ある意味「決戦」の日② 贈る気持ちは

(……何を話しているのかしら?)


 教室に戻ってきた優香の視界に、ひそひそと話をしている洋介達が入った。さすがに隠そうとしている話を聞く気はなく、優香は心に浮かんだ先程の疑問はなかったことにして席についた。

 ちらり、と足元を見る。可愛らしい紙袋が鞄の下にある。優香の好みではあるが、誰かに気づかれるのは恥だと思っている優香が持ってきたものではない。


(どうしようかな)


 今日は本を読む余裕はなく。優香はポケットに入れたままの手紙のことを思い出して、今後を思案する。


 朝、登校した優香が下駄箱に入った紙袋を見つけた。なんだろうか、と中身を確認した優香はようやくそれが誰かからの贈り物だと気づく。

 おそらく、一昔前の少女漫画にでも影響されたのであろう古風な方法だ。同封されていた手紙にはただ一言、『卒業しても私のことを忘れないでほしいです』と書いてあった。


 さすがにこれは重い。さすがの優香も最初は心にずっしりときた。しかし、すぐに冷静に頭が動き始める。


 入れ間違いか、いや、それはない。最初は気づかなかったが、手紙の裏に優香の名前が書いてある。しかし、宛名がないのでは誰からか分からない。これでは真意を聞くこともできなければ、返礼をすることもできないではないか。忘れないで、と言われても誰か分からなければ手紙の意味がない。

 いや、相手を探す方法はある。優香の登校時間はとても早い。彼女が朝に気づくように入れておくために、すでに相手も学校にいるのではないか。


 そこまで一瞬で考えて、さらにその後は持ち前の行動力を発揮した優香は、件の人物に目星はつけていた。


 一年前、頭に血が昇った男子に恫喝どうかつされていた少女だ。ちなみに、その男子は間に入った優香の冷たい視線で急速に冷やされて退散していったのだが。それ以来、顔を合わせれば挨拶をするぐらいの関係性であった。

 確信を持ったのは、廊下でばったりと彼女に会った時。一瞬、驚いた顔を見せた後に恥ずかしそうに会釈して通り過ぎていった。明らかに挙動不審である。

 そこで声をかけてもよかったのだが、優香の頭に一つ可能性が浮かんだためにためらってしまった。


 匿名だからこそ伝えられた言葉なのかもしれない、優香はそう思ったのだ。


(私に気づかれるのを望んでいないのかもしれないわ)


 洋介の影響か、最近の優香は相手の心中を思いやって行動が慎重になっている。相手がどう思おうが、自分が正しいと思うことは断行してきた時の彼女とは違う。

 ただ、こういった時は大きな荷物を背負っている時のような重苦しさに襲われてしまう。


(三葉の言っていた女の子同士で贈り合うのとは、たぶん重さが違うでしょうし)


 優香は一月前、現生徒会長の三葉に相談を受けた日のことを思い出していた。



「ばれんたいんでい?」

「先輩、何でそんな江戸っ子みたいな言い方を」


 二人しかいない生徒会室で、三葉は苦笑いを浮かべている。優香にしてみれば真面目に聞き返しただけなので、彼女は少しだけ不機嫌になった。

 しかし、言い慣れていない単語だから舌が回らなかったのは事実なので、優香はムッとした気持ちを抑え込んで抗議をしないことにした。


「……それで、そのバレンタインデーについて、私に何を聞きたいの?」


 発音を失敗するほど縁のない単語だから、優香は自分にできそうなことが思いつかない。相談事によっては、自分の力不足痛感することになる。そうなると何を精進したら良いのか、優香には分からない。


「去年って、チョコレート持って来るの禁止だったじゃないですか。その理由を聞きたくて」

 三葉の質問を聞いて、答えられそうな内容で良かったと優香は心の中で胸をなでおろしていた。


「別に私達が止めたわけじゃないわ。そうね、別に二月十四日だからと、特筆することじゃなくて。単純に菓子類の持ち込みが校則でダメだったからじゃないかしら」

「あ。それなら、私達が管轄かんかつできるなら先生達を納得させられますね」

 優香の答えに、三葉は嬉しそうに笑っている。


「あら。会長さん、結論が決まっていたのなら、私にわざわざ聞かなくてもよかったんじゃないかしら?」

 わざと上品な言い回しを選んで、優香は涼し気な視線を三葉に送る。無駄に恥をかかされた仕返しである。

 居心地が悪くなったのか、三葉は体を小さくして、それでも笑顔を見せていた。


 三葉が優柔不断だったのは最初だけ。それ以降は、優香とはまた違った仕事ぶりを見せていた。

 優しいのは相変わらず、要望はできる限り実現させる方向で動いている。今回も何かしら、皆にお願いされたのだろう。

 前と違うのは、それが本当に可能かどうかを判断できるようになったことと、周囲の人間を味方にしていく行動力を身に着けたことだろう。


(私の時はそんな話、来たことないけれど)


 優香の記憶している限り、バレンタインデーがどうとか言われた覚えはない。そもそも、彼女にそういった浮ついた話をしにくかったのだろう。

 そういう話のしやすさ、透明性というのも上に立つ人間には必要なのだろう。しかし、それでは心の隙間を狙われてしまいそうで優香はいまいち踏み出すことができない。


 まだまだ精進が足りないな、と優香は小さく息を吐いた。


 そんな優香だが、認めた相手であれば、若干ではあるものの、ガードを緩めることができるようになったのは確かだ。

「それで、何をするつもり?」

 三葉もそのうちの一人。優香は素直に、三葉の仕事を参考にするつもりで話を切り出した。


「他中で友チョコが流行っているらしくて」

「ともちょこ?」

 優香の発音が、やはりどこかおかしい。それが可愛らしかったので思わず吹き出しそうになった三葉。しかし、同じてつを踏まぬと三葉は顔を引き締めて話を続けた。


「友達同士でチョコを贈り合うっていう。最初は私も、流行りとか羨ましいで動くのはどうかと思ったんですけど」

 確かに、そんな理由では変化を嫌う大人達は承服しないだろう。


「卒業した時に思い出に差が出てきてしまうのは納得しかねるので、お世話になった方に贈り物がしたいんですと先生方の涙腺を攻撃して味方にしたいと思っています」

 三葉は嬉々として語っているが、ようは子どもの純粋さを利用して大人達の弱点をつこうという作戦だ。本当に逞しくなった、と少しだけ呆れを含んだ感嘆の息を優香はもらす。


 優香だったら正面から論争に挑むが、三葉らしい戦い方だと思った。


「……待って。バレンタインデーって、お世話になった人に贈ることもあるの?」

 優香の知識の中には、そういった風習であるという記録は見つからなかった。


「あるんじゃないですか? 父とか、職場でもらってきてますよ」

「お歳暮とかぶらない?」

 さすがにその発想はなかった三葉は、そんな堅苦しいイベントじゃないですよ、と笑う。笑う度に結った髪が揺れるのだが、今日はその回数が一段と多いなと優香は感じる。


 事実、三葉は楽しくて仕方がないのだ。


 最初は相談と報告だけで済ますつもりだったのに、優香が雑談というレベルの話に付き合ってくれる子が嬉しかった。こうなりたいと思って背中を追った人間が、こうして対面して話してくれる今がとてつもなく貴重な時間なことを三葉は分かっている。


(先輩も、もうすぐ卒業だもん)


「え~、絶対喜びますよ。うちの父なんか、溶かして固めただけのチョコで泣いて喜んでくれますよ。それでホワイトデーに新しい靴を買ってくれたんですから」

「……えびでたいを釣っているのね、あなた」

 ちょっと調子に乗ってしまった三葉は、優香の冷ややかな視線に気づいて再び体を小さくさせた。


 しかし、すぐに優香の目は穏やかなものに戻る。そして、少しだけ思案した後に呟いた。

「そうね、感謝の気持ちってことなら贈ってもいいかもね」

 友チョコとやらは積極的に参加したいとは思えないが、確かに機会がなければできないことも多々あると優香は思う。


 そんな優香の思惑以上に、三葉が彼女の言葉に食いついた。

「え、先輩。誰かに贈る予定あるんですか」

 優香が、こういった催事に前向きな言葉を残すこと自体がとてつもなく珍しいのだ。


「お、お父さんと会社の人にね。ほら、喜びそうってあなた言ったじゃない」

 なぜか、思いついた人物の名前を言うことを優香はためらって隠してしまった。

「なんだ、そうなんですか」

 分かりやすく落ち着いてしまった三葉に説明できない罪悪感を抱いてしまった優香は彼女が喜びそうな話を模索する。


「あなたは誰かに贈らないの? その……ともちょこ以外で」


 あまり深い意図のない優香の問いかけ。しかし、三葉はそれを「本命を渡す相手がいないのか」という意味に受け取った。

「ふふふ、せんぱぁい」

 酔っているかのような口調。見る見るうちに三葉の笑顔が凍りついていく。彼女から、凄まじいプレッシャーを感じて優香は眉根を寄せた。


「そういうのはですね、選ばれた者だけのイベントなんですよ」

「……えっと、あなた。何かあったの?」


 その後、三葉に笑顔が戻ったが、時々遠い目をして壁を見つめていた。本当に何があったのだろう、優香は気になったが結局聞くことはできなかった。

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