第29話 生まれつきの枷

「なっ」


 ルーミは絶句した。カーラの発した言葉に対処するために、思考がぐるぐると回転する。

 それは、言い返す言葉を探しているものではない。ただただ、カーラに言われたことを己で受け止める為に時間がかかっているだけなのだ。それぐらい、ルーミには衝撃の多い言葉であった。


(ん?)

 ルーミの反応を待っていたカーラが、彼女の様子がおかしいのに気づき始めたと同時に。


「こらっ」

 カーラは額に軽い衝撃を覚えた。


 痛いわけではない。むしろ、触れられたように軽いものだ。しかし、カーラはそれにかなり驚いた。思わず、洋介の腕を放して後ずさる。

 それは親が子を叱る際に行う行動。自分勝手に動く子を静止させ、話を聞いてもらう為に行われる愛情を持った触れ合いに近い。

 そんな行為を、カーラは知らなかった。だから、驚いたのだ。


 そんなカーラの目に映るのは洋介である。しかし、先ほどまでカーラの行動に狼狽うろたえていた焦りの顔を彼はしていなかった。

「おまえ、調子に乗りすぎ」

 冷静に、さとすように洋介はカーラをたしなめる。洋介はぐっと強く握った手をカーラに見せながら、「ふぅ」と小さく息を吐いた。


 できるものなら、やってみればいい。


 それがルーミにとって禁句であることを洋介は知っている。聞いた瞬間、洋介の体は動いた。カーラに必要以上に触れないようにと固まっていたことなど、すでに忘れていた。

 空いている手でこぶしをつくり、すぐ近くにあるカーラの額を手の甲で小突いたのだ。


 後々、この行為が正しかったのか洋介は自問することになる。いくら許せなかったとはいえ、女性に手を上げるのはどうなのだろうという想いが生まれてくる。

 それでも、今はカーラに言ってやらないとすまない気分に洋介はなっているのだ。


――あ、ボクは術が使えないんですよ。生まれつきってやつで。


 洋介が思い出すのは自身の不用意な一言。そして、その一言が引き出してしまった、ルーミの笑顔に隠された、長い年月の間に鬱積うっせきされた悲哀の感情だ。


 それはルーミの薄着が、どうしても気になったので「ライツみたいに違う服を着てみたらどうか」と提案してみた時。


 ライツが時々、普段と違う服を着ていることを洋介は知っていた。それは、妖精達なら皆が使える――少なくともその時の洋介はそう思っていた――術でライツは新しい服を作り出していたのだ。地上に遊びに来る度に、人間の装束を目の当たりにしてきたからだろう。あまり気にしていなかった服装という風俗にライツは興味を示していた。

 その楽しそうなライツの顔をしっているから、軽い気持ちでルーミに言ってしまったことを洋介は後悔している。


――力の定着が甘くて。安定するのは、この装束だけなんですよね。


 一度でも良いから、がっちりとした鎧装束を着てみたいものだ。そんな風に、洋介が聞いてもいないのに薄着である理由も話してくれたルーミ。

 その表情が楽しそうであればあるほど、無理をして笑顔をつくっていることが洋介には分かってしまう。どれだけの感情があるのか、洋介には想像できない。


 しかし、軽く踏み込んではいけない領域だと言うことだけは分かる。だから、カーラが不用意に飛び込んだことが洋介には許せなかったのだ。


「おまえさ、分かってて言ってるんでしょ?」


 まずはカーラに確認する。偶然、言ってしまったことであれば仕方が無い。しかし、洋介は確信に近い感覚で、カーラがわざと言葉を選んで件の禁句を発したと思っている。

 実際、カーラは狙っていた。ルーミに一番効く言葉はこれであろうと。その事実があるから、カーラは洋介の問いに素直に頷いた。


 洋介はわざとらしく、大きな息を吐いた。


「あのさ」


 今から洋介が言うことも、カーラに言っていいことか悩む余地がある。しかし、洋介は分かってくれるだろうという思いから止めることなく口にした。


「自分の努力だけではどうしようもない、そんな他人ひととの違いで苦しむってこと。おまえなら、理解できると思ってたけど」


 カーラはパチパチとまぶたを開けたり閉めたりしている。洋介に小突かれた部分を撫でながら、視線は彼から動かない。

 それはあたかも、コンピュータが再起動をしている真っ最中のようで。事実、カーラはあまり感じたことのない衝動を処理しようと動けなくなっている。


 そして、ようやく頭が動き出したカーラはルーミに向かい直った。


「そうだな、私が悪かった。許してくれ」

(素直!)


 それは、ルーミが驚くほどに礼儀正しい謝罪だった。カーラにも思うところがあり、それがそのまま行動に出たのだった。

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