第4話 氷妖精の吟侍

「オレ達、氷妖精って他の奴らと違ってあんまり人間とべったりってわけじゃなくてさ。中には人間と敵対する氷妖精もいるぐらい。でもさ、オレはそんなに嫌いじゃなかったから、時々さ、人里に遊びに行ったの」


 氷妖精、優香はその単語を初めて耳にした。

 快活でありながら、どこか冷ややかな視点を持っているように感じるリィルにはしっくりくる名前だなと優香は感じた。


 浜辺に向かう道中、リィルは一人で話しているかのように思っていることを口にしていく。行き交う人は少なく、そのわずかな人達ですら全くリィルと視線が噛み合わないことで、ようやくはっきりと彼は現状を把握した。


 ここで、優香に話しかけてしまうと彼女が孤立する。それを避けるためにリィルは優香とも視線を合わせない。海の匂いに向かって、彼女より先行して歩いている。

 両手を頭の後ろで組みながら、早足で歩いていく。そんなリィルを優香は付かず離れず追いかけていた。


「オレが獲った魚を港で交換しようと思って、おっちゃん等と交渉してさ。その時に色々、教えてもらった。タラがたくさんいる良い漁場とか、潜ってもいないのに知ってんだから。人間の知恵ってのは凄いよなぁ。魚の保存方法とか、意味分からなかったもん」


 思い出を楽しそうに語るほど、その小さな背中が優香には寂しく映った。


「まぁ、時々おかしな奴らがいたよ。お金ってやつ? それ目的でオレの仲間、殺そうとしてたの。そんなことを笑いながら準備してる奴らがいたもんで、さすがに許せなかった。そんで、そいつらの荷物ごと海に投げ入れてやったんだぜ。そいつらは戻ってきたけど、荷物は流されていきましたとさ」

 あの体に、どれだけの力が秘められているのか。背負投げの真似をするリィルを見ながら、優香は彼の勇姿を想像する。


「食うか、食われるのかってのなら納得できるんだけどなぁ。妖精族の奴らの中には不殺生で生きていけるのもいるけど、オレ達はそんなわけにはいかないし。オレだって、何か食ってるわけだから、誰かに食われたとしても……あ、別に無抵抗ってわけじゃないよ。もし、オレやオレの仲間が食われそうになったら全力で抵抗する。それこそ命がけでね。でも、負けた時は仕方ないや。だって、相手も生きるためだし」


 リィルの語る壮絶な弱肉強食の精神を聞いて、優香はずっと疑問に思っていたことが氷解した。


 ロォルのことが心配でならない、そんな感情が伝わってくるのに、リィルの言動はどこか余裕があるのだ。それが優香には不思議でならなかった。もちろん、そういった覚悟をすでにしているということもあるだろうが。

(そっか、リィルくんもロォルちゃんも今日まで生き延びてきたんだ)

 修羅場をくぐった経験値が彼を支えている。それは、今は姿なきロォルも同様だろう。焦ったところで、物事は前に進まない。冷静に事を運ばなければ絶命へと一直線だ。


 それでも、最初、ロォルがいないことで我を忘れてしまった態度をとっていたのは。

(それだけ、ずっと一緒に生き抜いてきたんだ)

 今まで当たり前だと思っていたものを失う恐怖は想像すらできない。それでも、前に進むことができる彼は自分にはない強さを持っているなと優香は感じた。


「それにしてもさ、人間の文化ってのは理解できないの多いけど。あ、別に悪口言ってるわけじゃなくて感想ね。そん中でも、お金ってのが分かんなくてさ。血相変えて集めてる奴もいたんだけど、自分を見失うくらい魅力的なのかな。オレからすると、集めても集めても尽きない欲望って怖くて仕方ないんだけど」

「……」

 リィルが求めていないので、何か言いたくても返事をしていなかった優香であるが、その質問に対しての答えは本当に見つからなかった。資本主義の真っ只中に父親がいる、という事実もあって解答は闇の中から出てこない。


「うわ、ありえねーって拒否したいわけじゃないんだ。単純に、分かんないだけ。オレのとぉさんは人間だから、否定はしたくないし」

「そうなの?」

 父親のことを考えていたからか、思わず優香は尋ねてしまった。幸運なことに、周囲に人影はない。


 リィルは苦笑いを浮かべて、後ろを振り返らずに優香の疑問に答える。

「うん、オレ達は同族か人間を結婚相手に選ぶからさ。オレのかぁさんも、人里でしばらく暮らしてた時にとぉさんと会ったんだって。まぁ、文化の違いっての? 一緒に暮らすのはすぐに破綻はたんしたらしいけど」


 だから、リィルは父親の顔を全く知らない。それどころか母親の顔すら、ほとんど覚えていない。


 氷妖精は物心ついたらすぐに親元を巣立ちして、他の場所で生きていくのがつねである。

 家族というものに、リィル達はこだわらない。それよりも、もっと大きな範囲で『仲間』というものを大事にしている。それは、リィルにとって血縁よりも大切なものである。


 ただ、妹のロォルだけはある事情があって、生まれてからずっとリィルと一緒に暮らしていたので、例外的に他の誰よりも強い絆があるのだが。


「とはいえ、オレの体のほとんどは、かぁさんの血でできているから。ほんのちょっぴりしか、人間の血は混ざってない。かぁさんの複製品コピーにはなっていないんだから、それはとぉさんに感謝してるんだけど、それだけだね」

 それでも、とリィルは続ける。

「オレのルーツにとぉさんがいるんだから、もし『探し物』が見つからなかったら人間と一緒に暮らすのも悪くないかな~とか思ってた。まさか、認識すらされないってなぁ。これじゃあ、さすがに仲間にしてもらえないよなぁ」


 ふぅ、とリィルは息を吐いて天を仰いだ。


「……探し物って」

 優香は、リィルが何を探しているのか気になって声をかけようとするも。

「お、海だ、海だっ!」

 それと同時に、彼は視認できた海に向かって駆け出していった。リィルの背中はどんどん小さくなっていく。あまりの速さに、直線でなければ見失ってしまいそうだ。


「もうっ」

 優香は早足でその背中を追いかける。


 彼が探しているものが何なのか。その言葉は優香の心にしっかりと引っかかっていた。

 それでも、今は気にしないで彼を追いかけよう。とりあえず、まずは妹を見つけることができたら聞いてみようじゃないかと優香は思った。

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