ライツ、只今社会勉強中① 人の趣味を嗤う者は……。

 三月も半ばのことである。太陽も、ずいぶん春らしくなって笑うように輝いていた。


(なるほど、こうすると生地が膨らんで。えっ、チョコレートって、こうやって溶かすんだ)

 優香はよく訪れる馴染みの本屋にいた。しかし、今日はいつもとは違って、あまり立ち寄ったことのないコーナーで本を選んでいる。


(まだまだ知らないことはたくさんあるわね。精進しないと)

 彼女が開いたページには、彩りも鮮やかで、かつしっかりと食欲を刺激される甘味が紹介されている。一緒にレシピも載っている。比較的簡単なものから、その技術を生かしての応用編まで。

 これだけ丁寧に書かれていれば、お菓子作りは未知の領域である優香にだって再現できそうである。これなら、今度は洋介を驚かせることができるかもしれないと優香は頷いた。


 驚かされてばかりでは負けた気がするのだ、そんな風に優香が思い出すのは三月十四日のこと。


 洋介から「お返しに」と渡されたクッキーは優香の負けず嫌いな心を十二分に刺激してくれた。


 彼の話から買ったものではなく、自分で作ったものであるという事実を知った。最初、受け取った時は既成品だと思ってしまったのを優香は今でもくっきりと記憶している。ラッピングも素人のものだったというのに、なぜ手作りだいうことが思い浮かばなかったのか。


 それは、優香自身がお菓子を自分で作れるものであるという認識が薄かったせいであることに思い当たった時、洋介に一本取られた気分に彼女はなった。


(なぜか負けた気がするのよ、意味は分からないけれども)


 洋介からすれば、手作りを選択した理由は「それしかなかった」だけなのだ。一月前に優香からもらったチョコレートがグレードの高いものであったせいで、それに見合うお返しがそれしか思いつかなかった。


 ちなみに、洋介は優香からチョコレートを受け取った瞬間に「特別な意味」を考えた。どう考えても、中学生の友人に贈るような代物ではない。しかし、すぐに洋介は察する。


 「ああ、おじさんと同じものか」、と。


 人の考えを読むのが得意なのも考えものである。もう少し夢を見ていたかったと洋介は思ったものだ。


 さらに余談であるが、一年後はお互いに菓子作りの腕を見せ合う成果発表のような状態になった。花の高校一年生なのに、お互いに色気は皆無である。


「まずは模倣もほうから始めて……それから創意工夫よね。何事も、先達せんだつはあってほしいものだわ」


 優香はレジで受け取った紙袋を脇に抱えた。本屋に立ち寄ることを突発的に思いついたから買った本が入る鞄も持っていない。

 財布を入れていた小さな鞄と紙袋。一瞬、両手がふさがってしまうことに優香は悩んだ。手提げ袋にしてもらった方が良かっただろうか。しかし、すぐに思い直して歩き出した。


 今日は、荷物をこれ以上増やす予定はない。思ったよりも大きな本を購入してしまったが、これぐらいなら許容範囲だ。


 今日のように、計算していない行動をとることが最近優香には多くなってきたように思える。半年前の自分からは考えられないことだと優香は自分自身そう感じている。昔の自分であれば、外の事象に振り回されるのは無駄な労力だと切り捨てていることだろう。

 それどころか、決まったルーティーンを乱すようなことがあれば、それを許してしまった自分に苛立ちを優香は感じていた。


 しかし、思いつきで行動してみるのもそんなに悪くはないと優香は思うようになった。予定通りにいかないことで苛立つことも少なくなったし、何より外からの情報量が格段に多くなって刺激的だ。

(変化なくして成長なし)

 本当に自分を高めるつもりならば、進んで行動してみるべきなのだ。洋介がいなければ菓子を作ろうなどと思ってもいなかっただろう。その点、彼にはきっかけを与えてもらったことに感謝している。


(そうよ、弱点になりそうなところは一つ一つ解消していかないと)


 物事の受け止め方は変わっても、根本は変わっていない優香。考え方としては修行のそれに近い。

 甘い菓子を作ろうとする時にも、その思考に甘さは一切ない。相変わらず、あくまでもストイックに自分を高めることに邁進まいしんするのであった。


 意気揚々と進んでいた足が、書店を出る直前で止まった。

「あら」

 見知った背中が視界に入ってきたのだ。


 彼は不審人物のようにキョロキョロと辺りを見回している。立っている場所が少女向けの漫画が置いてあるところだから恥ずかしがっているのだろうか。

(そんなに気にすることないのに)

 たとえ愛読書が少女向けだとしても、優香からすれば隠そうとする趣味とは思えない。むしろ、なぜか彼にはしっくりとくる。

 それでも、彼にとっては恥の部類に入るのだろう。そこは尊重しようと思うのと同時に、優香は彼の秘密を知った気がして少し高揚した。


「何、してるんだろう」

 それにしても、彼の挙動は客観的に見るととても不審だ。どうしたのだろうと、見てみぬ振りができなかった優香は近寄っていく。そして、できる限り驚かせないように、ちょっと遠くから声をかけた。


「澤田くん、なにしてるの?」

「ひゃあっ!」


(あら、可愛い)

 思っているよりも高い声で悲鳴をあげた洋介を見て、思わぬところで優香はときめいた。


 洋介は、さも何事もなかったかのように振り返った。

「あ、井上さん。奇遇だね。どうしたの?」

 しかし、動揺は全く隠せていない。目が泳いでいるのを、彼は自覚しているのだろうかと優香は呆れて嘆息たんそくした。


「それは私があなたに聞きたいんだけども」


 驚きのあまり腰を抜かしかけたのか、洋介は壁を手に何とか体勢を立てなそうとしている。


 近くにいた小さな女の子が怪訝けげんな顔で二人の様子を注視している。それに気づいた優香は、彼女ににっこりと微笑みかけた。

 そんな優香の態度で彼女は安心したのだろう。同じように笑った後に、本を手に立ち去っていった。


 そんな後姿を見送ることで、洋介はようやく客観的に自分の状況を判断できたようだ。


「もしかして、僕、怖がられてた?」

「……知らない人が見たら、どう思われるかは自分で想像してみたら?」


 優香に促されなくとも、洋介は今なら分かる。小さな女の子のいる場所で中高生の男子がうろうろしていたら、万引き犯か誘拐犯か、そう思われても仕方ない。このご時世、警戒しすぎということはないのだ。


「ははは。やっちゃったかな」

 洋介は己の行動をかえりみて苦笑いを浮かべている。


「堂々としてればいいのに。人の趣味をわらう人間に、ろくな未来は待ってないんだから」

 優香は洋介をたしなめるように言い放った。


 自分は可愛いものを見ると顔がほころぶところを人に見せぬように努力しているくせに、優香は完全にその事実を棚に上げている。

 洋介は彼女の矛盾に気づくことなく、恐縮した様子で反論した。


「いや、そこまで気にせずっていうのは難しいよ。それに僕の趣味じゃないからさ。この……ピンクな感じだけで異世界だよ」


 僕の趣味じゃない?

 優香はその言葉に引っかかりを覚えた。では、誰の趣味だろうか。


 洋介がわざわざ専門外の分野に足を踏み入れることは少ない。積極的に世界を広げていく人間ではないと優香は認識している。それでも、彼が行動に移すとしたら……。


 優香の脳裏には、ある少女の影が浮かんだ。その瞬間、明らかに優香の表情が明るくなる。

「もしかして、ライツちゃん。また来てるの?」


 半年前、優香は衝撃の出会いと唐突に別れを経験した。その共演者が星妖精の少女、ライツだ。


 あれは卒業式の時。地上に久々に降りてきたライツと優香は再会した。

 半年の月日が経っていたせいで、優香はぎこちなかったがライツは何ら変わりなくほがらかだった。彼女の愛らしい姿も変わらず、だ。

 人目のあるところで会ったものだから、抱きしめたくなる衝動を抑えるのに優香は必死だった。


 そんな優香から感じる圧に気圧されながら、洋介は小さく首を振った。

「いや、今はいないよ。でも、そろそろ来れそうだって聞いたんだ」


 まるでライツとの連絡手段を持っているような洋介の口ぶり。そんなものがあるのなら教えてほしいと、口には出さずとも表情に出す優香。

 言葉を交わしていないのに、彼女の顔を見て察した洋介は話を続ける。


「ライツのお付きの人、じゃないな。保護者、でもないし……なんて言えばいいんだ? とにかく、ライツが来る前に地上が安全かどうか確かめに来るんだよ。大人の星妖精が」

「そうなんだ。私は会ったことないな」

「今度挨拶あいさつに行くと思うよ。井上さんに持っていく手土産は何が良いのかって聞かれたから」


 そんなの気にしなくてもいいのに、と優香は小首をかしげる。


「まぁ、彼女が気にするからもらってよ。何かしら持ってくと思うから」


 しかし、そう笑って優香に話しながらも、洋介はその『何か』が何になっているのかが気がかりだった。助言を求められた洋介は焼き菓子系で無難なものを勧めたのだが、彼女は素直に聞いてくれたろうか。


(なにせ、最初の一言が『金色の菓子とは、どこにあるものでしょうか?』だもんな)


 どこの越後屋か、というツッコミが喉まで出かかった洋介であった。

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