第23話 誘う瞳

 洋介が通っている中学には中庭がある。


 庭、といっても校舎に囲まれている小さなスペースがあるだけだ。そこに、職員の趣味であろう花壇が置かれ、思いの外華やかな印象を見る者に与えている。

 ベンチなんかも置かれているから、休憩時間に利用している生徒も多い。


 洋介もそんな一人で、放課後に優香が生徒会に顔を出した後に合流するためにここで待っていた。

 教室で待っていてもよかったのだが、ホームルーム終了後にミーティングがあるようだったので退散したのだ。

 図書館は遠いから、選択肢がここしかなかった。


「井上さん、すぐに来るって言ってたけど」

 周囲の様子を伺うが、すでに中庭に人の姿はない。洋介一人、ポツンと取り残されているようだ。


 優香が来るにはまだ時間がかかりそうだったので、洋介は手にした暗記帳を開く。

「ぶふっ」

 開いたページのイラストが目に飛び込んだ瞬間、洋介は吹き出した。


 そこには貴族風の男性、おそらく藤原道長が神々しく輝いていた。

 語呂合わせで1016といろと読むのはいい。十色1016に輝く摂政道長、はなかなか覚えやすい。しかし、道長を本当に輝かせる必要はないだろう。


「あいつらしいチョイスだな」


 この暗記帳は知也から借りたものだ。

 受験を真剣に考えようとしてこなかったから、今後どうするかの指針が洋介には立てにくかった。正直な話、これまでの積み重ね方の違う優香の方法は参考にならなかったから知也にも聞いてみたのだ。


 テスト対策ですら瞬発力勝負な知也のこと、受験勉強も楽しんでやろうとしていたのだろう。

 それでも彼なりに努力していたのだ。そんな彼が危機感の薄い洋介を見たら苛立つのは無理がない、と今の洋介になら思える。


 知也なら参考になるかな、と思って話しかけた自分が恥ずかしくなる洋介。

「まぁ、これからこれから」

 落ち込みそうになる気持ちを引っ張り上げようと自身で声をかけた。


 部活動の喧騒が遠くに聞こえている。ぐっと、ベンチに体重を預け暗記帳とともに視線をあげた。


(……あれ?)


 ピントの合っていない視界に人影が映る。

 確かに誰もいなかったはずなのに、と洋介は腕だけを下ろした。


「こんにちは」


 そこには一人の少女が立っている。中学の制服に身を包む、洋介と同年代の女の子だ。

 そんな彼女が、はっきりと視線を洋介に合わして声をかけてきた。


「……こんにちは」

 思わず返事をしたが、洋介の記憶に彼女の姿はない。そもそも交友関係が狭いから、この学校にいる生徒のことをほとんど知らないが、見たことすらない。


(一度見かけたら、忘れないと思うけど)


 洋介がそう思うほど、彼女の姿は印象的だった。

 艷やかな長い黒髪が風になびいている。肌は白く、透き通るほどで、こちらをじっと見つめる瞳も不思議な色をしていた。


「こちらに来たばかりで迷ってしまって」

 転校生だろうか、と洋介が考えている間に、彼女はゆっくりと歩み寄ってくる。

「ちょっと、お時間いただけませんか?」


 近づいてきたからか、彼女の瞳がさきほどよりも大きく見える。

 まるで吸い込まれそうだ、と洋介は感じる。深く、どこまでも潜っていけるような色をした瞳に洋介が映っている。


(おっと、あまりジロジロ見るのは失礼か)

 洋介は彼女から視線を外した。


「僕は約束があるから。誰か他にいないかな」


 キョロキョロと辺りを見渡す洋介は気づかなかった。

 視線を外されたことを、若干の驚きをもって受け止めている少女の表情に。


「いないなぁ。よかったら職員室までなら案内できる、け、ど?」


 洋介が再び彼女の方を向いたとき、そこに少女の姿はすでになかった。洋介が見た幻か、そう思えるほどに誰かいた気配もなく中庭は静まり返っている。

 待ちきれなかったかな、と洋介は頭をかく。


「ヨースケ!」


 そんな洋介の頭上から降ってくる声。見上げると、朝に別れたきりのライツがこちらに向けて飛んでくるところだった。

 ニコニコとした満面の笑み。

「えっ?」

 しかし、あと一メートルほどの距離となったときに彼女の表情はピシッと固くなった。


 中空で立ち止まった彼女に、洋介は首を傾げる。

「どうした、ライツ?」

 睨みつける彼女など、見たことがない。ライツの視線は、洋介ではなく彼の周囲に向けられていた。

「む~」

 そんな様子でしばらく動きを止めていたライツであったが、ぐっと口を強く結ぶと洋介の頭に降りてきた。


 いつもならライツは洋介の頭にぺたんと座ってくる。しかし、今の彼女は両腕両足でがっしりと洋介の頭を抱え込んできた。

「う~」

 まるで、犬が威嚇するかのような唸り声をライツは出している。


「ホントにどうしたの、ライツ?」

「なんか、イヤな感じがする」

 洋介からは見えないが、ライツは真剣な表情を崩さず、彼の頭をつかむ腕の力は緩まさずに答えた。


「ごめんなさい、遅くなってしまって。あ、ライツちゃんも来てたんだ」

 そんな彼らの前に優香が現れる。

 ライツがいることに気づいて表情を明るくする彼女だったが、すぐに困惑の表情に変わる。


 ライツが変な格好で洋介にしがみついているのもおかしいのだが、優香をじっと観察するように見つめてくるライツの視線が一番気になった。

 まるで中身を見透かそうとしているかのように視線を放っていたが、すぐにライツの目から緊張が消えた。優香は解放されてホッとしたが、ライツの表情は変わらずに険しい。


「どうしたの、ライツちゃん」

「なんか、嫌なんだって」

 二人がライツの変調を気づかっている間も、ライツの様子は変わらない。


「うう~」

 ライツの目には、洋介の周囲に残った雲のようなものが映っている。

 ライツは本能的に悟っている。これは悪いものだ、と。


(ヨースケを守らないと)


 ライツの唸り声は、その後もしばらく続いているのであった。

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