第18話 夢魔の帰還

「くっ」


 上段から振り下ろされた刃を、レイラはやっとのことで受け流す。反応が鈍くなってきたのか、相手が速くなってきたのか。おそらく、正解は後者だろうとレイラは感じ取った。


 先程から、ルーミの太刀筋に迷いが無くなっている。一心不乱に前だけを見る、そんな状態になったルーミの手強さをレイラはよく知っていた。

 だから、そうならないようにとルーミが色々と考えて太刀筋に迷いが出るようにとレイラは彼女を挑発し続けたのだ。結果、目に見えて動揺したルーミを圧倒することができていた。

 軽薄なように見えて、計算高い。それが、レイラの本質である。


(どうすれば……何をしたらいい?)


 しかし、綿密に作り上げた計算が崩れてしまった時にレイラの弱みが出てくる。予想外の出来事が起こると、考えがまとまらなくなってしまうのだ。レイラも、それが自分の弱点だと自覚している。

 だから、ここまでうまく隠せていたというのに。どうして、こうなってしまったのか。何を間違えてしまったのか。ルーミに代わって今度はレイラが色々と考えてしまっている。


 対して、ルーミの感覚はさらに研ぎ澄まされていっているようだ。レイラの投擲とうてきは、苦し紛れではあるものの練度は高く無駄がない。そして、純粋に速い。

「はいっ!」

 それらを軽々と打ち落としている。二つ、三つと連続でレイラが放ってもルーミには届かない。全て、直前で切り払われた。


 そもそも、『虚無に潰えし星屑の歌アマ・デトワール』ですらルーミは対処しきったのだ。彼女の体に傷をつけたのは、『虚無に潰えし星屑の歌アマ・デトワール』による刃の雨では無く、疲れ切った彼女を狙ったレイラの刺突である。

 今更、数本の刃を苦にするようなルーミではない。


「ああ、もうっ、何だっての!」


 ついには我慢できず、レイラが悪態をつく。何に怒っているのか、分からなくなるくらいには混乱していた。今は、顔に笑みを浮かべる余裕もなくなっている。

「ウザいったら、ありゃしない」

 顔の近くに振り下ろされたルーミの刀を打ち上げてから、レイラは舌打ちをした。

(来るなら、殺す気で来なさいよっ)

 自分は刺されて血を流したというのに、この期に及んでレイラ相手に峰打ちをしかけてくるルーミにも、そんな情けをかけてくる相手と拮抗している自分にもレイラは苛立っている。

 その苛立ちは、事態を動かせないことからくるものか。それとも、ルーミ個人に対しての想いなのか。レイラも最早、何に怒っているのかは分からない。とにかく、色々と気に入らない。


 そんなざわつく感情と、眼前に迫ってくるルーミの存在がレイラの感覚を鈍らせている。


 だから、誰かが洋介を救おうと開いた口から飛び込んだことに、レイラは気付いていない。

 レイラがそれに気づいたのは、かなり時間が経ってからだ。


(え、なにこれ)


 確かに『極彩飲みし終焉の漆黒トル・ノワール』の入り口は閉じることができなかった。その理由が分からないのも、レイラが苛ついているわけの一つである。

 それでも、中に入った者がそこから出ることは容易ではない。開いたままになっている入り口を探そうにも、知覚が鈍っていて見つけられないはずだ。外の情報は完全に遮断されているから、開いていると気づくこともできない。

 そんな状況がレイラに油断を生んでいた。たとえ、開いたままになっていたとしても、誰かが自ら窮地きゅうちに飛び込むことがなければ、洋介に脱出の目がないと思っていた。


 その誰かになろうとする者が、ルーミ以外にいることをレイラは予測できなかった。それが、一番の計算違いである。


(誰かが、壁を破ろうとしている?)


 そんな第三者が、今にもこちらに戻ってこようとしている。レイラには、思いもよらない方法で。


 その方法とは、レイラが想定していたどの対処法とも異なっている。


 例えば、ルーミのような近接戦闘を得意とする者なら、どうでるだろう。術者を制することで結界を消滅させようとするのではないか。考え無しのーきんな相手の対処は簡単である。もし、今回のように口を閉じられなかったケースであれば、より感覚の消滅を狙っていけばいい。外にさえ出さなければ、レイラに敗北はない。

 相手がレイラよりも実力で上回る者であれば。それならば、相手は結界内で自身にかかる悪い効果を打ち消してくるだろう。もしくは、結界そのものを無かったことにしてくるかもしれない。力量差があれば、それもしかたないことだ。しかし、それならそれで、十分に相手できる次の策がある。

 『極彩飲みし終焉の漆黒トル・ノワール』という術を生み出してから幾度となく繰り返してきた思考実験シミュレーション。想像した全てに、「そうなったら次はどうするか」という考えをレイラは巡らせてきた。


 しかし、今はどれとも違う。おそらく、実力的にそれほど脅威ではない。そんなに大きな力を使っているように感じない。面と向かって相手をすれば、勝ち目は十二分にある。

 しかし、その存在は、的確に結界の弱いところを狙って最小限の力で突っついている。その結果、驚くべき速度で壁は薄くなってきている。


 星妖精は、多少の偏りはあっても光と闇が混ざった稀有けうな存在だ。レイラだって、闇の結解術が得意だといっても同時に光の矢を放つ。そんな器用さが強みである。


 しかし、その器用さは時に弱みになるのだ。

 レイラは、他種族の知識に疎い。だから、レイラは想定することができなかった。


 本物の専門家、スペシャリストというものを。こと、結界に関してだけならレイラは彼女・・に敵うわけがなかった。


(え、嘘、もう壊れる!?)

 レイラの顔が驚愕きょうがくに歪む。ガシャンと、再び世界が割れる音が周囲に響いた。


 中空に生まれた世界の割れ目。そこから黒い影が飛び出してくる。そのまま一直線に川の土手へと降り立つと、その影は繋いでいた手をそっと離した。


「かっはっ、ごほっ、ごほっ」


 ずっと息を止めていた洋介は、久しぶりに吸い込んだ空気の量が多すぎてせき込んでいる。目を開けようとしたが、あまりの眩しさにすぐ閉じてしまった。


「なに、慌てることはない」

 無理もない、先ほどまで暗闇の世界にいたのだから目が慣れるには時間がかかる。

「貴様は、あの闇の中にいて正気を失わなかった。それだけで、人間としたら上出来だ。誇るがいい」

 そんな彼の様子を見て微笑ほほえんでから、カーラは上空へと視線を上げた。


「私も多少てこずった。でも、問題は無い。次はこちらのターントゥルノだからな」

 夢魔は、ここに帰還した。


「覚悟はいいか。私は容赦を知らんぞ」

 かつて、地上に絶望し、人間に絶望し、その目を赤く染めた少女。その緋色の目に、その時とは違う輝きを灯して。

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