真昼の流星 その1

 これはまだ、『星使いティンクル』の伝説が生まれる前のお話である。


 その時、日本は混沌を極めていた。


 時は群雄割拠の戦国時代を駆け抜け、夢半ばに倒れた強者共がいた地に花が咲く頃。豊臣が天下を統一し、徳川へと権力が移り始めていた。天下分け目の決戦が近づき、日本という国は未来の予測が難しくなっている。

 世はこれから生まれる泰平たいへいの世の産声の如く、最後の動乱を前に泣き声のように揺り動いていた。


「ほんに平和じゃ」


 しかし、桔梗ききょうの周囲はそんな気配もなく。穏やかな陽気に包まれて、彼女は縁側に腰掛けて太陽の光を浴びていた。気を抜けば、このまま眠ってしまいそうだ。とはいえ、本当に寝てしまったら桔梗の力を太陽に奪われることになるので気を保っている。

 近所の中では一番の敷地を誇る寺の敷地を眺めながら、桔梗は一息ついていた。周囲は静かで、遠くにいる鳥の声まで聞こえてくるほどだ。


「あやつも、こんな心地じゃったのかの」


 こうして太陽の下にいると思い出す。京で看取った老人が、最後は陽を見たいと桔梗に頼み込んできた。なぜ、臨終の時まで太陽を浴びたいと思うのか。桔梗には理解できなかった。


 しかし、こうして人の世に隠れ住むこと幾星霜いくせいそう。人の真似事をしてみると、これはこれでいいと思えるようになってきた。

 今だって、もし、近くに緑茶でもあれば最高だなと思えるのだ。かつては、何が美味しいのかと馬鹿にしていた味である。


「ふむ、京で歌っていた者がおったな。やれ、文字しか無い田舎の手紙には価値がないと。こちらは刺激的な京の暮らしを教えてあげているのに、土産の一つもつけぬのか、とな」


 その者の言葉を聞いた時、桔梗は深く納得した。確かに田舎からの近況報告は変化がなく、退屈なこと限りなし。その点、京は目まぐるしく状況が変わる。

 最初の頃は、とてもわくわくする思いで次の展開を見守っていた。なにせ、少し時間が経てば権力者が様変わりするのだ。京の都の権力争いは、まさしく桔梗にとって極上のエンターテインメントだった。

 妬み、裏切り、成り上がり。退屈する暇も与えずに、次々と人が来ては去っていった。


「まぁ、刺激の方向性には飽き飽きしておったがの」

 人の欲望は尽きぬ。それは面白い。混沌をかてとする闇妖精としては、欲望が渦巻く魔京に住むということは願ってもない状況であった。

 しかし、あまりに「我が我が」と前に出てくる者ばかりでは、代わり映えがなく退屈と同義だった。結局、演じる者が変わるだけで同じ戯曲を繰り返し見せつけられているようなものなのだから。結末も、いつも一緒だ。

 だから、全てに飽きてしまって京の都を離れたのだ。


 こうして陽の光を浴びることも、昔は敬遠していた。闇妖精と太陽は、対極の関係にある。こうして光を浴びていると、徐々に体力が削られていくような感覚に襲われるのだ。それは他の者と同じく、桔梗も嫌っていた。


 しかし、最近では、それがマッサージのように心地いい。

「ま、何を言われようとも好きなんじゃから、わしはずいぶんな変わりもんじゃな。それは自覚しておる」

 地方に配属された家主について、京を離れてから、どれだけの時間が経ったろうか。桔梗の生きてきた年月からすれば、微々たるものだが、それでも長い年月が経った。

 気づけば、地上に残る妖精族も数が少なくなってきている。昔は、少し歩けば同族と鉢合わせしたものだが。皆が、よりよい新天地を求めて妖精界に去っていったのだ。


「そりゃ、地上よりは快適じゃろうて。それでもわしは、こちらの方がよいがの」


 数年前、闇妖精に新しい王が生まれた。彼の領域は、闇妖精であれば誰しも心地よい空間になっていると聞く。地上にいた者も、彼が創り出す闇妖精の領域へと旅立った。

力を標榜ひょうぼうする闇妖精達を、すべからく従えることができたのだから、彼も相当な実力者だ。

「あやつも、無理をしてなければよいが」

 その力をよく知っている桔梗は、ふぅと大きく息を吐いて天を見上げた。ぶらぶらと足を遊ばせながら。


「むっ」

 そんな彼女の、彼女の名が示す通りに紫がかった目に、一際明るい輝きが映った。

(流れ星? こんな真昼にか?)

 その輝きは太陽の光にすら負けぬ光量で、徐々に大きくなっていく。


 さては、隕石のたぐいだろうか。


「まずいのぉ。わしは平気じゃが、ここらの人間に退避を促すか。いや、みなみな留守じゃったな、そういえば」


 近所の家々は、全てもぬけの殻だ。近隣一体で団結して催される祭りの準備で、全員出払ってしまっているのだ。

 神社の祭りだと言うのに、寺の坊主共まで出ていっているのはどうしてだろう。桔梗にとっては好都合だったので、こうして一人で満喫していたわけだが。 

 そんな人気ひとけのない村に向かって、ますます輝きは近づいてくる。しかし、危惧する必要はなさそうだ。その光は、最初に桔梗が予測していたものとは様子が違っていた。


「おや、思ってたよりは小さいの」


 強く輝いているものの、光源の大きさは変わらない。勢いも、そこまで強くない。速度も、そんなには速くない。逆に地面に近づけば近づくほど、ゆっくりになってきている。

「あれは」

 桔梗の目に十分にとらえられるほど、それは近づいてきた。


「よっ、と」

 軽やかに桔梗は縁側から飛び降りる。その光の落下地点におもむくためだ。

(わしの目が耄碌もうろくしてなければ)

 特に被害もなく、流れ星は地上まで落ちてくるはずだ。


 近くの山に飛び込んだ光を追って、数分程度。桔梗は己の感覚を信じて、歩みを進めている。

「ああ、これは分かりやすい」

 近くまで来てみると、茂みの一角に、金色に輝く場所があった。そこを分け入って、桔梗は目当てのものを見つける。


「……こんにちは」

「おう」

 そこにはちょこんと、小柄な桔梗にですら片手で持てそうなほどに小さな少女が座っていた。急に覗き込んできた桔梗を前に、もともと大きな目を、さらに真ん丸にしている。

 背中から溢れていた光は徐々になりを潜め、代わりに彼女の金色の髪が美しくきらめいた。透き通った瑠璃色の瞳の中に、桔梗の姿が映り込んでいた。


(星妖精の幼体。初めて見たわ)

 こんなに長く生きていて、まだ初めてのことがあるのか。桔梗は湧き上がる感動を覚えていた。


「だれ?」

 星妖精の子は、小さく首を傾げる。その様は大変愛らしい。

「人に名を尋ねる時は、まず自分が名乗るが礼儀ぞ」


 桔梗の忠告に、少女は素直に頷いて答える。

「リッツはね、リッツって言うんだよ」

「ほぉ、そうか。リッツ。わしは桔梗じゃ」


「キキョウ?」

 発音が少しおかしいが、まぁ、よしとしよう。桔梗はこくりと頷いた。


「キキョウ、キキョウ」

 何がおかしいのか桔梗には分からないが、きゃっきゃっとリッツは両手を叩いて喜んでいた。


なんじはどこからやってきたのじゃ?」


 星妖精の子と言えば、産まれた時に近くいる者が後見人となって大人になるまで色々と教えるというのが通例となっていると聞く。リッツの、その挙動不審な様子は、明らかに産まれて間もないことを示唆している。

 ならば、近くに大人の星妖精がいるはずなのだが、そんな気配を桔梗は感じ取れない。

(ちょっと遠いくらいじゃったら感じるはずなのだがな)

 そんな桔梗のもっともな疑問に、意味が分からないという仕草とともにリッツは返答する。


「落っこちてきたんだよ」

「それは知っておる」

 なにせ、落ちていく姿を見たからこそ、こうしてここまでやってきたのだ。

「わしが言いたいのはな、なんじは独りなのかと問うておるのじゃ」


 独り、という言葉にリッツは反応を示す。瞬間、まるで焼いている餅のように頬をぷくっと膨らませていた。

「ライナ、リッツのこと嫌いだもん」

 返事にはなっていなかったが、桔梗に思うところがある。

「ははぁん」

 なるほどな、とニヤケ顔を作って桔梗は彼女の全てを察した。


 この星妖精の幼子は、きっと先輩の指導から逃げ出したのだ。おそらくは、相当に厳しいものだったのであろう。愛によるものかもしれないが、リッツの精神的な幼さはそれを受け止めることができなかった。

 だから、後先考えずに妖精界から逃げ出して地上まで落ちてきたのだ。星妖精は、未だに王と呼べる存在がいない。故に、星妖精達は散り散りになっている。

 だから、身近な大人の庇護ひごがなければ、星妖精の子どもはどこにも居場所がない。というのに、この考えなしの幼子はライナという星妖精の影響下から飛び出してしまったのだ。


「もう、知らないもん」

 そして、今、自分が置かれている現状の過酷さには少しも気づかずに頬を膨らませているリッツを見ていて、桔梗は笑いが止まらなくなってくる。


 その、無謀で、勇敢な行動に桔梗は興味が湧いた。妖精族で、ここまで破天荒な者を桔梗は知らない。知らないものは、つまり、面白いのだ。

(まぁ、よい。迎えの者が気づくまで、こやつを側に置くのも一興か)


なんじ、行くところが無ければ、わしのところへ来るか。なに、悪いようにはせぬ」

 その提案に、桔梗が何を考えていようと、全く裏を読まない瑠璃色の瞳は強く輝く。

「行く!」

 即答だ。リッツの中で、恐れよりも好奇心の方が勝ってしまったらしい。


(こやつは……ライナとやらも苦労しておるの)

 後見人の心中を察し、桔梗は苦笑いを浮かべていた。

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