ある意味「決戦」の日① ラストチャンス

 春の陽気が待ち遠しい二月の半ば。

 朝の冷え込みはまだまだ厳しく、月初めの立春は名ばかりであることを実感する。


 暖房設備があるとはいえ、まだまだその効きが弱い朝の教室。パタパタという耳障りな音を聞いて、洋介は眉根を寄せた。

「ねぇ、滝。見てるだけで寒いんだけど」

 洋介の目の前では、制服の上着を脱いで薄手のシャツ一枚姿の知也が下敷きで自分を扇いでいる。


「しゃーないじゃん。暑いもんは暑いの」

 一人、季節を間違えている。洋介は、まるで真夏のように額に汗をにじませる知也を見て、そう思った。


「ウォームアップしすぎた。本当はボール触ろうと思ったのに、走っただけで朝練終わっちまったよ」

 家から持ち込んだであろうスポーツドリンクに知也は口をつけた。持ち上げる腕が良い感じに引き締まっている。

(なるほど、鍛えるとあんな感じになるのか)

 今まであまり気にしてなかったが、薄着になると知也はやはり体育会系だと洋介は思う。

 そういえば、夏休みに入る前の知也はいつもこんな感じだったことを洋介は思い出す。その後、席が近いというのに洋介が避けるようになったから、それほど前でもないのに洋介は懐かしく思った。


「……もう春休みから練習あるんだっけ?」

 洋介は知也から聞いた予定を思い出す。

「おう。なんとか特待組に負けないようにしないとなぁ」


 知也が先月推薦合格を勝ち取った高校は他地区の私立である。そこはいわゆるスポーツ強豪校で、知也も春休みから寮生活になる予定だ。

 夏の大会で好成績を収めた中学生を対象に特待生として入学する同期もいるとあって、知也は張り切っている。今日みたいに朝はずっと体力づくりしているし、放課後も後輩達に混ざって部活に参加する予定らしい。


 すでに未来を見て動いている知也の姿を洋介は励みにしていた。ちょっと前までは通り過ぎていった感情が、今の洋介には蓄積されていっている。

 正直洋介は暑苦しいものは好みでないし、今だってできれば労力を惜しみたいと思うのだが、一生懸命やるということ自体は悪くないと思えている。


(熱血スポ根とか、あいつ好きだったりするのかな)

 思い出せば知也と趣味が合いそうだなと思える少女の姿が頭に浮かび、洋介の表情が緩んでいった。


「そういやさ」

 そんな、にやけている洋介の顔には気づかない知也。

「さっき、知らん女子に話しかけられてさ」

 世間話のような感覚でとてつもないことを言い出した。


「放課後空いてるかーって。部活参加するつもりって言ったら、じゃあ中庭で待ってるから来てって呼び出しくらったんだけど。寒いだろうにさぁ、何、その執念。ずっとすっごい表情してたけど、俺何されるんだろ」


「……ん?」

 なぜか果たし合いにでも呼ばれたかのように話す知也のせいで理解が追いつかなかったが、洋介はその内容に引っかかりを覚えた。


「あのさ、それって」

 女子からの呼び出し、なにより今日の日付、そして客観的に見た時の滝知也という男の評価。条件が揃いすぎている。それら全てを総合して考えれば、いくら思春期を枯れて過ごしたせいで同級生に比べれば、その手の話題に疎い洋介にだってピンとくる。

 口に出そうと思ったが、洋介が周囲を見渡せば、すでに教室は登校した人で人口密度が高くなってきている。この状況でその可能性を知也に伝えることは洋介にははばかられた。


 手招きして、知也の顔を近づけさせようとする。知也が素直に顔を近づけてきたので、小さな声で洋介は思いついたことを言った。

「それって、告白なんじゃないの」

「告白? なんの?」

 せっかく洋介が声を潜めたというのに、知也の声量はあまり変わっていなくて、なぜか洋介が慌てた様子を見せる。そんな彼の姿に、さすがの知也も体を縮めて内緒話をする姿勢になった。

「で、何の告白よ」

 真剣に考えるようになっても、知也には思い当たる点は無いらしい。洋介も得意な話題ではないのだが、知也は本気でサッカーのことしか考えていないようだ。


「いや、だって、今日ってバレンタインデーでしょ?」

「……ああ、そっか。そういうこと」

 洋介の核心をついた一言で、ようやく知也も合点がいったようである。


「いや、でも本当に知らない奴だぞ」

 そんな知也の言葉に、なぜか洋介が渋い顔をする。


「君がそうだとしても、相手はずっと想っていたかもしれないじゃないか」


 洋介は知也に声をかけてきた女子に対して、軽い親近感と深い同情を覚えていた。知也の口ぶりから、まるで果たし状を渡しに来たかのような面持ちだったのだろうが、洋介にはその気持ちはよく分かる。

 すさまじい緊張感だったんだろうな、と。それでも、知也が卒業後に寮生活になるのであれば、これが最後の機会だと決心したんだろう。


 その勇気に、洋介は敬意すら感じてしまう。


「まぁ、確かに重いのかもしれないけどさ。受け止めるにせよ、断るにせよ、その想いには真剣には答えてあげないと」

 あまりに親身に、しみじみといった様子で言い放った洋介の一言を聞いて、知也の目が点になっている。ただ、洋介の考えは伝わったようで、知也はしばらく頭をかきつつ思案している。


「ん~、分かった。心の準備だけしておく」

 今の時点では満点の答えが知也の口から出てきたことで、洋介は満足げに頷いていた。


「でもさ」

「ん?」

「澤田のそういう気遣い、知らん奴にもできるんなら、きっとモテるんだろうな」


 思わぬ反撃に、洋介はじとっとした目線を知也に向けて、一つ大きく息を吐いた。

「うるさいよ、もう」


 相変わらず、気心のしれている相手以外には人見知りを発揮する洋介であった。

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