第30話 心の壁に似て
それは洋介が、学校内の
「う、ぐすっ……ふぇ」
何とか
ただただ、消えた洋介の気配を求めて、それを最後に感じた方角へ。飛ぶ力を制御しきれずに右に左に揺れるものの、真っ直ぐに彼の学校に向かっている。
ああ、なぜ今日に限って彼の側を離れたのか。自分の好奇心を抑えきれずに、彼の周囲に感じた不穏な空気を無意識に気の
そういえば、地上界に落ちてしまったのも自分の不注意からだ。母の側から離れれば生きていけぬ弱い存在でありながら、役割から思うように動くことのできない彼女から遠く離れてしまった。
本当に一人になってしまったら、これほどに怖いものなのだ。ようやく母が自分を束縛してきた理由が理解できた。
「ヨースケ」
ただただ今は洋介に会いたい。その一心で服に隠れた羽根を動かし続ける。
その潤んだ瞳では、うまく前を見ることができない。だから、気づけなかった。
「あっ……!?」
声も出せなかった。急に走った、額を突き刺す痛み。ライツの体は大きく弾き飛ばされる。
「あっつ~、なに、これ」
痛みと熱で涙が引っ込んだ。そして、今度はそれをしっかりと視認する。
あと少しで、洋介の学校に着くかという距離。そこに、うっすらと障壁ができあがっている。人間の目に映らないそれは、ライツから見ても限りなく透明であった。
ライツは近づいて、恐る恐る指を伸ばしてみる。バチッ、とした刺激で反射的に指を引っ込めた。
「入れてくれない」
ライツがその壁から感じた意思は「拒絶」だ。ここから先を通すわけにはいかない、とライツの前に立ちふさがっている。
それはカーラの張った結界の境界面。中に入った者を夢の中へと誘う入り口であり、カーラと敵対する存在の侵入を決して許さぬ城壁である。
カーラが力を蓄える度に、その世界は広がっている。今、ライツが見ている間にも
(ヨースケが危ない!)
この中に洋介がいると気づくと同時に、ライツは彼の危機を本能で察した。そして、同時に揺らいでいた意思が再びはっきりとした形を持ってライツの体を奮い立たせる。
「今度はライツがヨースケを守るんだ」
どうすればいいかは分からない。しかし、やらなければいけないことは決まっている。
洋介を自分が守る。そのためには、何ができて、どうすればいいのか。
今まで使われていなかったライツの思考がぐるぐると回転を始める。結局、やれることは見つからない。それでも、一本の芯が入った心は簡単に折れたりしない。
「待ってて、ヨースケ。ライツも、そっちに行くからね」
もう、ライツの目に涙はなかった。
壁に今度は
「ぐうぅ、ん~っ!」
全身に広がる痛みに離れようとする手。それを、ぐっと押し付けてライツは耐える。
(……あれ?)
歯を食いしばっていたライツは少し違う印象を壁から受ける。
そこで力が抜けたのか、ぐいぐいと押していたライツの体は一気に後方に弾き飛ばされた。
「いちち」
ライツはぶんぶんと手を振って、未だに残っているビリビリとした痛みを振り落とそうとしている。掌を広げて、ふーっ、ふーっ、と息を吐いた。
力任せに押し入ることはできない。感じる衝撃は火傷のそれだ。無理に侵入しようとすれば、彼女の体を焼き尽くしてしまうだろう。
それでも、少しだけ光明が見えたのか、ライツの表情は比較的明るい。
「イヤだってのばかりだと思ったら、ちょっとだけ入っていいよって言ってる」
自らに確認するように、壁から感じた印象をライツは口に出した。
ライツの感じた矛盾する感覚は、実のところカーラの結界が持つ特性から生まれるものであった。
混沌の強い存在は自らの
もちろん別格の実力者であれば別だが、そんな存在がカーラの排除に動いたのであれば、どちらにせよ結界を放棄するしか無い。
そして、秩序の強い存在。光の力を持つ者から、カーラは力を奪うことはできない。だから、結界の壁は最初から排除しようとしているのだ。
つまり、ライツが感じる痛みの正体は結界からの攻撃によるもの。彼女の中にある光に対して拒絶反応を起こしている。そして、星妖精は同時に闇も内包しているから、結界はその闇の力を自分のものにするために引き込もうとしている。
それ故に、ライツは障壁から矛盾した印象を受けたのだ。
「ムリヤリ入っちゃうから」
だとすれば、ライツのとる作戦は単純だ。
少しでも受け入れようとする姿勢をとるのであれば、そこをこじ開けてでも中に入れさせてもらう。
そのためにおそらく、さっきまでとはまるで違う痛みに襲われるだろうが、ライツの目に一点の曇りもない。
「待っててね、ヨースケ」
ライツは覚悟を決め、頷く。大きく息を吸い込んで、ぐっと力を込めた。
洋介と自分を遮る障壁に向かって全力で飛び込んでいく。洋介を守る、確固とした想いを心に刻み込んで。
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