第28話 途絶えた想い

「お勤め、ごくろーさんですっ」


 リィルは足をちょこちょこと動かすと、こちらに向かってきた男性の横をスッと通り過ぎる。相手の勢いはそのままだから、結構避けづらい。こちらが見えていない、ということを意識しておかないと足が動かない。

 まるで、前方から転がってくる球を避ける遊戯ゲームのようだとリィルは感じた。


(雪合戦は得意なもんで)

 昔、人里にいた幼い子どもと興じた遊びをリィルは思い出す。あの時は、最初余裕を見せて相手をしていたが、多勢に無勢な状況になって応戦したんだったとリィルは懐かしむ。


 そんな感じで、リィルはロォルの行方を感じ取るのに全力を使うことができず、いつしか歩みも遅くなっていった。


 気にせず走っていた時に会った最初の人は、お互いの体がすり抜けてしまった。だから、皆がそうなんだと思っていたら、すぐ後ろの人とは正面衝突をしてしまう。人間に知覚されない、というのも程度があるのだろう。


 相手が、頭に疑問符を大量に浮かべている表情をしていたのを見て、リィルは笑いそうになった。しかし、同時に覚えた寂しさが愉快ゆかいな気持ちを奪っていく。


 いっそ、清々しく存在がないものとして扱われた方がいい。こうして、触れることができるのに相手に認識されないのでは、もし悪戯いたずらをしたとしても反応がなくてつまらない。


 リィルはそれを実行しようと思うことすら嫌悪感があるが、たとえ、人を殺したとしても、相手に知られることなく、遺族に恨まれることすらないのだ。それでは、自分が覚えてる限り最悪の出来事である、あの火山噴火のように、自然に起きた災害と同じではないかとリィルは思う。

 奪われたことへの怒りを、誰にもぶつけることができず、自身で消化することしかできない。リィルは結局、なんともすることができず、そのもやもやとした想いを、かつて住んでいた氷雪の大地に置き去りにしてきた。忘れることも、解消することもできない。


(いや、人にとってはいっしょか)

 そう、もはや人間にとっては妖精族というのは遠い世界の隣人ではなく、近くにあるが意識しない自然と同意なのだ。たとえ、生気を奪うような悪い妖精族がいたとしても奇病として処理されてしまう。


 そして、逆に、意図せずに妖精の世界を害する人間だっているのだろう。さらに、それに対する妖精族の憤怒ふんぬが人間の生きる世界を焼き尽くしたとしても、張本人である人間は理解できないのだ。


「む~」

 考えれば考えるほど、自分の存在意義すらリィルは感じられなくなっていく。思考の迷路に入り込んで、彼の足はほとんど止まってしまっていた。


「なぁ、あの鳥を保護してからうちの所長、気が立ってると思わん?」


 そこに、すっと入り込んでくる職員の言葉。それは、リィルの右側にある扉から聞こえてきた声だ。

 リィルは耳がいいが、聞こうと思わなければ聞こえない。それが聞こえたのは扉が少し開いていたからだ。


(あの鳥……って、ロォルのことか)

 ロォルのことを思い出して、リィルの足は再び動き出す。彼は半開きになっている扉を、そっと自分の体が通る隙間にして、その中に入っていった。


「ありゃ、なんだここ」

 そこにリィルはロォルがいるかと思っていたが、彼女の姿はなかった。


 見渡せば小さな会議室のようになっていて、中央の机に男性が二人いる。そこで、その机に資料を並べて、お互いの顔と資料を交互に見ながら話し込んでいた。

「まぁ、無理ないよ。ちゃんと分かってから発表しないと面倒だからさ」

 ひょこひょこと軽快な足取りで、リィルは彼等の後ろに回り込んだ。何を見ているんだろう、好奇心に促されるままにリィルは机の上を覗きこんだ。


「え、これって」

 しかし、彼等が見ていた写真を見て一気にリィルの顔から血の気が引く。言葉を失う。リィルの目は見開かれる。


 そこには、リィルが化身した時の姿にそっくりな黒と白の海鳥の姿があった。その黒い目に一切の生気はなく、湿気によってつややかなはずの羽根は乾いてボロボロになっていた。

 剥製はくせい、というものをリィルは知らない。しかし、リィルはその者に命が宿っていないことはすぐに気づいた。


 リィルのこれまで保存してきた色々な記憶が、彼の意思とは関係なく一挙に押し寄せてくる。その中に、確かに写真と同じ姿があったのだ。その時は、生き生きと目が輝いていた。

(死んでたのか……。そりゃ、そうなんだけど)

 間違いなく、目の前の写真に写る彼は、リィルがまだ鳥達の集落コロニーに一緒にいた頃に出会った者であった。


 経った年数が年数だ。

 リィルだって、今も生きていてくれるとは思っていなかった。しかし、覚悟はしていても大事な仲間のむくろを目の当たりにするというのは辛いものがある。覚悟なんて、一瞬で吹き飛ばされる。


 だが、それ以上にリィルの心を揺さぶってくる一言を同じように写真を見ている男性が言ったのだ。


「本当に絶滅した種なのか、ちゃんと調べてから発表しないと。混乱するだけさ」

「え、絶滅って......どういうことだよ?」


 リィルの疑問には当然答えてくれることなく、男達は思うままに話を続けている。


「ぜつめつ」

 リィルはただ、頭に残ったその単語を繰り返すしかなかった。


「ほら、北海道に近縁の種がいただろ。あっちも数は少なくなっているけど、流れ着く可能性はあるじゃないか」

 それはおそらくリィルも知っている話だ。

 北の海で仲間が見つけられなかったリィル達は、ここに来るまでに一度、ある島に立ち寄っている。

「いや、詳しくは遺伝子見てみないと分からんけど、見た目からして違うからな。ほら、保護した方は翼の形状見ても飛べないから」

 そう、その島にいた鳥はよく似ていたが仲間とは違っていた。そいつらと別れて、他の海も見てみようと南を目指している途中でこの町に来ることにリィル達はなったのだ。


「ああ、そっか」


 そこで、ようやくリィルは冷静に考えられるようになってきた。そして、ある事実に気づく。


 リィルはずっと探していた。火山によって滅することになった住処を追われた、かつての仲間の痕跡こんせきを。


 リィル達はその災害の場に最後までずっと立っていた。自分のできる限りの力を使って、より多くの仲間を逃がすために。だから、最後は自分とロォルを、残った力によって封じるという形でしか逃げれなかった。

 だから、あの時から年月は相当経ってしまっている。生きている彼等と会うことは叶わない。それでも、彼等がどこで生きてきたか、それを知るのは仲間だった自分の責務だと思い、リィルはロォルを連れて、ずっと泳ぎ続けていた。


 一目、彼等の子孫と会うことができたのなら……。そんな想いを抱いていたのすら、リィルはむなしくなってしまう。


 そう、最初から、この旅に目的地はなかったのだ。


「やばいな、一気に眠くなってきた」

 とてつもない疲労感がリィルを襲う。ここまで、ずっと支えていた気力がすっと抜けていったのをリィル自身感じ取った。


「まぁ、でも、本当にそうだったとしても繁殖は難しいだろうな」

「……最後のつがいが殺されてから百五十年くらい経ってるもんな」


 その言葉に、気の抜けていたリィルの眉がピクリと動いた。

 今、彼は何と言っただろう。聞き間違いじゃなければ「殺された」と言っていた。


 それだけなら、まだいい。殺し、殺されは自然に生きるもののさがだ。リィルが引っかかったのは、そのすぐ後の言葉。


「当時は倫理観が違うとは言え、絶滅しそうだから高く売れるぞって感覚が、なぁ」

「……売れる?」


 リィルは、自分の心がすーっと冷え切っていくのを感じていた。

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