白頭少女は肉食系!? その3
本屋の中は、これでもかというくらいに冷房がかかっていた。外気温と比べれば寒いほどである。
近くを歩いていた者が緊急退避をしてきた。確かに、避暑地として最適である。長居をすればするほど、再び外に出るのが
こんな状況だ。ロォルに洋介とくっついていられる理由がなくなった。だから、ロォルは少しだけ洋介から離れている。それが、彼女には不服だった。
(う~ん、ボディタッチには成功したのに、最後の方はようすけさんも慣れてしまってました)
腕を絡めたばかりの時は楽しかった。洋介の反応がとても初々しく、かつ、こちらをしっかりと女性として認識しているようだったのでロォルには非常に満足の行く結果だった。
しかし、問題はロォルの姿が洋介以外に見えないということだ。周囲の人間に見せつけることができれば、もっと洋介はロォルのことを意識してくれたのであろうと思うとロォルには残念でならない。
そして、洋介はロォルを見ることができるということを他の人には知られたくないという意識が常に働いている。だから、必要以上に普通に振る舞おうとしていた結果、洋介はすぐにロォルが近くにいるという状況を克服してしまう。
さらに、冷やしていたせいで体温も感じられなかった。それが、ロォルには、とてつもなく不満だった。
そんな不満な顔は見せずに、ロォルは洋介が本を眺めているのを、一緒になって横で見て回っている。
「これなんか、どう?」
洋介が手渡してきたのは、どうしても泳げない子に向けての指導本だ。洋介も知っている有名な漫画のキャラクターを用いて、泳げない、つまりは
水慣れからスタートしているから、そこはクリアしているロォルにも丁度よいのではないか、と洋介は思った。
(むぅ~)
仕方のないことではあるが、とてつもなく幼稚な本にロォルの不満は高まった。やはり、泳げないという弱点を克服しない限り、洋介に幼子と見られるのは避けられないということか。
それでも、洋介が薦めてくれるものだ。本の中身を
当然、ロォルに日本語は理解できないのだが、絵本を読んでいるライツと同じく、彼女の言葉を自動で翻訳して聞いている洋介のように、本の中身にある意味がとれる。
加えて、漫画が多く絵が意味を補足をしてくれるので、間違った言葉としてとらえてしまう心配もない。
「いいですね、これ」
少々悔しいが、今のロォルの難問を解決する手段として最適解だ。
「でしょ? じゃあ、これ買ってきてあげるよ」
「え、いいんですか?」
「いいよ、最初からそのつもりだったんだ」
洋介がレジに向かうのを、人が多かったのでロォルは見送る。嬉しくも、寂しい気持ちがロォルに満ちていた。
「あー、初めての贈り物が、
ロォルは深々と嘆息する。どうせなら、バラの花束とかを夜景の見える場所でもらいたかったとロォルは空想する。
「アレって、なぁに? ロォルちゃん」
「ふぁいっ!」
甘い空想は急に背後からかけられた声で中断する。ロォルは驚いて、飛び上がった。
「ご、ごめんなさい。そこまで驚かせるつもりはなかったのよ」
振り返ると、顔の前で手をひらひらとさせている優香の姿があった。
ロォルが彼女に会うのも、実に三ヶ月ぶりだ。声に馴染みがなくても仕方ないと言える。
それに対して、優香の方はかなり親しげに話しかけてきた。母の故郷であった一件は、彼女にとって、とても大きなことなのだ。そのため、洋介と出会った時期と同じくらいには、優香の中で鮮明な思い出として刻み込まれている。
しかし、ロォルの向ける視線が優香の想像するものと違っていることに彼女は気付いていない。
(そうでした。今日は、この人もこの町にいるんでしたね)
それにしたって、なぜピンポイントで今、出会うのだろう。先程までロォル達は洋介の家にいたのだ。ここに来たのだって、話の流れで、である。
運命、なんて言葉がロォルの頭に浮かぶ。やはり、優香と洋介は引き合ってるのか。
そして、それは無意識に加え、意識的にも近付こうとしているからのせいだとロォルには思える。そもそも、優香の故郷から洋介の家まで一緒に着いて帰った時だって、その距離に驚いた。それこそ、海から離れる時間が長すぎてロォルの体調が悪くなったぐらいだ。
やはり、リィルが推測した通り、離すのは難しいのだろうか。
(ううん。ぐうぜん、ぐうぜん)
ロォルは自分に言い聞かせるように心で唱えて、優香は苦手な愛想笑いを彼女に見せつける。
「ゆうかさん、お久しぶりです」
「ええ、ごきげんよう。今日は本当にどうしたの? 可愛らしい格好をして」
優香は基本的に可愛いものが大好きなので、今のロォルに抱きつきたい衝動を隠している。
「近くまで来たので、遊びに来たんです。それで、ようすけさんに、えっと」
ここで本当のことを言うのは、弱点をさらすみたいで落ち着かない。とはいえ、他に取り繕う言葉もロォルは知らない。
そもそも、洋介と同じで優香にだって泳げないことは知られている。堂々といくべきか。
「泳げないことを相談したら、まずは正しい泳ぎ方を知っておくべきだって。良い本を紹介してもらいました」
「まぁ、澤田くんらしい」
全て分かっています、という感じで返事をする優香にロォルは心中で頬をふくらませる。しかし、どうやら優香に他意はないらしい。単純に自分との違いを興味深く思っているだけだ。
「そうね……私だったら、いきなり実践に持っていっちゃうからね。それじゃあ、リィルくんと同じ
その言い方にロォルはぞっとした。背筋に冷たいものが走る。その予感は、恐らく間違っていない。
優香もリィルと同じく、這い上がってくる我が子を上から見下ろす獅子だ。優香が姉だったとしても、いきなり崖から突き落とされただろう。
やっぱり洋介が一番だ、とロォルは再確認する。
「あれ、井上さん?」
そこに洋介が戻ってきた。彼の顔がほころぶのを、ロォルは見逃さない。
「ごきげんよう、澤田くん。本当、夏休みなのによく会うわね」
そこで、ふわりと空気が変わったのをロォルは感じ取った。優香のまとったそれは、明らかにロォルが警戒すべきものだった。
(おにぃちゃんは自覚してないって、言ってたけど)
これは時間の問題だと、ロォルは焦りを持って現状を受け止める。
「やっぱり、実際にやってみないといけないんじゃないかしら?」
「そう? それまでに結構準備しなきゃいけないと思うけど」
「それはそれ。これはこれよ。頭の中にいれただけでは、理論は使えないのよ。体得するには、一定の練習量も必要だわ」
「そんなもんかなぁ。それでも、一通りは知ってからのほうが怖れは少ないと思うよ」
まるで、我が子の教育方針を話し合うみたいにロォルの水泳指導について話し合う二人を、ロォルは明らかに不機嫌な顔で見上げている。自分の頭の上で、自分のことを、自分を見ずに話さないでほしいとロォルは思うのだ。
「ねぇ、ロォルちゃん」
そこで、声をかけられたのでロォルは急いで笑顔に表情を戻した。
「なんですか?」
どうやら間に合ったようだ。優香は表情の変化に気付いていない。彼女は気にせずに話を続ける。
「あなたさえよければなんだけど、秋くらいにまたこっちに来れないかしら? 近所の市民プールで練習してみましょう。ほら、今はシーズン中で外が混み合ってるけど、屋内の温水プールは年中無休だから。……正直、そっちはあまり
駅前に大手のスポーツクラブが乱立したり、レジャー目的の全天候型大プールが電車で十五分のところにあるとあっては、あえてそこを選ぶ者はいない。子どもが使っていない時間帯は、いつもガラガラなことを優香は知っていた。
基本的に、人がいないところを好むのが井上優香という人間なのだ。町の
(そういえば、前にライツと行ったらどうかとかで、図書館教えてもらったなぁ)
洋介は半年ほど前の出来事を懐かしんいる。
その市民プールであれば、たとえ妖精族がパシャパシャとやっていても気にもとめないだろう。もちろん、一人だと怪しまれるだろうが。
今回は同行者がいる。それであれば、問題ないと優香は考えている。
ちなみに、周囲に二人の関係を色々と推測されるという落とし穴を優香は考えついていない。
「澤田くん、それでいい?」
優香は決めてしまうと頑固である。それを知っている洋介は、考えが凝り固まらないように軌道修正する役目を自らに課していたが、その計画に問題点は見つからない。
「いいんじゃない、それで。ロォルがよければ、だけど」
「え、あ、はい。喜んで」
反射的にロォルが返事をすると、「じゃあ、それまでに読んでおかないとね」と洋介が買ってきた本を手渡してくれた。
それをロォルは大事そうに胸にぎゅっと抱きしめる。
(プールっていうと、人が泳ぐためにつくった場所のことだったかな)
記憶の片隅から、プールという単語を引っ張り出す。同時に『水着』という単語も、一緒に出てきた。
それは旅の途中で、どっかで見た写真だ。とても大人っぽい、美しい女性が眩しい肌をさらしてにこやかに笑っている。
(こ、これはわたしもせくしぃな水着を用意して、ようすけさんと)
そんなことをロォルは妄想していた。しかし、話の流れを思い出すと、意図的に排除していた優香の存在が戻ってくる。
そこで、じっと、優香の体を見つめるロォル。視線の意味が分からず、優香は首を傾げていた。
そんな彼女の、プール用戦闘服を想像し終えた瞬間、頭の中に聞いたことのないリィルの声が再生される。
――だからぁ、ロォル。自分の貧相な体を、もうちょっと
「うっさいなぁっ、おにぃちゃん!」
「え、リィル?」
「リィルくん?」
思わず叫んだロォルは、その白い肌を真っ赤に染めて縮こまっているのであった。
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