第27話 妙案浮かばず

「おまえ、ちょっと待てって!」


 眼の前をすっと駆け抜けて、通り過ぎようとする白い影に、洋介は反射的に右手を伸ばす。その手は、空振ることなく対象を掴み取った。もう少しで逃がすところであったが、なんとか彼の黒いマントの先を掴むことができた。


「うおっ」

 勢いそのまま、一点を止められたことでリィルはズルっと滑って尻もちを打つ。綺麗に体が宙に舞った。


「いった~、にぃさん急に何すんの?」

 お尻をさすりながらリィルは立ち上がる。さすがに乱暴だったかと、洋介は反省する。しかし、ちょっと躊躇ちゅうちょしたが、そのまま思っている言葉を続けた。


「いや、何してるのと聞きたいのはこっちの方。おまえ、どこ行くつもりだよ」


 洋介の予想通りであれば、このままリィルを見逃していたら非常に面倒なことになったであろう。リィルは頬を膨らませて、洋介に抗議の声をあげた。

「え~、だって、ロォルあそこにいるんだぜ」

 リィルは施設に向かって指をさす。その態度を見て改めて、洋介は彼を止めて正解だったと息を吐いた。


 止めたのは洋介である。しかし、止められて不満を感じるのも洋介は理解できる。

「気持ちは分かるよ」

 リィルはロォルがいると感じていて、居ても立っても居られなくなっているのだ。こう、話している時もリィルは足をせわしなく動かしている。


「ロォルちゃん、ここにいるのは間違いないのね」

 優香が念を入れてリィルに確認をとっている。リィルは自信満々と言った面持ちで首を力強く縦に振った。


「ぜったい。これは間違いない」


「そっか、ようやくここまで来れたのね」

 優香は、まずはここまで来たことが間違っていなかったと言うことが分かって一人頷いている。


「でも、大変なのはこっからだよ」

 洋介は口を尖らせる。洋介も達成感を感じているが、実際にロォルに会いに行こうと思うと色々と解決しなければいけない問題があるのも事実である。


 洋介はリィルの目をまっすぐに見つめた。

「おまえさ、おまえは良いとしてもロォルは出てこれないだろうに。どうやって連れ出すつもり?」

 洋介は、ロォルが他の人にも見える状態であることをリィルに伝え、その目をくぐる妙案があるのかと彼に問う。


「あっ」

「やっぱり」

 案の定、リィルは何も考えていないようだった。洋介は呆れた様子で、肩を落とす。


 とはいえ、リィルを止めたのも無策を案じてのことだったから、当然洋介にも名案は浮かんでいない。

「でも、どうしようか」

 ちらりと建物の方を見やる洋介。


 彼の視界に入っているのは、研究棟らしき白い建物だ。駐車場を確保するためか、三階建ての敷地が狭い建物になっている。

 この町は平屋が多かったから洋介には見慣れない。こんな風だから、見下されている気がして威圧感を感じてしまうのだろうと洋介は思った。


(色々無機質なんだよな)


 洋介の目を盗んで、再び駆け出そうとしたリィルの首根っこを、ぎゅむっと掴んで彼の体を引きずりつつ、洋介はその場を少しだけ離れていく。

 後ろを歩く優香が、おもむろに口を開いた。


「煙を中に入れて、火事だと思わせることで人をいぶり出すのはどうかしら?」

「……それ、下手すると僕等捕まるよね?」

 あまりにも予期しない提案に、洋介は優香の正気を疑った。洋介の疑惑の目を、自身の案に対する否決と受け取った優香はまた考え込んでいる。


「それなら、爆竹を使って」

「いや、なんでそんな過激な方向に行くのかな。もしかして、井上さん、いっぱいいっぱいなの?」

 優香の発想が意外と物騒なことに驚きつつ、洋介は即座に優香の思考を止めるために口を挟んだ。もしかしたら、この人は思いつめるとテロリストになるような人物なのかも知れないと洋介の脳裏にとんでもない未来予想図が浮かんだ。

 実際、自分が正しいと思ったことに対して、実践に移す行動力を持つ優香だから、その予想はそれほど間違っていない。


「そういうわけではないんだけれど」

 優香は洋介に途中で言葉をさえぎられたことで不満気な顔を見せる。しかし、そんな表情は一瞬のこと。自分が口にしたことを思い出してみた優香は、すぐに自分の意見なのに首を横に振って、「どうかしているわね」と一蹴いっしゅうしていた。


 どうやら、優香は良い考えが浮かばない時はとにかく思いついたことを口にしてみる癖があるようだ。洋介が相手だから気にせず話しかけているが、普段は隠している。いつもなら、一人言が激しくなったりする程度である。

 そうして、自身の頭の中を優香は整理していくのだが、今回は特に何も思いつかない。彼女は見た目以上、そして彼女自身が自覚している以上に焦っていた。


「なぁ、にぃさん」

 マントを引っ張られたままのリィルは、二人の会話が途切れた頃合いを見計らって洋介を呼ぶ。

「見てくるだけならいいだろ。逃がすにしても、ロォルがどんな状況なのか知っておかないと」


 それもそうだ。洋介はリィルの言い分に納得した。


 実際、どのような状態なのか知らなければ対策のしようがない。何かしら新しい情報を仕入れることができれば、優香のバグが入ったような状態になっている思考も鮮明に動かせることができるだろう。


「分かった。でも、あまり話し込むなよ。たぶん、ロォルの声は他の人にも分かるから。それで、中がどんな感じになっているか教えてくれれば、あとは何とかするよ」

 何とかする、と言いながら洋介には自信がない。しかし、実際には自分達が何とかするしか無いだろうと洋介は決めているので、腹はくくっていた。


 洋介が手を離す。待ってましたと言わんばかりにリィルは駆け出した。

「よっしゃ、任された!」

 その言葉だけ残して、リィルは施設に向かって全力疾走。敷地内に入ると、すぐにその背中は見えなくなってしまった。


「……本当に大丈夫かなぁ」

 洋介は一抹いちまつの不安を抱きつつ頭をいた。そして、リィルが入っていったであろう建物を遠目に見て、彼の無事を祈る。

 そうやって、しばらく眺めていて。


(そうだ、どうやって何とかするか決めないと)

 思い出したかのように洋介は優香の方へ向き直った。


「それなら、大人になったライツちゃんの術で思いっきりぶっとばすのはどうかしら?」

(……井上さん、まだ混乱してる)


 誤作動を起こしたままの優香を見て、洋介はさらに不安をつのらせた。


 ライツは星妖精だ。そして、星妖精は大人と子どもで姿が明確に違う。

 今のライツの姿は、彼女の母親が施した術によって言わば「子どもに戻っている」状態なのだ。大人になったライツの姿を知っているのは、この場では洋介だけだ。


 優香は目の前にいるライツの姿しか知らない。しかし、大人になったライツがどんな感じだったのか、洋介は優香に知っている限り話した覚えはある。

 しかし、そこまで事態をどうこうできる術を使えるのかということを洋介も知らない。優香に話したことでされ、ほとんどが「たぶん」がつくものだ。

 いったい、そんな少ない情報で彼女はどんな想像をしているのだろう。


(井上さんの中で、大人のライツは覇王みたいになっているかもしれない)

 ライツの影響で古い漫画を読むようになった洋介は、その登場人物とライツの姿を重ねた。


「え、でも、これ取れないよ?」

 ライツは優香に促されるまま、首の鎖を引きちぎろうとしている。彼女がそれを引っ張る、その度に鎖に繋がれた金色の指輪がライツの胸の前で踊っていた。

(ああ、それ取ると元に戻れるのか……って、おい)


「いや、おまえ、本気にするな」

 こんな冗談のようなことで、封印が解かれた、なんてことになったら星妖精の連中になんて思われるか。洋介は額に汗をかきながら、全力で鎖を引っ張るライツを止めた。


「良い案だと思ったんだけれど」

「い、井上さん。ちょっと、落ち着いたほうがいいと思うよ。うん」


 そんな状態で良い案が浮かぶはずがない。洋介は、早くリィルが戻ってくることを願っていた。


 しかし、すぐに。

 洋介は、リィルを送り出したことを後悔するのである。

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