第21話 鍔迫り合う心

(レイラの姿は……ないですね。これは完全に逃がしました。どこに行ったんでしょう)


 レイラが消えてしまってから、しばらく。ルーミは空をぐるんぐるんと周回していた。レイラの姿と痕跡は跡形もない。逃げ、を選択したレイラの素早さをルーミはよく知っている。

「はぁ、また振り出しですね」


 ようやく地面へと降りてきたルーミの顔は明らかに疲れている。そこに声をかけようとした洋介だったが、ルーミが先に口を開いた。

「どこのどなたか存じませんが、助力、痛み入ります。助かりました」

 降りた瞬間、目が合ったカーラに向かって深くお辞儀をするルーミ。とはいえ、頭を下げながらもルーミはカーラの様子をうかがっていた。目の色は、まだ濃いままである。


(確かに、助かったんですけどねぇ。ボクだけだったら、洋介殿を救えたか、分からないですし。信用できる、と思ったから洋介殿を任せたんですけど)


 洋介は任せろとルーミに伝えてきた声から感じた意志。そして、ライツのことを口先だけだったとしても『友』と呼んでいること。さらに、洋介はカーラに対して知らない者に接する態度をとっていないこと。

 このことから、カーラはきっとライツや洋介とは知り合いなのだろうとルーミも推測できる。


(ボクだけ知らないってことは、どうも)

 とはいえ、ルーミの記憶には全くない。洋介がカーラに向ける態度は信じられても、カーラのことを信じることができない。

 カーラの立ち振る舞い。無駄なく、精錬されている。それは、今、この場にいても油断していないことを意味している。ルーミがカーラの本心を読もうと思っても、彼女はそれを許してくれない。

(何を考えているんでしょう)

 素性の分からない支援者。それでは、いくら洋介の危機を救ってくれた相手だったとしてもルーミが緊張を解くことはない。


「その姿、闇妖精とお見受けします。闇の領域そちらも大変だというのに、なぜ地上階こちらへ?」

 言葉を選びながら相手の素性を確認していくルーミ。過去に何度も突っ走っては失敗した、その経験が彼女を慎重にさせている。だからいきなり核心に向かわずに、ゆっくり外堀を埋めていくことにしたのだ。

 核心が地雷原、そんな危険性もある。踏み抜いたことだって、ルーミにはある。


「なに、私も優先しなければならないことがあっただけのこと」

 その、ルーミの見定めるような態度に気づいているのか気づいていないのか、カーラはあくまでも素のままで答えている。


(星妖精の領域で反乱があったのは聞いたけど、闇も、大変?)


 かたわららで二人の会話を聞いている洋介は、その不穏な言葉に引っかかりを覚えた。洋介には色々と知らないことが多すぎる。その事実が、洋介にストレスを与えていた。

 ただでさえ、自分が狙われている意味を理解するよりも前に襲われて、もしかしたら死ぬかもしれないと思うような身の危険にさらされたのだ。彼の表情にまだ表れていないので、見た目では分からない。しかし、内で洋介の心は重圧により潰れそうになっていた。


 そんな洋介を置いて、会話を続けようとするルーミ。

「洋介殿とは、いつご縁が?」

 今度はカーラに洋介との出会いについて聞いている。それこそ、自分に聞いてくれればいいのに、と洋介は若干不満に思っている。それに、視野の狭くなっているルーミは気づかない。

 対して、洋介のおもしろくない感情に気づいているカーラは彼の方を見てにやりと笑う。

「ちょうど、あれから一年になるか。洋介」

 カーラの思わせぶりな言い方に、洋介は反応が遅れてしまう。

「う、うん」

 そして、彼女からの、洋介が思っていたよりも親しげな呼び方に、彼は幼稚な反応を見せることしかできなかった。しかも、カーラの言う「洋介」には、どことなく懐かしい響きが混ざっていた。

「ははは、何だ、その顔は」

 それがおかしかったのか、カーラはさらに笑っていた。


(一年前?)


 そのカーラの台詞に、今度はルーミが引っかかりを覚えた。

 一年前、と思い出してみれば記憶に残っているのは、あの事件だけだ。代わり映えのしない毎日に、急に訪れた衝撃。だからこそ、ルーミの心に深く刻み込まれた出来事である。

 まさか、とは思う。相手が闇妖精である、ということがルーミに生まれた疑念を確かなものにしていく。


「おまえ、僕の名前、いつ知ったの?」

「さぁ、な。貴様が私の名前を覚えている理由を教えてくれれば言ってやってもいい」

「いや、だから、それはさぁ」


 洋介の話を聞いていると、どうやら名前を教え合う仲ではないことが分かる。もしかしたら、本当に、ルーミの疑念通りの関係かもしれない。

(でも、仲良すぎませんか。それだと)

 しかし、それにしてはカーラと洋介とは親しすぎやしないだろうか。きっと、自分の想像は外れているに違いない。

 

「失礼ですが、貴方のお名前は?」

 一縷いちるの望みをかけて、ルーミはカーラに名前を問う。


「なんだ、知らなかったのか。私は、貴様のことを知っているというのに」

 多少の優越感を持って、カーラは胸を張って話している。その尊大な態度が、ルーミの鼻についた。どうも、気に入らない。先程まであった感謝の念が薄れていく。


 カーラの言い回しは直接言われていない洋介も気になった。

「カーラ、その言い方はちょっとさぁ」

 思わず口を挟んでしまったが、その結果、ルーミの知らなかったカーラの名前が明るみに出る。


「カーラ?」

 闇妖精、一年前、カーラ。点だった言葉がルーミの中で一本の線に繋がっていく。


「アァーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!」


 大音量で発せられる叫び。ルーミの声は洋介の鼓膜を軽く突き破ろうとする。耳を塞ぐ彼の横で、カーラは涼しい顔をして受け流している。


「おのれカーラ、ここで会ったが百年目!」

 しまっていた刀を再び取り出して構えるルーミ。比較的色素の薄い肌が真っ赤に染まっている。


「貴様との縁は、せいぜい一年だがな。私が貴様の名を知ったのがそれぐらいだ。しかも、顔を合わせたのが、今日で初めて。百年前だと、私が人間だった頃になってしまう。さすがに、その頃、妖精の知り合いはいないぞ」

 切っ先を向けられたカーラは暢気のんきにルーミの百年目という言葉をいじっている。その余裕が、さらにルーミの怒りを増幅させた。


「ええい、そんなことはどうでもいい。そこに直れ、成敗してくれる!」


 今にも斬りかかりそうなルーミを見て、洋介は戸惑いながらも懐かしさを感じている。打ち解ける前のルーミの口調は、こんな感じであった。興奮すると、彼女は我を忘れてしまうのだ。

「今度はどんな奸計かんけいか。洋介殿をたぶらかして、一体何を企んでいる?」

 手にする刀を、全力で握りしめるルーミ。どうやら、彼女はカーラが洋介をだまして何か事をなそうとしていると考えたようだ。


 無理もない。ルーミの中にあるカーラという名前に関する認識は、ライツや洋介の敵というものしかないのだから。

 一年前、この地で起こった事件。それにライツ達は巻き込まれた。その首謀者の名が、カーラ。そして、目の前の者に相違ない。


「今更気づいて勘繰りか。星の従者」

 カーラはこれ見よがしに大きな溜め息をついて、呆れた視線でルーミを見る。やれやれ、といった態度がやけに艶やかである。

「これでは、あの星妖精に考え無しのーきんと言われるのも仕方が無いな」

 どうも素でそれなのか、カーラの言い方は全て挑発的である。何を言っても、ルーミの神経を逆なでする。


「ぐっ、確かに貴方に洋介殿を任せたのはボクの失態です。それは後で詫びます」

 その詫びの仕方が切腹というのなら止めてほしい。そうルーミに言いたくなるも、洋介が割って入れる空気ではない。

 ルーミとカーラの視線が交錯し、今にも爆発しそうなのだ。


「貴様は変わらんな。一年前、私を追って闇の領域に一人斬り込んだそうじゃないか。それで、取り押さえられたと聞くぞ。暴走は、身を滅ぼす。私もそれで星の姫にぶっ飛ばされることになったのだから、身にしみて分かっている」

「ボクのことはいい。ライツのことを詫びるというのなら潔く、腹を切れ! いや、いっそのこと、ボクの刀の錆にしてくれる!」

「いいのか。私は加減を知らんぞ。それに、貴様の力任せな刀など、私に触れることすら叶わんと思うがな」


 どうも、ルーミとカーラは相性が悪いのか罵り合いが始まったら止まる気配がない。側で聞いている洋介は、完全に入るタイミングを失って事の推移を見守っている。

(いつまで続くんだ、これ)

 ルーミとカーラ、互いの悪意の応酬が始まっている。聞いているだけで、洋介の心に負荷がかかっていく。

 ただでさえ、レイラとの一件を終えた後だ。体の疲れと、心の疲れが、元々無かった余裕を洋介から更に奪っていく。もう、空っぽだ。


(ああ、何だってんだ、こいつら。そんな場合じゃないだろう)

 カーラもルーミに呼応して自身の武器を取り出そうとした瞬間、洋介のその鬱憤うっぷんが爆発した。


 タイミングとか、最早どうでもいい。ここで大きな声を出すと、周囲に人間がいた際に自分だけ恥ずかしいことになるのだが、そんなのも気にしていられない。


「おまえら、いい加減にしろっ!」


 洋介は感情の赴くままに叫んだ。

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