第3話 焦燥、後に戸惑い
「いやー、食った食った。太平洋の魚は初めて食べたよ。ようやく、お腹落ち着いた」
リィルは満足した様子で豪快に笑っている。彼の色素の薄い肌は、血が通ってきたのか、ほんのりと赤みがかっていた。
「そう、それは、よかったわね」
対象的に優香の顔色は青ざめている。油断をすれば、このまま気分の悪さに
(ちょっと、予想外だったわ)
リィルが食事する光景が、あまりにも異文化過ぎて頭が痛くなってきたのだ。もう少し準備をしていれば、ここまでのダメージは負わなかったのにと、自分の甘さに優香は苛立った。
優香はできるかぎり、リィルのような存在に対しての理解に努めようとは思っている。人間と違うところがあるのは当たり前だ。それを尊重するべきところはしなければいけない。
しかし、同時に彼女はこれまで歩んできた十五年分の蓄積を裏切ることはできない。結果、彼女の中では「みんな、それぞれ違っていて、それぞれよい」という結論が出ていた。
今回のリィルが見せた食事のマナーだって、彼が眼の前で見せてくるのには我慢ができる。しかし、もし、「これが一番美味い食い方だ。おまえもやれ」などと強要されそうになったら優香は
理不尽と戦う覚悟は、できている。
優香が想像上のパワハラ上司と戦っている間、リィルはリィルで自分の今後の行動を考えていた。
(さて、どうするかな)
とはいえ、まず最初にするべきことは決まっている。
「えっと、ねぇさん」
リィルは自分の中で、最大限の敬意を持った表現で優香を呼ぶ。あまり直視することができていなかった優香は、そらしていた視線を元に戻す。正面では、リィルが神妙な顔つきでこちらを向いていた。
「焦ってたとはいえ、ろくな礼もせずに出ていこうとしてすいません。そして、ありがとうございます。食べ物まで用意してもらって、おかげで助かりました」
優香が彼の容姿から想像していたのよりも、ずっと丁寧な言葉遣いでリィルは謝罪と感謝の意を発した。
「私がしたいと思ってしたことだから、謝る必要はないわ」
優香は首を振る。そもそも、見返りなどを求めて、とれる行動ではないのだ。優香は優香の、信じる想いのままに行動しただけ。
「でも、オレ、かなり失礼な態度してましたよね?」
リィルの口調はだんだん硬いものから柔らかいものへと変わってきた。優香が気にしていない、そういう態度を全面に押し出しているものだから、逆に敬語が使いづらくなってきたのだ
そんなリィルに、優香は穏やかに微笑む。
「誰かとはぐれてしまう寂しさは分かっているつもりだから、私に対してのことなら気に病む必要ないわ。あなたはあなたで、考えなきゃいけないことに没頭していればいいのよ」
「あ、ありがとう」
リィルは恐縮した感じで、その小さな体をさらに小さく縮こませた。
優香は、一旦気持ちを仕切り直して眼前の少年を観察してみる。こうして真正面から見るとリィルは幼さは強いものの、とてつもなく整った顔をしていた。
髪は真っ白で、肌の色も薄い。そこに、瞳だけ黒々としている。白に黒が映えていた。
「でも、されっぱなしは嫌なんで。オレはオレで、いつか、ねぇさんに恩返ししますね。それがオレのしたいことなんで」
意思の強さを感じさせる黒い瞳を輝かせて、リィルは優香の言葉を真似て返した。
ここで否定しても話が長引く。優香は、自分が気になっていることへと話題を変えた。
「妹さん。ロォルちゃんって言うの? どこではぐれたか覚えてる?」
「いや~、恥ずかしい話、気絶してたんで覚えてなくて。
心配で、と言いながら目覚めたばかりの切羽詰まった感じからは脱却した感のあるリィル。彼には何かしら、位置だけでなくロォルの無事が分かる感覚があるのかもしれないと優香は予測した。
「生きてるみたいなんだけど、どこで何をしてるやら。こんなに、ロォルと離れたことないんですよ」
優香の予測は当たっていた。ただ、リィルはロォルが生きていることは分かっても、彼女の現在地に目星はついてなさそうだった。
あの子であれば、どんなに離れていても会いたくなったら会いに来ていたのに、と優香は思い出す。
(感度は弱いのかしらね)
嬉しそうに、自分と共通の友人に近寄ってくる彼女の顔が脳裏に浮かぶ優香。
リィルに自分が何ができるだろうか。あまり良い案が思いつかないから、まずは行動してみようと優香は決断する。
「あなたが倒れていた場所に行ってみましょうか」
迷子になった時の原則は、はぐれた場所から動かないことだ。海で離れてしまったのであれば、海に近づいた方がいいだろう。少なくとも、ここでああだこうだと考えているよりは現状は打破できるのではと優香は考えていた。
「え、でも」
リィルが自分の目の前で両手を振って遠慮しているが、優香は気にしない。
「乗りかかった船よ。最後まで乗せなさい」
優しさは感じられるが、リィルに有無をいわせぬ迫力も加えて優香は言い放った。そうなると、リィルは頷くしか選択肢がなくなってくる。
(これで、よし)
このままリィルを見送ってしまったら、後悔が残る。それは精神衛生によろしくない。優香は、自分のできるかぎりリィルの助けになろうと心に決めていた。
優香の心に、ずっと引っかかっている事件の日。助けられたというのに、自分は何もできないままに終わってしまった。
あの後悔だけは経験したくないと、優香は決意を胸に刻んでいたのであった。
目を覚ました母に、もう一度出かけてくることを伝えて優香達は外に出た。
――えぇ、優香ちゃんとしたいこと、色々考えてたのに!
母は優香が相手をしてくれないことに、唇を尖らせて抗議していた。しかし、昨日のふらふら具合を見てしまったら、何も考えずに近くにいることはできない。
母は、優香のためにと思うと、限界を忘れて張り切ってしまうのだから。そうなったら、優香には制止ができない。
(もう、お母さん。相変わらずなんだから)
優香だって、母に話したいことはまだまだあるのだ。自分も我慢しているのだから、もう少し我が身を大事にしてほしいと優香は母に対して思う。
(あら?)
リィルは先程から、ずっと黙ったまま首を傾げている。そういえば、母に会った時から様子がおかしい。ずっと、会話する二人の顔を交互に、目を見開きながら見ていた。
「どうしたの?」
母に何かあったのだろうか。心配になった優香は横について歩くリィルに話しかける。
「いや、うん。もしや、と思ったけど、やっぱそうなのか……」
リィルは考え込んでいて、優香の呼びかけに気づかない。
「リィルくん?」
名前を呼ばれたことで、ようやく優香の声に気がついた。しかし、リィルは返事をせずに、優香の顔をじっと見つめていた。
「あのさ、えっと、なんて言ったらいいか」
ようやく口を開いたかと思えば、神妙な面持ちをしてリィルは言い淀んでいる。
「ずっと、おかしいなって思ってて。でもさ、ねぇさんが話しかけてくれるから、ああ、やっぱ気のせいかなって。でも、昔も時々そんな人いたんだけど、血が繋がってる人でこっちはこう、あっちはこうってなかったから……たぶん、ねぇさんが珍しくなってんだね」
なかなか結論を口にしないリィル。意を決したようで、真っ直ぐに優香を見る。
「ちょっと眠ってる間にさ。人間って、オレ達のこと分かんなくなってるんだね」
彼は、とても悲しそうに呟いた。
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