第28話 束の間の戯れ

「なんだ、来てたのか」

 カーラは洋介の腕を抱きしめた状態のままで、上空を見上げた。声色に若干の緊張が垣間見える。彼女・・の登場が、カーラには大層つまらない出来事らしい。


「はい。実は、結構前から来てましたよ」


 カーラにとっても面白くない出来事であろうが、彼女の声を受け取ったルーミにとってもそれは同じだった。できることなら、こんな状況で声をかけたくはない。

 ルーミはもう一度、目前の洋介とカーラに向かって大げさに溜め息をついている。地面もないのに空中でしゃがみ込んで、顔を両手で支えているような格好をしているルーミの視線は冷たい。


「どこで声をかけようか、迷ったんですが……。貴方あなた、本当は何かたくらんでませんか?」


 ルーミはそのままの状態でカーラを睨み付けている。彼女は、先ほどまで上空で注視していたカーラの行動が不審に思えて仕方が無かった。


 ルーミは同種族の存在を感知する能力が高い代わりに、異種族の存在を感知する力はそこまでない。しかも、カーラが人間に化身している状態では他の人間と区別するのに時間がかかる。

 ルーミがライツを探そうとこの街にやってきた時に偶然、洋介の背中を追いかけるカーラの姿をみかけた。一瞬の引っかかりを元に、彼女を観察していたルーミ。とあるタイミングで彼女がカーラだと気づいた。


(こっそり後をつけて何をしているのやら、と思ったら。本当、何がしたいのか)


 そして、ルーミはカーラの行動の顛末てんまつを見届けることになったのだ。

 カーラは洋介の背中を追っていたのかと思えば、人間の店にふらりと立ち寄り、また出てきては少し離れた洋介を追いかける。周囲の人間が向けている好奇な視線など気にもしない。むしろ、誘発するような行動をとり続ける。

 あんなに目立って、何がしたいのか。ルーミには理解できない。カーラが自分には分からない行動をする度に、ルーミの中に疑惑が広がっていく。


 だから、洋介に抱きついた時点で声をかけたのだ。カーラの真意を確かめるために。


「気づかれないように見ていたのか。趣味が悪いな」

「貴方、意外と鈍感なんですね。ボク、けっこう近くにいましたよ。さっきから」


 売り言葉に買い言葉。ルーミは普段は口にしないような皮肉を、カーラにぶつけている。

 その反応は、カーラにとっても好都合だった。言い返してもらった方が、調子が出てくるのだ。


たくらむのなら、もっとうまくやっているさ。それこそ、貴様になぞ気づかれぬうちにな」


 自分のしていたことを急に中断されたのが面白くないのか、いや、いつも通りなのか。ルーミに対して挑発するような言い回しを使って、カーラは彼女の疑問に答えていた。


「むぅ」

 ルーミはその挑戦を受け止められる程の自信が無い。しかし、その事実に納得できないから唸っている。


 実際に、カーラが地上に色々とたくらんでいた時には何も気づけなかった。その時、ルーミも地上にいたのだ。

 目を離したすきにいなくなったライツを探しに来ていたが、子どものライツの力は薄く、ルーミには感知しづらかった。ようやく突き止めた時に、急に消えてしまって焦ったことを昨日のようにルーミは思い出せる。

 それはカーラが用意した結界の中にライツがいたからだ、ということを後から知った。もし、ルーミに気づかれないように事をなす、というのであればカーラには可能なのだ。


 もちろん、本当に二度目がやってきたのなら遅れは取らぬと気合いは入れている。しかし、ルーミが本当に何とかできるのか、と言われれば未だに鍛錬不足だ。自信を持って、カーラの売り言葉を買うには時間が足りない。


 すぐに反論が返ってくるだろうと予期していたカーラは、ルーミが黙ってしまったことに少しだけ目を丸くする。しかし、すぐに表情を崩す。

 自分の想像が面白かったからか、「ふふっ」と声を出してカーラは笑った。


「どうやら、ずっと私をつけていたようだが、いったい何を見ていたんだ。私は、ただ、たわむれていただけだというのに」


 戯れ、それは本当だった。カーラはただ、楽しんでいただけだ。自分を律していた時にはできず、恨みに我を忘れていた時も当然できなかった、そんな散策という行動をとっていたに過ぎない。

 あの日、カーラは自身が許容できる量以上の負の感情を周囲の人間からぶつけられた。その時に歪んでしまった心は元には戻らない。人間に対しての警戒心は、依然強く残っている。

 それでも、少しだけ心持ちが変わった状態で迎える今日。周囲の人間が向けてくる感情は、正負入り交じった複雑な感情だ。とても、全てを一緒くたにしてしまえるほどに単純なものではない。人間全てを恨めるほどに、人間は簡単ではない。今はもう、人間全てを滅ぼそうなどと物騒な考えをカーラは思いつかない。

 もちろん、信頼できる人間がいる、という支えがあることが前提ではあるが。


 思っていたよりも、街を歩く行為に楽しさをカーラは感じていた。

 その事実が、カーラには新鮮だったのだ。


「興味があれば、貴様もやってみたらいい。してみたら、私の気持ちも分かるさ」

 本心からルーミに勧めるカーラ。ルーミはその子どもをさとすような言い方が気に入らなかった。

「ボクの姿はほとんどの人に見えないんですから。それは無理な話ですね」

 ようやくルーミから返ってきた言葉に、カーラは満足そうである。やはり自分だけが喋っている状況では調子が出ない、とカーラは思った。


「そうだな、だったら」


 しかし、取り戻した調子が余計な一言を引き出してしまう。それは、ルーミの根幹に突き刺さる言葉。


「貴様も私のように、変化の術を使って人間に化身をすればいいじゃないか。もちろん、貴様にそれができると言うのならな」


 そして、横で黙って事の経緯を見守るしかなくなっていた洋介のも、許せない一言だった。

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