第27話 緋色の瞳
(バレた!?)
平静を装っていた洋介の表情が引きつった。いつでも行動に移せるように後ろに体重をかけていたのだが、彼女には見破られているようだ。
先程から恐ろしいほどの勢いで血液を送り込んでいる心臓が、さらに鼓動を早くする。額から冷たい汗が滑り落ちた。
優香の顔には笑顔が張り付いている。見るものを誘惑してくる、艶やかさをもった微笑みだ。
(マジで良い顔してるよ、本当)
しかし、その笑みは相対する洋介の心を奪うことはできず、ただ苛立たせるだけだった。
他の者にはわからないかもしれない。しかし、洋介から見れば、明らかに普段の彼女とは違うと思えた。
優香なら演技で笑っている時も、周りに悟られないように完璧にこなすはずだ。今の彼女は、顔は笑っているのに目が全く笑っていない。
洋介が憧れた、優香の笑顔はこんなものじゃない。それだけは確かだ。
とはいえ、洋介も優香の正体については半信半疑だった。そんな笑顔を見せなければ今でも信じられないくらいに、眼の前の優香は彼女そのものだ。
近づけば確証を得ることができるかもしれない。彼女の接近を待って、もし違和感が拭えなかったら全力で逃亡する算段だった。ぎりぎりまで見極めて、勘違いだった時に彼女を傷つけないように。
ただ、そんな心配も杞憂だったようだ。洋介の直感は当たっていた。
(もう隠すつもりもなさそうだな)
彼女は、井上優香ではない。確信を得たと同時に、優香が現れたことで若干和らいだ恐怖感が倍増して洋介の脳を押しつぶそうとしていた。
精一杯の強がりで、まっすぐに彼女を見る。
「化けるのなら、もっと上手に化けたらどう?」
言い放った言葉は強気であったが、声の震えは隠せない。
実際に、洋介は幼少の頃に自分の母親に化けた桔梗に騙されたことがある。その経験があったからこそ、彼女の
正体を明かすまで完璧に彼の母を演じきった桔梗に比べれば、彼女の演技は拙いものだ。
そんな洋介の虚勢を見抜いてか知らずか、彼女はふっと鼻で笑った。
「やはり貴様は異質だ」
声色が変わる。ねっとりとまとわりつくような色気を放ちながら、心の奥底を射抜いてくる。そんな声だ。
「それなら、この姿は必要ないな」
次の瞬間。彼女の全身が闇に包まれた。
吸い込まれそうな漆黒の黒。それが晴れた時、現れた彼女の姿に思わず洋介は呟いた。
「……悪魔」
彼女の姿と、幼い頃に絵本で見た悪しき存在が重なった。
眼の前の彼女は、昨日中庭で会った少女だ。
しかし、その印象は全く異なっている。まずは、瞳。不思議な色をしていたそれは、血のように真っ赤に染まっている。身にまとう黒衣も闇に紛れるのに都合が良さそうで、背中に生えた飛膜の翼はコウモリを思い出させる。
今まで現実では見たことがない。そんな、急に目に飛び込んできた衝撃的なビジュアルを、洋介は反射的に『悪魔』と表現したのだ。あくまでも、それは洋介が感じた印象である。
「そうか。やはり貴様も私をそう呼ぶのだな」
しかし、言われた本人は『悪魔』という単語に顔を曇らせていた。
だからだろうか、一瞬だが彼女の注意が洋介からそれた。
(今だ!)
洋介は反転して、下に向かう階段を駆け下り始めた。着地を失敗してもいいからと、飛ぶようにして降りていく。足を踏み外しそうになるが、何とか踏みとどまった。
危機感が集中力を増してくれているのだろう、意外と階段の幅が大きく見える。洋介は何とか、一階まで降りきることができた。
(窓を開けてたら追いつかれる……)
ここは玄関から飛び出したほうが得策だろう。普段は走ったことのない廊下も全力で駆け抜ける。
倒れている生徒が視界に入る。胸を痛めながらも、まずは自分の身を守るのが先決だと洋介は走り続ける。
ようやくたどり着いた玄関。洋介は上履きのまま、扉まで勢いよく到達する。
そして、開け放って飛び出でようとした。
しかし。
「うわっ!?」
洋介は掴んだ取っ手をぎゅっと握りしめて、その場でブレーキをかけた。体がそのまま外に出ようとするのを腕の力、足の力を駆使して何とか踏みとどまる。
「いや、マジで勘弁してくれって」
洋介は足元をもう一度、ゆっくりと見下ろした。
確かにガラス越しに見えていたはずの校庭。それなのに、今洋介の視界のはるか下にそれがある。普段、三階の教室から見ている景色よりも、さらに遠く離れている。
自分が、学校の屋上よりも高い場所にいると認識するのに時間がかかった。
「さすがにここから落ちたら死ぬ、よね」
洋介は自分自身の足元を見ながら走る癖に感謝した。もし、前だけ見て走っていたら、そのまま空中に飛び出していたことだろう。
墜落死を免れる。そんな情報量の多い出来事に、洋介は少し忘れかけていた。
彼の危機は、まだ続いているのだということを。
「そうだ、他に出れる場所は」
「そんなものはないぞ。貴様は私の結界に囚われているからな」
背後から聞こえた声に慌てて振り返る。そんな洋介の首に、少女の長い指が巻き付いてきた。
「ぐっ」
とっさに両手で、彼女の腕をつかんで離そうとするがびくともしない。少し下がれば落ちてしまう、そんな不安定な足場の影響で、うまく力を使えないということもある。それを考慮したとしても、彼女の細い腕は恐るべき腕力で洋介の動きを阻害していた。
「今日は、光妖精を連れていないのか。契約者を一人にするとは、呆れた臣下だな」
(光妖精?)
それがライツのことを言っていると洋介は気づけなかった。ライツは自分のことを星妖精と紹介し、星について二人で語り合った夜をよく覚えている。それにライツは臣下なのではない。
「貴様は単独で、私の結界に抗う力を持っているんだな。なかなか興味深い」
洋介の目を覗き込む彼女の瞳が、一層朱く輝く。
気づけば、体を浮かされ足が宙に浮いている。気道をつぶすほどに強く握られてはいないから呼吸はできる。しかし、精神的なものも含めて首をつかまれているだけで息苦しい。
「さて。直接触れてみたが、どうかな。これでも抗えるのなら、抗ってみるがいい」
少女は自分の体の中で術式を作り上げていく。結界の中にいる者達と同様、自身の夢の中に引きずり込んで記憶と力を奪う魔術。
そのイメージが固まった時、彼女は洋介を見つめて口を開いた。
「『
彼女の指から、直接洋介に力が流れ込む。しかし、彼女のイメージとは違い、その力は洋介の脳に辿り着くことなく立ち止まった。それだけではない。そこから、勢いよく彼女のもとへ返ってくるのだ。
(えっ)
余裕の笑みは途端に凍りつく。
本来、かけたかったはずの魔術がそのまま逆流してくる。それは、洋介と繋ごうとしていたパイプから、逆に彼女の記憶が引き抜かれることを意味していた。
苦しさでぼやける洋介の視界。徐々に薄れていく視野。
(……あれ、誰かいる)
そんな洋介の瞳には、ある少女の幻が映し出されていた。
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