第6話 怯えの正体

「オレ、実は地震がダメダメで」

 リィルは鼻をかきながら照れくさそうに自分の弱点を口にした。

「地面が揺れてる時は落ち着こうと思っても、頭の中がぐるぐるになっちゃってさぁ」


(地震……?)

 優香はそのキーワードで思い出した。確かに頻繁ひんぱんに地震を起こす震源が近くにあることを。


 それは四日前のこと。母に会いに行く準備を完璧にこなして、更に不備がないか確認までしていた優香の耳に警告音が届いた。あらかじめ母の住所を登録しておいた携帯電話のアプリが防災警報を鳴らしたのだ。すぐに気づかせるためとはいえ、その音は不気味なほどに大きく響いていた。

 すぐさま画面を確認する。震度はそれほど大きくなかったものの、徐々に優香は不安になってきた。続いて鳴った呼び出し音が、さらにその不安を大きく膨らませる。

 母からの着信だった。恐る恐る持ち上げたスピーカーから聞こえてきたのは「優香ちゃんって、生魚食べられるようになった?」という呑気のんきな母の声。緊張して強張こわばっていた体から、一気に脱力していったのを優香は思い出して、苦笑いを浮かべる。


 いったい、あの人はいつの頃の話をしているのだろうか。優香が生魚の臭いを嫌っていたのは記憶も確かでは無い頃だというのに。


 緊急の状態ではなかったことに安堵しつつ、優香は地震のことを尋ねた。すると、母はさらに呑気のんきな声で「確かに少し大きかったけど、これぐらいならいつものことよ」と答えた。その気の抜けた声に優香は頭を抱えたのだった。


 そういえば、と優香は思い出す。そもそも、母が住んでいる土地は体に感じる地震が多いことで知られている。連なっている山々のいくつかは大昔に噴火したことがあるくらい、今も地下の活動が活発なのだ。そのため火山性の地震は、それこそ日常茶飯事である。

 ここから少し離れているところは温泉が湧き出ていて、古くからの観光地になっている。地元の人々は地震や火山の恩恵も受けているせいか心構えが違っていた。たとえ大きな災害に発展したとしても、準備は万全なのだろう。


 母が慣れた様子なのも当然だ。


 意識をリィルに戻すと、彼は顔を伏せていた。赤くなった顔を優香には見られたくはないようだ。


「オレがさ、もうちょっとだけでもしっかりしとけば、ロォルとはぐれることなかったのにな。足を踏み外したロォルを追いかけて海に飛び込んだところまでは覚えてるんだけど……、どうもそこで意識がプッツリとなっちゃったみたい。海面の衝撃を受けきれずに気絶するなんて、ほんとオレらしくもない失敗しちゃって」


 リィルは相当悔しいのか、奥歯をぐっと噛み締めている。


 なぜ、この地の浜に漂着することになったのか。その原因は、苦手なものに対抗するために張り詰めていた気持ちが限界を超えてしまったからだとリィルは分析していた。


(そっか、リィルくんが恥ずかしいのは)

 優香は未だにもだえているリィルを見て、一人で納得していた。


 リィルは弱点をさらすことに羞恥しゅうちを感じているのではなく、弱点に負けた自分を恥としているのだ。そのあたり、優香は己と近いものを感じて親近感を覚えていた。


「ロォルちゃんも苦手なの?」

 さすがにこれ以上ないほどに肌を朱く染めているリィルが可哀想になってきたので、優香は話題をリィルから変えることを試みた。

「そうそう、兄妹きょうだいそろって。ほんとはオレがフォローしてあげなきゃいけなかったのに、お互いわちゃくちゃになった結果、離れ離れだよ」

 優香の目論見もくろみとは違って、それでも自分が情けないという視点でリィルは語る。


 小柄な子達が右往左往する姿は想像すると大変愛らしいが、本人達は生きるか死ぬかの瀬戸際だったのだろうことを思うと優香は渋い表情になる。


 そして、優香は同時に気になっていた部分を聞きたい衝動にかられていた。


(……聞いていいのかな)

 地震に、なぜそこまで恐怖を抱いているのか。その理由を。


 優香は口に出かかった疑問の言葉を飲み込んで、それを頭の中だけで消化させようと奮闘していた。


 昔の優香は気になったことには、どんどん踏み込んでいった。それは今もあまり変わらない。自分に分からないことがあることが、優香は許せない。その気性は幼い頃から変化はなかった。

 それでも、ある時期を境に、今のようにブレーキがかかるようになった。


(やっぱりダメよね。興味本位で踏み込んでいい領域ではないはずだわ)

 特に、最近まで興味を抱くことすらなかった対人関係については優香はより慎重になる。しくも、自分自身を高めるだけでなく、相手との対話も重要であると気づかせてくれた人に対して失敗をしてしまった。その失態が優香の心に大きく影を作っている。


 優香は大きく嘆息した。まだまだ自分は未熟であると思い知らされている。


(踏み込んでいく時は、それこそ全て背負ってあげる覚悟をしないといけない)


 そう考えると、あの人は肝が座っていると優香は思った。もしや、何も考えていないのかもしれない。だがそれでも、これが必要だと感じたら踏み込んでいくのだから、とても勇気があると思う。

(私が負けているところよね。精進しないと)

 中途半端に真似て痛い目をみたばかりだ。すぐに追いつけるとは思わない。しかし、負けっぱなしは嫌だから、いつかは彼の助けになりたい。今は、まだ届かないが諦めるつもりはない。


 そのために必要なのは、思い当たるものが一つ。彼が持っていて、自分は持っていないものだと優香は思う。

(顔色読むのは苦手なのよね)

 積極的に身に着けたい技ではないが、優香のようなつたなさでは、今後に支障が出てくることに彼女自身が気づけている。弱点は自覚してこそだ。自分の強みを消してしまうような弱さにしておいてはいけない。


 あの人のレベルには到達することは困難だし、目指してもいない。彼のそれは、その技術を仕事にできるレベルだと優香は評している。


 そんな、彼女にしては珍しく妥協している部分があっただからだろうか。そのままにしていた弱点にリィルが踏み込んでくる。

 優香は、目の前にいる少年が、彼女の思っているよりも自分に心を開いてくれているという事実に気づけていなかった。


「オレが昔住んでいた島なんだけど、火山で無くなっちゃったんだよね」

 リィルは、優香が促さずとも自分の胸の内を語りだしてしまった。


「その時の地震思い出しちゃってさ。地面揺れると冷静じゃなくなっちゃうんだよね」


 優香が信頼できる相手だからこそ、軽い世間話のような感覚で彼は話している。

(え、火山?)

 しかし、その事実は優香の心に、ずっしりと重くのしかかってくるのだった。

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