第7話 白紙に描く活路

 椅子の背もたれに一度体を預けた後に、優香は前傾姿勢をとる。机の上で頭を抱えたまま、しばらく動けなくなった。それから少しの間を置いて、もう一度背筋を伸ばす。天井を見上げて大きく息を吐いた。


「なんか、すごく疲れた」

 言葉に出すことで、自覚していなかった疲れまで表出してくる。さらに肩に重く疲労感が伸し掛かってくるような気がした。それでも現状を認識しなければ前に進めない。

 体力はそこまで消耗していない。リィルを運んで、歩き回ったくらいでは力尽きないくらいには鍛えている。ならば、なぜここまで疲れているのか。その理由は……。


「慣れないこと、してるのよ。分かってる」

 精神的な疲れしかない。それは彼女も理解していた。


 チラリと部屋のすみを優香は見る。そこには床の上で丸まっているリィルの姿があった。

「ベッドは嫌がっていたけど、さすがに布団ぐらいは掛けてあげてもいいわよね」

 優香の用意した布団を巻き込んで、白い球体のようになっている。寝付きがいいのか、こうして優香が声を出していても反応はない。


 ベッドでは柔らかすぎて悪夢を見る、とはリィルの談だ。実際にここに連れてきた時は叫んで飛び起きたのだから事実なのだろう。

 彼は、固く冷たいフローリングの上で穏やかな寝息をたてていた。食事の仕方といい、自分の常識を押し付けるのはよくないことを優香は再認識する。


「さて、明日のためにできることをしましょう」

 机の上にノートを広げ、筆立てから取り出したボールペンでさらさらと書き出した。思考の整理のために、思いついたことを次々と書いていく。形にすることは目標ではない。とにかく、頭に浮かんだものを全てノートに書き込んでいくのだ。


 まず思い出すのは、彼の口から衝撃的なリィルの生い立ちを聞いた直後のことだ。日が傾いて、海を朱く染め出した。二人の影は、それについれて大きくなっていた。


 そんなリィルの影法師がぐらりと揺らいだのだ。


 何事か、と若干自分の思考に入り込んでいた優香は驚いた。しかし、何のことはない。彼は眠そうに、自分の目をこすっていた。真っ直ぐに歩こうとしているのに、頭が揺れるほどに彼は自分の体を制御できていない。

 彼も彼で、ずっと無理をして笑っていたのだ。何とか苦境を脱したくて、リィルなりに気を張り続けていた。もともと夜に活動することはないと言っていたから、日没と同時に限界に近かった体が睡眠を欲した結果がこれだ。


 リィルへの急な睡魔の来襲により、ロォルの捜索は打ち切られた。


「そうよね、たった一人の家族なんだし」


 リィルとロォルは旅の途中。

 それを聞いて、優香が思い描いた想像。その全てが、彼の語った話によって根底からくつがえされた。


 優香は心のどこかで彼等には帰る家があると考えていた。兄、そして妹以外にも身内というものが存在していると。彼等のような存在が多くいる国のようなものがあって、何かしらあって別れを告げて旅立ったのだと。

 優香が知っている妖精の少女、彼女がそうだったから優香も勝手に「地上への来訪者」だと思いこんでいた。だから、彼等も旅を諦めたときには迎えてくれる故郷があると優香は明確には考えていなくとも、そう思い込んでいたようだ。


 それがどうだ、彼の口から語られたのは行くも帰るもいばらの道。前に道は見当たらず、後ろは思い出ごと崩壊している。つまり、二人は帰るべき故郷をなくした流浪るろうの民なのだ。


 妖精族は異界の住人。そもそも、優香のその認識が間違っていた。彼等は優香達人間の存在するこの地上で生まれ育った。そして、リィルは妹、ロォルは兄を除いて全てを失ったのだ。

 リィルの地震に対する恐怖、それは故郷を根こそぎ奪っていった海底火山の噴火に起因する。地面が揺れると、自身に降り掛かった未曾有みぞうの災害を思い出してしまうのだ。


――揺れでどんどん岩が崩れていって、そんでもギリギリまで粘ってさ。仲間を少しは助けることができた。ただ、その後のドッカーンってのは致命的だったな。もう、最後の力使ってオレとロォルを凍らすぐらいしか逃げ道なくて……。目覚めた時に、島が跡形もなくなってたのは凹んだなぁ。


 あっけらかんと話してはいたが、彼の絶望はどれほどのものだったのだろうか。優香には想像すらできない。


――すぐに逃げきったたはずの仲間を探したんだけど見つからなくて。他の海にいた同族に会いに行っても誰もいないし、シロクマには食われそうになるしで最悪だった。


 リィルは同族・・という言葉と仲間・・という言葉を意図的に使い分けている。どうやら、前者が氷妖精のことを指すようだ、と他の話から優香は推測した。それなら、彼にとって「仲間」とはいったいどんな存在なのだろう。

 ここは情報が足りていない。しかし、リィルに聞いていいものか、優香には覚悟できない。


――仲間と似たのがいるってんで、会いまくったんだけどみんな違っててさ。でも、そいつらに、南の海にも似たやつがいるって聞いて、向かってる途中だったんだよ。休まず、そのまま泳いでいくべきだったな。


 頼るべき仲間のいない、彼等の孤独。そこまで聞いてしまう覚悟のできていなかった優香に、その想いが重くのしかかっていた。

 これ以上、彼等の人生に深く関わっていいものだろうか。彼等が抱えている問題を、自分の力量では解決できないのは確実だ。それなのに、何もできやしないのに、彼等の隣に立つのは無責任ではないのか。


「……ストップ。そこまでよ、私」


 優香は同じところを回り始めた思考を止めるために、自分の頭は両手で挟むように叩く。右側を強く叩きすぎたか、側頭部に痛みが残った。しかし、その痛みのおかげで頭の中はすっきりと澄んでいく。


 リィルとロォルを会わせてあげたい。その想いだけは本物だ。それ以外の邪魔な感情を追い出すことができた。優香は目的に向けて、さらに思考を先鋭化させる。


「さて、問題はいくつかあるけれど」

 一番考えなければいけないのは、ロォルが海ではなく山にいるという事実だ。情報はリィルの口から語られたものしかないが、少なくともロォルは闇雲に動き回ることはしないはずと仮定する。パニックにおちいっている可能性はあるが、リィルとロォルは繋がっている。正常な思考ができないのであればむしろ、リィルのように兄側に向かって動くはずだ。


 それなのに、浜から離れた位置にロォルがいるとすればおのずと選択肢は少なくなっていく。


 あまり考えにくいことではあるのだが。

 もし、偶然自分のように妖精を見ることのできる者が先にロォルと会っていたら。その人物が、善意ではなく悪意で彼女に近寄ったのだとしたら。


「誘拐、とか」

 優香は自分の想像で、背中にゾッとしたものを感じるのだった。

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