第22話 放課後の約束
「あなたはなぜ、これが必要だと思ったの?」
放課後の生徒会室。
優香は険しい目で書類を見つめながら、後輩である三葉に言い放った。その口調がとても冷たく、三葉の背筋がピンと伸びる。
「えっと、バレー部の子からロッカーが古すぎるって言われて」
「ああ、そう」
たどたどしく三葉が答えると、おそろしく突き放した返事が帰ってくる。三葉は何度飲んだか覚えていない生唾を再び飲み込んだ。
「それで、何で廃案にしようとしているの?」
「え、ええっと、先生にそんな予算は出せないって言われて」
そこまで聞いて、優香はわざとらしく息を吐いた。三葉はびくっと体を震わせる。
「言われて、言われてって。あなた、自分の意見はないの?」
それは質問の形式をとっていたが、分かりやすい非難の言葉であった。
「すみません」
「私に謝ることではないでしょう」
優香は大きく息を吐いた。
優香宛に生徒からの嘆願が届いた。
それは生徒会に対する苦情のようなもので、実際に訪ねてみればどの案件も中途半端に終ってしまっている。その一つ一つを現在の生徒会長である三葉に確認をとっていたのだが、どれも明確な答えが返ってこなくて優香は苛立ちを隠せないでいた。
ふと、一つの嘆願に目が止まる。
(なによ、これ。前に私が無理だって言って突っぱねたものじゃない)
もしかして、優香なら無理だけど三葉なら聞いてもらえると思って出してきたのだろうか。
内容に変化もない。もう少し、自分の頭で考えろと面と向かって言いたい気分になる。
(あれ?)
そこで、本当の問題について気づいた。
(そうか、この子は優しすぎるのか)
いい子なのだ、三葉は。
優香が現役の時に優秀な働きをしてくれていた。彼女なら大丈夫だと思えたし、実際に能力的には問題はないはずだ。
これだけ問題が山積みになってしまっているのも、彼女が皆の言うことを聞いてあげようと受け入れてしまうからだし、難しそうなら諦めようと生徒会顧問の顔色を見てしまうからだ。
少し、洋介に似ていると思った。
――人に好かれようと思ったら、まずは自分が努力しないと。
彼のことを思い出した途端に、想像の洋介に説教される。
(相手を見る努力、ね。分かってるわよ、だから気づけたんだから)
頭の中でじっと見つめてくる洋介に反論をし、あらためて三葉の方を見た。
視線が合ったことで、ぱっと彼女は下を向いた。完全に萎縮させてしまっているなと優香は思う。
三葉は確かに優秀であるが、決断力に乏しい。それは、彼女に会長を任せるまでは優香が全て決めていたからだ。
出会った頃は彼女から意見が発信されることもあったが、優香の行動が素早すぎて三葉が考える余地をなくしてしまっていた。
そして、ここが重要であるが自惚れでなければ三葉は優香を慕ってくれている。
それ故に、優香のような仕事をしなければと身の丈以上の背伸びをして苦しんでいるのだ。
(確かに、これは私の努力不足ね)
ふっ、と優香のまとった空気が柔らかくなる。それは三葉も感じたのか、外していた視線を戻してきた。
優香は軽く微笑んでみる。それだけで、三葉の緊張は緩んだ。
「ちょっと一緒に見てみましょうか。優先順位をつけましょう」
「は、はいっ」
それからしばらく優香は三葉の仕事を手伝っていたが、ふいに頭を抱えだした。
「どうかされました?」
その変調に気づいた三葉が声をかける。
「ごめんなさい。あとは任せていいかしら」
優香は申し訳なさそうに口を開く。
もちろんだ、と三葉は頷く。本来であれば自分がしなければいけない仕事を手伝ってもらっていたのだ。
この短時間でずいぶん見通しが明るくなった。これならば、三葉の力でなんとかできるかもしれないと思えるほどに。
「また何かあったら声をかけてね」
優香の口調は穏やかなままだ。
「はい、ありがとうございます」
いつもの優香も格好いいが、これも悪くないと三葉は思える。
ふと、席を立とうとする優香の表情が三葉の目に留まる。
「会長、なんか楽しそうですね」
びくり、と一瞬優香は体を震わせる。しかし、すぐに表情を固めてじっと三葉を睨みつける。
調子に乗った、と三葉は思った。印象の違う優香に油断してしまった。
「会長はあなたでしょう。自覚を持ちなさい」
「はい、失礼しました」
すっかりいつもの表情に戻ってしまった優香に、三葉はピンと背筋を伸ばして彼女を見送るのであった。
廊下を早歩きで進む優香。
眉根が寄っていて、機嫌が悪そうに見えるのか他の生徒は様子を見ながら端に寄っていた。
そこまで負の感情に支配されているわけではないのだが、優香の頭の中はぐるぐると思考していて余裕がないのは確かである。
「楽しそう、か」
不謹慎ではないだろうか、と優香は自分を責める。父親が原因不明の病で苦しんでいるというのに、その娘が浮かれているように見えるのはどうなのだろうかと
「友達と、約束しているだけなのに」
楽しい、という感情は否定出来ないのだから余計に性質が悪い。
朝に洋介から志望校を聞かされた。
自分と同じ高校を目指しているというが、なかなか道のりは険しいようだ。だったら、自分が使っていた参考書を譲ろうかと提案したのが優香だ。
持っていこうと言ったのだが、彼は自分で取りに行くと言った。
それで、放課後一緒に優香の家に向かうことを約束したのだが。
(それって、一緒に下校するってことよね)
そういうことに、後から気づいた。
優香はそんな状況を経験したことはない。それに対して浮足立っている自分を自覚している。
「澤田くんのことだから律儀にまってるだろうし、急がないと」
廊下は走ってはいけない。それでも、優香の足はますます速まっていく。
「……おお」
そんな優香の表情が見たこともないほどに緩んでいたので、すれ違った生徒は思わず二度見するのであった。
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