第8話 孤独と共感
「ちょっと待って。そんな怖い話になってくるなら、急がないといけないんだけど」
誘拐、という自分の考えた可能性が捨てきれない以上、あまり
ただでさえ、リィル達は見知らぬ土地にいる。優香は自分以外に彼等を視認できる者はいないと考えて行動してきた。ここに、全く新しい登場人物が加わってくると、話はより複雑になってくる。二人を再会させる、その難度が急上昇してくるのだ。
ロォルの近くにいる人物が悪意を持っているなら言うも及ばず、善意だったとしてもお互いに今後の予測がしにくくなる。なにせ、どちらもリィル、ロォルから情報を得るしかない。少ない情報を整理もせずに、無駄にこね回してしまうと、場をかき乱す結果しか生まない。
優香もそんな状態になることを
ただ、リィルの観測した通り、山側にロォルがいるのであれば、彼女はリィルを探して動き回っていないと推測できる。ロォル主体で動いているのであれば、リィルもそうだったのだから海側にやってきているはずなのだ。
氷妖精は海から離れては生きていけない。リィル曰く、それは種族の本能に刻み込まれたものなのだから。リィルを探していれば海にやってくるし、リィルを待っていれば海で待つ。
しかし、現状はそうなっていない。彼女は少なくとも海から離れている。リィルが不思議に思うのも当然だ。
そうなると、ロォルは自力で動ける状態でないか、動けない状況にいるということになる。リィルに言わせればロォルは無事ではあるらしいが、彼は彼女の変調をどこまで感じ取れるのだろうか。
もし、本当に心身ともに無事な状態であるのであれば、それは同時に「それならば、なぜ海にこないのか」という先程の疑問に戻ってしまう。
現状、ロォルは自分で行動が選択できない状態であるという可能性が高い。つまりは、誰かに閉じ込められているかもしれないのだが、そうなると目的は……。
「ふぅ。ここまで考えてみたけど、穴に落ちて動けないとか、まだ色々と可能性はあるのよね」
真っ白だったページが、これ以上書き込むところがないくらいに真っ黒になったところで優香はペンを置いた。
静かな部屋。壁にかけた時計の音と、リィルの寝息だけが聞こえてくる。ここに戻った時には「かまって、かまって」とうるさかった母も、自室にいるのか気配がない。また無理をしたのか、と優香は小さく
じっ、とノートに書いた文字を目で追う。色々と考えていると、不意にむくむくっと、何やら心に雲が現れてきた。優香は頭を振って振り払った。
「うん、やっぱり誰にも話せないのって辛いよね」
優香は目の前に誰かがいるように呟いた。
優香はこれまでずっと一人で考えて、一人で決めてきた。少なくとも、自身はそうやってきたのだと思っていた。それでも、相談しないのと相談できないのでは
考えを整理する方法として、「人と話す」という方法が最初から封じられているのは大変息苦しいと優香は思った。
ようやく、あの時は分かってあげれなかった、あの人の孤独が優香にも実感できたような気がした。
――井上さんって、他に誰か会ったりしてた?
彼から珍しく優香に話題を振ってきたのは最近のこと。彼の言う「他に誰か」が、人間ではない存在のことを指していることはすぐに分かった。
優香は首を横に振って、すぐに否定する。自分が、そういった存在を認識できることを知ったのと、彼と積極的に関わるようになったのは同時期だからだ。記憶を遡ってみても、それらしき映像は見当たらない。
もしかしたら、無意識に無視していた可能性は否定できないが、それでも覚えていないのだから仕方ないと優香は彼に言った。
そっかぁ、とだけ呟いて彼は会話を終わらせようとする。優香もそうだが、彼もあまり雑談が得意ではない。
ただ、これで話が止まってしまうのを優香はもったいないと感じて口を開く。優香は仮面を脱いで接することのできる、彼との時間を心地よく感じていた。
そして、それ以上に気になった。優香に「他に誰か」を聞くのであれば、彼にはいるのではなかろうか、と。
その予想は当たっていた。彼は目を輝かせて思い出を語りだす。
――爺さんの家に、その子が住み着いていてね。遊びに行くと、いつも相手をしてくれたんだよ。
幼い時に出会った少女のことを嬉々とした表情で彼は話す。
その顔があまりにも眩しくて優香は驚いた。驚きの余り、彼の話がほとんど頭に入ってこなかった。
いつも、どこか
それでも、優香の前では穏やかな顔をしていたが、それとも違う。今、目の前にある顔を彼は優香に一度も見せたことがない。相手の顔色を見て、気分を害さないように大人な話し方を心がけている彼が、自分の想いだけをどんどん口にしている。それがどこか子供っぽく、それ以上に自然だった。
もしかしたら、この幼い顔が彼本来の表情なのではなかろうかと優香は感じた。
だから、気になってしまった。どうして、そんなに嬉しそうなのかと。その、必要のなかった一歩を踏み込んでしまった。
優香の疑問を聞いた瞬間、彼の顔が
今度は、優香に戸惑いの感情が生まれて思考が止まる。そんな彼女の異変を感じ取ったのだろう、彼は言いにくそうにしながらも答えてくれた。
――今まで、誰も聞いてくれなかったからね。
その後、他の人に呼ばれて会話は中断された。それを優香は「助かった」と思ってしまった。あんな表情をした彼に対して、続ける言葉が見つからなかったから。
「……今なら、ちゃんと話ができるかしら」
優香は机の上に置いてあった携帯電話の画面を触る。交換した連絡先を探し、タップする。
「私も、
画面に大きく、澤田洋介の名前が映っていた。
無料通話を選択して、しばらく待つ。スピーカーからは呼び出し音が聞こえてきた。その単純な繰り返しを聞いていると、優香の中にどんどん迷いが生まれてくる。
勢いに任せて電話をしてしまったが、気軽すぎたのではなかろうか。ついさっき、踏み込みすぎたのを反省したばかりなのに勇み足ではないのか。
時間が経てば経つほどに、不安が増してくる。待つ時間が長くなってくるにつれ、今度は無視されているのではないだろうかという疑念が浮かんでくる。自分はよっぽど彼を傷つけたのではなかろうか、と思った優香は小さく首を横に振った。
(ううん、澤田くんはそんな風に仕返しする人じゃない)
彼の人柄は、とても信頼できた。だから、じっと待つことにする。
それと電話することを決めたのにだって理由がある。優香の都合の良い想像かもしれないが、リィルと会ったことを後から伝えたら落胆されそうな気がするのだ。
もし忙しいようならメッセージを送っておこう。
『はい、澤田ですっ』
優香がそう判断しかけた時に、耳元にうわずった声が聞こえてきた。
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