第11話 現に残された跡

 優香はしばらく口を閉じて黙り込んでいた。洋介の要求があまりにも唐突で、予想外のものだったから頭がうまく働いていないのだ。

 洋介が返事を待っている時、電話の向こうでは優香が頭を抱えている。洋介がなぜ、そんなことを言い出したのかは予測できる。しかし、同時にさすがにそれは性急だろうという思いも優香にはあった。


『えっと、教えることはできるけれども……』

 ようやく絞り出した優香の声は、とても歯切れが悪かった。


『念の為、何に使うつもりか教えてもらえるかしら?』

「うん? 明日、明後日予定ないから僕もリィルに会いに行こうかなって思って」

 洋介は何も気負いなく、さらっと優香の予測通りの答えを口にした。


 ゴッ、という音がスピーカーから聞こえる。どうやら頭を支えていた優香の肘が滑ったようだ。


(井上さん、何を慌てているんだろう)

 彼女らしくない、変なリアクションをしているのは察することができた洋介だが、優香がそんなに調子を崩す要因は分からずにいた。


『あの、私、救援要請のために電話したわけではないんだけれども』

 その言葉でやっと洋介は優香の様子がおかしい理由に気づいた。あまりにも自然に訪ねに行くつもりになっていたから、優香の戸惑いを感じることが洋介はできていなかった。


「ああ、違う違う。僕が単純に会いたいんだって」

 優香が必要以上に気にしている様子だったので、洋介は全力で否定する。これは嘘偽りない本心だ。


 まだ誰にも話していない夢が洋介にはある。彼は自分が大学に通うようになった頃を目安に、金銭的かつ時間的余裕が出てきたら色々な場所を巡ろうと考えていた。まずは日本各地、そして可能であれば全世界だ。


 その目的は、桔梗のように、かつて地上にいた妖精族が存在していたという確かな痕跡こんせきを探すことだ。


 今の世の中、不思議な者達のことは伝承でしか語り継がれていない。しかし、その伝承を紐解けば彼等が「ここにいいた」ことが分かるのではないかと洋介は思っていた。

 そして、運が良ければ……まだ、この地に残っている妖精達に会うことも叶うかもしれない。そんな願望も抱いていた。


 実際に本で読んだ話の中には、「あれ、これって桔梗から聞いたことある気がする」というものもあった。基本、悪戯に化かされた人間の話でろくなものではなかったが。

 その話を知った時、自分以外の誰かが桔梗のことを覚えているのだと洋介は嬉しく思ったものだ。


「正直、僕が行っても何の助けにもならないよ。井上さんが頑張ってるんだから、ロォルはきっと見つかるし」

 だから、本当に洋介はリィルに会いたいだけなのだった。


 行ってみたところで何も残っていないかもしれない。そんな、彼等が地上に存在していたという証を求めて旅をしようなんて考えていたのに、向こうからやってきてくれたのだ。

 洋介は、このチャンスを逃したくなかった。


 ただ、優香が嫌がるのであれば仕方がないとも洋介は思う。彼女が必死なのは伝わってくるし、それを妨げるようなことは彼もしたくなかった。

「もし、邪魔になりそうだったら止めておくけど」

『そんなこと言ってないでしょう!』

 優香が不意に声を荒げる。自分が洋介を足手まといだと判断している、なんて思われることは優香にとって心外であったのだろう。


 洋介は端末を少し耳から離した。コホン、と咳払いがそこから聞こえてきたので元の位置に戻す。


『あなたが来たいのなら止める理由はないんだけど……遠いわよ』

「そんなに?」


 そんな経緯を経て、洋介は優香から住所を聞き出した。確かに日帰りで行くには、けっこうな覚悟のいる距離だ。


(ま、弾丸ツアーでも構わないか。あいつ・・・に海を見せてあげたいし、ちょうどいいや)

 客も、今回は長期滞在の予定だ。一緒についてくるかどうか、確認せずともついてくるんだろうなと洋介は想像する。


 優香と明日会うことを約束して電話を切った洋介は、そこで初めて悩む素振そぶりを見せていた。


「調べていくよ、とは言ったんだけど」

 眼の前の携帯電話とにらめっこする洋介。これで調べ物ができるというが、相棒となって二ヶ月、洋介はまだその能力を生かしきれていない。

 マニュアルのない機械が苦手な洋介にとって、使いこなせばとても便利なスマートフォンも、現状は電話のできる板に過ぎない。


 しばらく触っていたが、洋介は諦めた。これは、一朝一夕で身につくものではないと判断したのだ。


「母さんに聞こう」

 そう言えば、勢いよく「行く」とは告げてしまったものの、自分の貯金では道中の旅費も心もとないことに洋介は気づいた。行き方を教えてもらうだけでなく、母に費用を負担してもらわなければいけない可能性に洋介は心を痛めた。


 どちらにせよ、聞いてみるしかなかろうと洋介は部屋を出る。


 階段を使って、二階に下りた。どうやら母は夕飯の用意をしているらしく、焦がした醤油の良い匂いが漂っている。

(何してんだ、あいつ)

 しかし、洋介の関心は料理でも母への用事でもなく、ふわふわと浮かんでいる小さな影に集まっていた。


 彼女はどうやら、母が冷蔵庫を開ける度に中を覗き込んでいるようだ。その光景を見て、もしや、と洋介の心中にある疑惑が浮かんでくる。

(まさか、またやろうとしてるんじゃないだろうな)

 彼女には前科があった。


 そーっと、洋介はその影に向けて背後から近寄っていく。ちょうど、冷凍庫が開けられた時だったので、冷蔵庫の時よりは格段上のクラスで彼女は意識を集中させている。その中身に注目し、他のものは何も見えていない。

 どれだけ遠くにいても洋介の位置を正確に把握する感知能力も、近すぎるとうまく働かないらしい。すぐ後ろに洋介は立っているというのに彼女は気づかない。


 洋介はふぅ、と小さく息を吐いて、おもむろに手を伸ばした。


「いったーいっ!」


 ぎゅうぎゅうと、まるで西遊記の孫悟空がつけている輪っかのように、洋介の右手親指と人差し指が彼女の頭を締め付けた。

 洋介はそのまま、彼女をつまみ上げる。重力がほとんどかかっていない彼女の体は、簡単に持ち上げられた。


 金色の髪は洋介に乱されても、つややかにきらめいている。洋介の手のひらほどの小さな体が、ぷらぷらと宙に浮いていた。

「何してるのかな、ライツ?」

 洋介は小声で彼女に話しかける。その瑠璃色の瞳に、わざとらしい洋介の笑顔が映っていた。


「ライツ、何もしてないよ。ホントだよ」

 ふるふると震えている様は、とても可愛らしくて可哀想だった。ライツは嘘を吐かないし、ごまかすことも苦手だ。未遂みすいだった可能性はあるが、本当に何もしていないのだろう。

 推定無罪。洋介は不問にしようと、ライツの頭から指を離した。彼女はそのままふわふわと力なく、床に落ちていく。


「どうしたの?」

 少し騒いだからだろう、母が振り返る。洋介は何でもないと首を振った。


 彼の足元で、ライツは自分の頭をごしごしとこすっている。痛みがまだ消えないらしい。そこまで強くした覚えは洋介にはないのだが、思いの外、力が入ってしまったようだった。


(ちょっと強くやりすぎたかな)

 洋介はあとでしっかりフォローしないと、と思い大きく息を吐くのであった。

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