第29話 夢魔の油断

 不敵に笑うカーラの姿が徐々に白いもやに隠されていく。その先を洋介は見ることはない。


 その後、カーラは自分を否定した町をまずは襲った。彼女が見つめるだけで、皆眠りに落ちていった。彼女の夢の中に引きずり込まれた人間は、醒めることのない幸福な悪夢を見る。

 夢に引き込んだ者の力をカーラは、自らの力として使えるようになる。眠らせる人数が多くなればなるほど、その都度カーラの力は高まっていった。


 住人が皆、その時間を止めてしまうと次の町に。彼女の行動はどんどん大規模になっていき、戦争で奔走ほんそうする人間達も、ようやく彼女の復讐に気づきはじめた。


 それと同時に、事態は急変する。これ以上、人間達に悪い印象を与えたくなかった妖精界が動いたのだ。彼女は捕らえられ、闇妖精の領域に連行される。

 しかし、怨讐えんしゅうの炎は牢獄の中でも絶えず燃え続けていたのだった。


 そして、現在に至る。

 カーラから送り込まれていた映像が途切れたのと同時に、洋介の視界が回った。

「ごふっ」

 コンクリートに叩きつけられたのだと、彼が判断できたのは背中の痛みを感じてからだった。


「なんだ、なんだ、なんだなんだ貴様はっ!」

 カーラの怒号が静かな学校に響く。


 輝いていた緋色の瞳は濁り、その目尻は吊り上がっている。右手で頭を支えているのは、酷い頭痛を感じているからだ。時折やってくる強い痛みに頭を振って対抗している。

 その表情から読み取れるのは、怒り、戸惑い、苛立ち、悲しみなど様々なもの。先程まで圧倒的な優位を背景に、冷ややかな眼でこちらを見つめていたカーラは見る影もなく狼狽ろうばいしていた。


 まるで、迷子になった子どものようだ。

 こんな状況だと言うのに、洋介は優香の話を聞いた時に想像した幼い頃の彼女を思い出していた。


「なんで……。なんで今更、こんなものを見ないといけないっ!」

 カーラは意図的に思い出さないようにしていた自らの起点を、洋介と同じ視界で客観的に見てしまった格好だ。記憶の底に封じていたものを、無理やり表に引きずり出された。

 洋介も生々しい感覚に吐き気を覚えているが、当の本人の苦痛は半端なものではない。開かれた傷跡に、もだえ苦しんでいる。


(まさか、こんな小僧に術を返されるなんて)

 カーラは荒れる呼吸を必死に抑え込んでいる。全力で抗わなければ、様々な意思の奔流に飲み込まれてしまいそうになる。


 彼女の術は、人間で言うところの「呪い」に近いものだ。


 少ないコストで効力を発揮し、実力差をひっくり返す。しかし、相応の対策をとられていると術者に力が跳ね返ってくるのだ。

 だから、闇妖精を相手にする時は慎重に相手の護りを崩していた。そうすれば、どれだけ屈強な相手であろうと自らの夢の中に閉じ込めることができてきたのだ。

 一度、効果が出れば妖精王級の力を持つ者でも破ることは容易ではない。何個か繋がりが外れてしまっているみたいだが、今も脱獄の際に眠らせた者の力をカーラは引き出すことができる。


 確かにカーラは地上界に来てからは油断していた。今の人間に、カーラの術を破る力を持っているものはいなかったからだ。


 しかし、洋介は違った。カーラは気づかなかったし、当の本人も知らない。

 彼には相当な実力者の加護が与えられていた。


「くっ」

 背中の痛みと、注ぎ込まれた情報量の多さに呆けていた洋介は姿勢を立て直す。見上げれば、まだカーラは自分のことに精一杯でこちらを見る余裕はなさそうだ。彼女の脇を通り過ぎて、学校内に戻ろうとする。


 ギラリと、指の隙間にあったカーラの瞳が輝いた。


「逃がすかっ」

 カーラは感情のままに、長い左足を振り回す。反射的に繰り出されたその蹴りは洋介の体を的確に捉えた。

 速さによって生み出された衝撃によって、洋介の体は宙に浮く。


「「あっ」」


 二人の声が重なる。


 開かれた扉の奥に、洋介は蹴り込まれたのだ。つまりは学校の上空に体が放り出されたということ。

 一瞬浮き上がった体は、すぐに重力に引っ張られる。

(落ちるっ)

 手を伸ばそうにも、どこにも引っかかるところがない。


 思ったよりも、落ちるまでに時間がかかっているように洋介は感じた。その目はぐるぐると動き、生き残る術を探している。


 死にそうになった時、周りの景色がゆっくりに見えるという。交通事故に合った友人が、昔語っていたのを覚えている。

 まさか、自分で体験することになるとは洋介は思いもしなかった。


 しかし、時間はゆっくり進んでいるように見えて早い。どんどんと、地面が近づいてくる。

(足の骨折ぐらいですまないかな)

 どうしようもない事態に対して、妙に冷静な思考で洋介は笑えてくる。


 地面ばかり見ていた洋介は、ふと眩しさを感じる。

(なんだ?)


 視界のすみに少しだけ映っている光。その眩しさは、ますます強くなってくる。迫りくる地面よりも、速く、真っ直ぐに洋介に向かってくる閃き。


 時に朱く、そして金色となり、蒼くきらめく。その輝きは、洋介に虹を思い出させていた。

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