往来で、いきなり何を口走っているのだろう。カーラへの返事も思いつかず、洋介は慌てふためいている。


(何の話をしているのかな)

 ちなみに、ルーミは全く意味が分からずにきょとんと立ち尽くしていた。


「……むぅ、これでもダメか。それなら」


 洋介一人が混乱している現場で、カーラは次の手を考えている。ここにいる者全てが、自身の思考で精一杯になっている。


 だから、そんな光景を目の当たりにして呆然と立つ少女の存在と、彼女の手から滑り落ちて地面へと落ちる鞄の音に誰も気づかなかったのだった。

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