第25話 その瞳に映るもの

「ねぇ、それっておいしいの?」


 電柱に留まっている小鳥にライツは話しかけていた。

 小鳥はライツの言っている言葉が分かるらしく、くちばしを突き出して「食べるか?」と聞いてくる。そこに挟まれていたのは、どこかの木からほじくり出してきた虫の幼虫だ。


 ライツも動物の意思は何となく理解できる。ライツは眉根を寄せて首を横に振った。

「うへぇ」

 自分がそれを食べたことを想像して、唸る。どうやら、彼女の趣味には合わなかったようだ。


「ライツはやっぱりアイスクリームがいいなぁ」

 その味を思い出して、にんまりとライツは口端を緩めていた。


 地上界に落ちてきて初めて口にしたものが、洋介から手渡されたアイスクリームだ。ひんやりとした冷たさの後に、口いっぱいに広がる甘さ。

 一瞬でライツはその虜となっていた。


 そもそも星妖精に食事は必要ない。食べ物といえば嗜好品なのだから、その点アイスクリームは完璧だった。

 ちなみに、あまりにライツがいい表情をするもので洋介が積極的に買い与えていたりする。そのせいで、ただでさえ少なめの彼の小遣いは底をつきかけているのだった。


「じゃあね~」

 小鳥に別れを告げて、ライツは飛び立った。


 どこか目的があるわけではない。したいことがあるわけではない。

 ただただ地上界の全てを感じていたいのだ。


「ふんふ~ん♪」


 鼻歌交じりにライツは町の上空を飛んでいく。

 眼下には人間の町が広がっている。その風景の全てが珍しく、ライツの好奇心を大いに刺激していた。


 星妖精の領域は、どこも似たような景色ばかりだった。それに比べると、人間の住む家に統一感はあまり感じられない。その飛べば飛ぶほど変わっていく姿が、ライツには興味深いものであった。


 ふと、今朝の洋介を思い出す。


(チコクって、どういう意味だろ)


 洋介は目が覚めた瞬間、そんな単語を叫びながら慌ただしく用意をして飛び出していった。

 最近、洋介に相手をされていないライツは不満顔で彼を見送ったのだ。


 それでも、とライツは思う。

 いつから洋介を見送れるようになったのか、と。


 前に洋介がライツを置いて学校に行ってしまったことがある。その時は涙目になりながら、彼を追いかけたものだ、とライツはつい最近のことなのに懐かしく思う。

 それ以来、洋介の頭の上が彼女の定位置になった。そんな状況も変化しつつある。


「ヨースケは、あっち」

 ライツは空中で立ち止まって、洋介の気配を感じる方を指さした。


 そこまでいけば、彼に会うことができる。そう思えば、どこまで飛んでいっても大丈夫だと勇気が出てくるのだ。


(ああ、そっか)


 そのとき、ライツの中で何かが繋がった。

 今のライツと、妖精界にいた頃の彼女の精神状態がようやく同じになったと察したのだ。


 思い出せば、初めて自分が地上界に来てしまったと気づいた時にライツの心はぐちゃぐちゃになった。

 処理しきれない不安感、行き場のない焦燥感、そんな感じたことのない感情でいっぱいになってしまった。そのせいで、一度決壊してしまったのだ。


 ライツは守られていたのだ。


 妖精界の、母の気配を感じられる場所でならライツは強くあれた。しかし、地上界という、母の庇護が届かない場所ではとてつもなく弱い存在だったのだ。


 そんな彼女が、なぜ今こうも強固な心でいられるのか。

 その理由の答えは、ライツにも分かりやすいものであった。


(今はヨースケが守ってくれるからだね)


 洋介が、ライツの壊れた心を直してくれた。彼がいるからこそ、未だに感じられない母の気配がなくとも、ライツは笑っていられる。

 もし、洋介に何かあれば……今度こそライツはどうなるか分からない。


 だから、心配になることがある。


「うん、今はヘーキ」


 洋介から伝わってくる感覚を読み取ってみるライツ。

 波打っているが、昨日のような変な感じは受け取れない。


「あれ、ホントにヤだった」

 ライツは唇を尖らせる。


 昨日も一人で行動していたライツだったが、洋介から伝わってきた嫌な波動に慌てて彼のもとに戻っていった。

 彼の姿を見て何も変わっていないことを確認すると、満面の笑みがこぼれた。しかし、すぐにその顔が凍りつく。洋介の周囲に、何かしらの力を行使した残滓が残っていたからだ。


 あれは悪いものだ。その近くにいることすら、ライツは避けたかった。

 それでも、洋介がその場に一人でいることはもっと嫌だった。


「すぐにどっかいっちゃったから、良かったな」


 ライツが洋介の頭上に飛び乗ってから、しばらくした後に嫌悪感は去っていった。


「あれは何だったんだろう」

 ライツには見当もつかない。しかし、少なくとも洋介にとって良いものではなかったのは確かである。


 洋介はライツを守ってくれていた。

 もし、洋介が危機に陥るときがあるとすれば。


「今度はライツが守らないと」


 もし、有事になったとしても洋介の力になる方法をライツは思いつかない。彼の盾になれるような力なんて、ライツは持ち合わせていない。

 それでも、「彼を守りたい」、その気持ちだけは確かなものだった。


 ふいに不安になってくる。安心するために、チラリと洋介がいる方向を見やった。

「えっ」

 その瞬間、彼女の目が一際大きく見開いた。


 ライツは絶句する。


 途端に体が震えだし、自分でも制御できないほどの恐怖が襲ってくる。

「あ、あれ?」

 キョロキョロと周囲を見渡す。しかし、ライツが求めるものは見つからない。


「どこ、どこにいったの?」

 その場をうろうろと飛び回る。それでも、見つけることはできない。


 確かにあったのだ。これまで、ライツの心を安定させていた洋介との絆が。

 それなのに、今この刹那に消えて無くなってしまった。


 ライツの目から涙が溢れてくる。

「うそっ、どうして」

 洋介とライツを繋いでいた道。それが跡形もなく、プッツリと途絶えてしまっていた。

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