第17話 暗闇に灯す火

 ここに引きずり込まれてから、どれくらいの時間が経っただろうか。


 周囲に光はなく、無限の闇が広がっている世界で洋介は時間の感覚を失いつつあった。

(呼吸が苦しい)

 幸か不幸か、自我を失わずにすんでいるのは心臓が強く、痛いほどに鼓動しているからだ。血液を送り続けて、何とかしないといけないと不安をあおってくる。

 それはずっと、下向きに引っ張り続けられているせいだ。つまりは、落ちているのだ。それも、足下すら見えないところでずっと落ち続けている。


(ああ、マズい)

 洋介は目をパチパチとする。周りが暗すぎて、閉じているのか開いているのか分からない。自分という存在が消え去って、心臓だけが残っているのではないかという錯覚におちいってしまう。それだけ、自己が薄くなり、鼓動が自己主張している。

 目の前の暗いスクリーンに、洋介が住む街を俯瞰ふかんした映像が時々映し出される。その地面が徐々に近づいてくるのが見える度に、心臓の音が一段と高くなるのだ。

 同時に、頭を叩いてくるような痛みと胸をぐっと握りしめられているような苦しさが襲ってくる。


(もう勘弁してくれって)


 最初はどうにか脱出できないかともがいた洋介だったが、今はもうほとんど身動きがとれていない。周囲が見えないことと、足が地面についていないことが洋介から気力を根こそぎ奪っていった。

 生きるにしろ、死ぬにしろ、早く何とかしてほしい。そんな諦めに心が負けそうになる。


『ふむ、往生際がいいのは美徳だが……もう少し、あらがってみたらどうだ?』


「え、だれ?」

 洋介は久々に出た自分の声が大きなことに驚いた。もちろん、誰かの声が聞こえたことにも驚いているのだが。

 まだ声が出せるくらいには、生きる気力はなくしていなかったようだ。声の主を探して、洋介は顔を動かすも、やはり周囲は暗闇ばかりで何も見えてこない。


『そうか。貴様の周りに充満している闇、そのせいで感覚が奪われているのか』

 そうなると、今の頼りは聞こえてくる声だけだ。しかし、直接、心に語りかけてくるそれに向きはない。右なのか左なのか、上なのか下なのか、洋介には判別できない。

 どうやら声の主は近くで動きを止めているようだ。困惑している思考が伝わってくる。


『これでは、私も近寄れん。でも、そうだな……』

 何か、声の主は思いついたようだ。思いのほか、弾んだ声で彼女・・は言った。


『その手を、上に伸ばしてみたらどうだ?』


「くっ」


 洋介は声に促されるように、反射的に右手を上に向けて差し出した。落ち始めた時に、どこかつかもうとした時に伸ばした手は何もつかめなかった。

 しかし、今度はしっかりと、そして柔らかい感触が手に伝わってきた。相手が、洋介の手を握る。その伝わってきた確かな熱を感じて、洋介はその手を握り返した。


「よくやった。そうでなくては、私が来た意味が無い」


 瞬間、洋介の落ち続けていた体にブレーキがかかる。内臓が変な動きをして気持ち悪くなったが、それも一瞬。体が止まったことに、洋介は安堵の息を吐いた。

 ようやく、色々と考える余裕が洋介に生まれてくる。心臓はまだ鎮まっていない。それでも、洋介はゆっくりと上を見上げ、繋いだ手のその先を見た。


「おまえ」

 その姿を、忘れるわけがない。

 周囲は未だに暗闇だ。それでも、彼女の姿を洋介ははっきりと視認できた。

 

 真っ白な肌に、ルビーのような緋色の瞳が輝いている、笑っている口元には、大きめの犬歯が見えた。顔に見覚えはあるのだが、その表情は初めて見るものだ。

 そんな優しい顔もするんだな、と記憶の彼女と見比べながら、確かめるように洋介は呟いた。


「カーラ」


 自分の名前が呼ばれたことに、彼女は目を丸くしている。その表情が変に素直で、洋介はこんな状況だというのに笑いそうになってくる。

(いや、まてよ。前に落とされた時も笑ってたな。僕)

 どうも、緊張感が強すぎると笑ってしまうようだ。何という性質だろうと、洋介が自身に呆れ始めた頃にカーラはようやく名前を呼ばれたことに反応する。


「貴様に名乗った覚えはないんだが。よく覚えていたな」

「うっ、それは」


 ――おかしいと思った。カーラは、やっぱり化け物だったんだ。


 あれほど強烈な悪意を持って呼ばれていた名前を忘れられるわけがない。しかし、それは洋介が見たかったわけで見たわけではない。そして、カーラも見せたくて見せたわけではない。カーラが隠しておきたかった悪夢だ。

 だから、名前を覚えている理由を口に出すわけにはいかない。洋介は口ごもった。


 そんな彼の不審な態度には興味がないのだろう。カーラは、にやりと笑って洋介に問いかけた。


「しかし、そんなに貴様は諦めが良かったのか。私相手には、もう少しあらがったと思ったが」


 相手を傷つけぬように黙っていた洋介だったが、さすがにその台詞には口答えをしたくなった。自分が諦めそうになったのは、かつて上空から校庭に落とされた経験が心に刻んだ傷のせいだ。

 その精神的外傷トラウマの元凶が何を言う。そう言い返したくなったが、今はカーラの手だけが命綱だ。打算的になるが、カーラを怒らせる真似を洋介はしたくなかった。


「……まぁ、ライツがあれでは貴様の気力も持つまいか」

 星の姫、とカーラが呼ぶ相手に一人しか心当たりがいない。

「おまえ、ライツがどうなってるか知ってるのか!」

 思わず声量が大きくなった。すぐ近くにいるのだから、カーラにはこの音が鬱陶うっとうしいに違いない。


「もちろん。私は、そのために来たんだ」

 それでも、思いのほか柔らかく微笑んでカーラは言い放った。


「しかし、まずは貴様だな。外では星の従者が、ここの術者を食い止めている。その間に、ここから抜け出なければ」

「どうやって?」

 上を見上げても出口は見えない。どこに行けば良いのか、分からない。

 それでも、カーラが見えるだけで不安感は失われていく。中学校で追われていた時にはあれほど恐ろしく感じたのに、我ながら現金なものだと洋介は思う。


 そんな洋介の視線を、悪くない気持ちで受け止めてカーラは笑う。

「どうやって、か。そんなの、強行突破に決まっているだろう」


 ライツがカーラの結界を突き破ったように。

 今度は自分が、洋介を連れて外に出てやろう。


(なに、難しいことはない)


 闇の力が強い結界、それはカーラの得意とするところだ。その打ち破り方も、よく知っている。

 何も知らずに力業で突破したライツとは違う。難度は。それほど高くない。


 カーラは大きく、背中の皮翼を大きく広げた。その緋色の瞳が、らんらんと輝き出す。


「舌を噛むぞ、ちょっとの間黙っていろ」


 洋介が律儀に口を閉じたのを見て、カーラは彼の手を握りしめて強く羽ばたいた。

 その手から伝わる熱も悪くない。そう、状況にそぐわない想いをカーラは抱きながら。

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